第40話 優しい人
王宮北棟で起きたことは、王冠炉の暴走として発表された。
ヴァルター・クローネを含む17人が死亡した。
30人が魔力の大半を失った。
白塔の運営に関わった証拠は、王宮北棟と関係者の住居から発見された。
白塔原簿も、匿名で王国評議会へ届けられた。
リナにかけられていた反逆の疑いは取り消された。
王宮は、誤認逮捕だったとして正式に謝罪した。
だが、彼女の家族が王都で薬舗を続けることは難しかった。
一度広がった噂は消えない。
反逆者の娘。
白塔の協力者。
王宮から謝罪を受けても、客は戻らなかった。
リナの家族は、南部の町へ移ることを決めた。
リナも学院を退学することになった。
*
「最初から、こうなると分かっていた?」
荷物をまとめ終えた教室で、リナが尋ねた。
夕暮れの光が、空になった机へ差している。
ほかの生徒は帰っていた。
ユリウスとリナだけが残っている。
「退学するとは思っていなかった」
「捕まることは?」
「分かっていた」
「拷問されることも?」
「可能性はあった」
「家族が疑われることも?」
「それも」
リナは頷いた。
すでに泣いてはいなかった。
「白塔原簿を鞄に入れたのは、ユリウスだよね」
「うん」
「私が何も言わないと思った?」
「思った」
「好きだったから?」
「それも理由の1つだよ」
リナは目を閉じた。
「本当に、ひどいね」
「そうだね」
「謝らないの?」
「謝れば、何か変わる?」
「変わらない」
「なら、言う意味はないと思う」
リナは小さく笑った。乾いた笑いだった。
以前、ユリウスの言葉を聞いて見せた笑顔とは違う。
「そういうところだよ」
「何が?」
「謝るのは、変えるためだけではないんだよ」
「では、何のため?」
「傷つけたことを、傷つけた側も覚えていると伝えるため」
ユリウスは考えた。
エマの墓で、ネネも似たことを言っていた。
助けられなかったことと、忘れていいことは違う。
「忘れてはいないよ」
「覚えていても、痛くないでしょう?」
「うん」
「私が学院を辞めても、家族が王都を離れても、ユリウスは悲しくない」
「不便にはなる」
「それだけ?」
「今は」
リナは窓の外を見た。
「ユリウス」
リナが呼んだ。
「何?」
「あなたは、私を裏切ったことを後悔しないと思う」
「うん」
「それでも、忘れないで」
「忘れないよ」
「私があなたを好きだったことではなくて」
リナは包帯の外れた右手を見せた。
薄い火傷の痕が残っている。
「あなたを好きだった人を、あなたがどう使ったかを」
ユリウスは、その傷を見た。
「分かった」
「いつか、ネネを守るために同じことをするとき、思い出して」
「どういうこと?」
「これが私からあなたへの仕返しよ」
リナは扉を開けた。
「さようなら、ユリウス」
「さようなら、リナ」
振り返らずに出ていく。
廊下を歩く足音が遠ざかる。
ユリウスは、空になった隣の席を見た。
リナが死んだわけではない。
戻ろうと思えば、いつか会える。
それでも、もう以前と同じ場所へは戻らない。
その事実を、少しだけ惜しいと思った。
*
ネネは、王宮の事件から学院を休んでいた。
教師は、体調を崩して実家へ戻ったと説明した。
手紙を出しても返事はない。
寮の管理人も、戻る日は分からないと言った。
1週間。
2週間。
ネネの席には、誰も座らなかった。
学生食堂のいつもの卓には、ユリウスだけが座っていた。
リナはいない。
ネネもいない。
ダリオは別の卓に座り、ユリウスと目を合わせなかった。
リナが王都を出た日、ダリオは授業を休んだ。見送りへ行ったのだろうと、ユリウスは推測した。本人へ確かめることはしなかった。
ユリウスはネネの居場所を探していた。
学院の記録。
寮の書類。
休暇申請。
家族からの手紙。
すべて調べた。
住所は存在している。
だが、そこには古い空き家しかなかった。
ネネの家族を見たという教師も、誰も顔を覚えていない。
書類の筆跡は毎回異なっている。
最初から、ネネ・アルノーという生徒の身元そのものが作られていたように見えた。
ネネがいなくなってから、学院の毎日は静かだった。
誰にも本を覗き込まれない。
焼き菓子の感想を求められない。
知らない人を助ける理由について、何度も尋ねられることもない。
楽なはずだった。
それでも、ネネが戻らない日が重なるほど、胸の内側にある空白が大きくなった。
ほかのことをしている間にも、彼女の声や横顔が浮かんだ。
その状態へ名前をつけてくれる相手は、もうユリウスのそばにはいなかった。
*
その日の夕方、王都全体に鐘が響いた。
学院の鐘ではない。
王宮の大鐘だった。
国王か王族に重大な事態が起きたときにだけ鳴らされる。
教師たちが廊下を走る。
生徒たちは窓へ集まった。
王宮の塔に、黒い旗が掲げられている。
「何があったんだ」
ダリオが窓の外を見る。
ほどなくして、学院長から全生徒へ通達があった。
国王が倒れた。
王宮北棟の事件によって、王都の政治は混乱している。
王位継承者が近く国民の前に姿を現し、臨時に国政を担うという。
「王位継承者?」
ダリオが言った。
「王女が後継者みたいだよ」
近くの生徒が答えた。
ユリウスは窓の外を見た。
病弱。
王都の大きな政治行事がある日に学院を休む。
存在しない家族。
作られた身元。
リナの審議中に、正門を通らず王宮へ入り込めた理由。
胸の内側で、複数の事実がつながりかける。
だが、その考えが形になる前に、教室の扉が開いた。
王宮の使者が立っていた。
「ユリウス・レイン殿」
「はい」
「王位継承者殿下がお呼びです」
教室の視線がユリウスへ集まる。
「僕を?」
「ただちに王宮へ同行してください」
使者の胸には、王家の紋章があった。
ユリウスは立ち上がった。
なぜ自分が呼ばれるのか。
答えは、まだ分からない。
それでも、呼んだ者が誰であるのかを、もう半分は理解していた。




