第39話 止まった王宮
静寂が王宮を覆った。
審問室の人々は、息をする途中の姿勢で動きを失っている。
赤く光っていたリナの金属環も、係官の手にあった注射器も静止していた。
ネネも動かない。
ユリウスは天井裏から下りた。
拘束されたリナの前へ立つ。
右手の火傷。
折れた指。
以前の傷はまだ完全には治っていない。
今回、薬は使われなかった。
それでも、金属環によって神経の一部が傷ついている。
あとで自然な治療に見える程度まで戻せる。
ユリウスは拘束具を外した。
次に、ネネを見る。
怪我はない。
係官が伸ばしていた手を、彼女から遠ざける。
安全な位置へ移動させようとして、触れる直前に止まった。
一瞬、ネネの瞼が動いたように見えた。
ユリウスは彼女の顔を覗き込んだ。
呼吸は止まり、身体も動いていない。
目も閉じたままだった。
光の加減だろうと判断した。
「あとで説明するよ」
声は届かない。
ユリウスはネネを壁際の安全な場所へ移した。
*
王冠炉は、審問室のさらに地下にあった。
巨大な円形の空間。
中央には、黒い金属で作られた炉がある。
無数の管が壁へ伸び、王都全体の結界へ魔力を送っていた。
グレゴールは制御盤の前に立っている。
彼も完全には停止していなかった。
指先が、ごくわずかに動いている。
白塔で抽出した魔力を自分の身体へ取り込み、時間干渉への抵抗を得ているらしい。
「やはり」
声は出なかった。
だが、唇の形で分かった。
ユリウスはグレゴールの前へ立った。
「あなたの予想どおりです」
停止した世界で、ユリウスの声だけが響く。
「僕がやりました」
深淵種。
冬至祭。
白塔。
鐘楼。
グレゴールはすべてを疑っていた。
今、その答えを見ている。
「でも、知ったところで意味はありません」
ユリウスは王冠炉へ手を置いた。
最深部には、王国中の魔力紋を束ねる照合核があった。そこには、平均的な値へ偽装されたユリウス・レインの記録も残っている。
触れるだけで消せた。10年近く準備してきた計画は、今、この場で完成できる。記録を消し、空間を渡り、誰にも見つからない土地へ去ることができた。
ユリウスは消さなかった。自分が逃げれば、白塔の残党と王宮の関係者はネネを狙い続ける。今の彼にとって、自分が自由になることより、彼女へ向けられた脅威を先に消すほうが重要だった。
内部には、長年にわたり集められた魔力が蓄積されている。
死刑囚。
病人。
孤児。
学院の生徒。
何百人もの生命から奪われたものだった。
炉を壊せば、王都の結界は消える。
そのままでは、深淵の侵食が始まる。
ユリウスは術式を読み取った。
人間から魔力を供給する部分だけを切り離す。
代わりに、王都周辺の地脈から少量ずつ魔力を集めるよう書き換える。
地脈へ負担をかけすぎれば、土地が枯れる。
王都だけではなく、周囲数百里へ回路を広げた。
長く維持できる。
初めから、こうすればよかった。
術式を理解し、実行できる者がいなかっただけだ。
「あなたたちは、必要な犠牲だと言った」
ユリウスはグレゴールを見た。
「でも、必要ではありませんでした」
グレゴールの瞳に恐怖が浮かぶ。
「ただ、あなたたちに力がなかっただけです」
ユリウスは炉から手を離した。
新しい術式が完成する。
王冠炉に残っていた余剰魔力が逆流し始めた。
白塔に関わった者たちの身体には、炉と接続するための印が刻まれている。
魔力を受け取る側ではない。
供給する側として認識を書き換えた。
審問室にいる12人。
地下のグレゴール。
暗部の拠点にいる者。
白塔原簿へ署名した者のうち、今も王都にいる者。
すべてが炉へつながる。
時間を戻せば、彼らの魔力と生命は王冠炉へ吸い上げられる。
死ぬ者もいるだろう。
助かっても、2度と魔法を使えなくなる。
ユリウスは人数を数えた。
47人。
全員が同じ程度に関わったわけではない。
命令に従っただけの者もいる。
途中で離れようとした者もいる。
それを区別する必要は感じなかった。
秘密を知っている。
ネネを狙った。
それだけで十分だった。
*
審問室へ戻る。
ネネは、移した場所で目を閉じたまま動かなかった。
ユリウスが何をしたかは分からないだろう。
時間が止まったことすら、意識には残らないはずだった。
彼はネネの頬へ手を触れた。
「怖がらないでほしい」
届かない言葉だった。
「それだけは、嫌なんだ」
時間を動かす。
*
世界が音を取り戻した。
王冠炉が起動する。
王宮全体が揺れた。
審問室にいた者たちが、一斉に悲鳴を上げる。
身体から白い光が引き抜かれ、床の術式へ吸い込まれていく。
「何をした!」
ヴァルターが叫ぶ。
ユリウスは天井裏へ戻らなかった。
部屋の中央に立っている。
もう隠しきれない。
「炉を直しました」
「お前が」
「白塔は必要ありません」
ヴァルターが杖を向ける。
魔法は発動しなかった。
魔力を失っている。
「私たちを殺すつもりか」
「結果として、死ぬ人もいると思います」
「止めろ!」
「嫌です」
ユリウスは穏やかに答えた。
リナが椅子から崩れ落ちる。
ダリオが扉を破って入ってきた。
「リナ!」
彼女を抱き起こす。
次に、部屋の中央にいるユリウスを見る。
「お前、何を」
「終わらせたんだ」
「こいつらは」
「白塔に関わった人たちだよ」
ヴァルターの身体が床へ倒れた。
呼吸が止まる。
ほかの者も、次々に意識を失っていく。
ネネは壁際に立っていた。
ユリウスを見ている。
その顔には、明確な恐怖があった。
「ネネ」
ユリウスが近づこうとする。
「来ないで」
ネネは言った。
ユリウスの足が止まった。
父と同じ目。
だが、父に向けられたときとは違う。
胸の内側が、鋭く痛んだ。
痛みというものを、ユリウスは初めてはっきりと理解した。




