第4話 焦げた菓子
ネネが教室へ戻ったのは、事件から1週間後だった。
後頭部に、白い包帯が巻かれている。
扉を開けた彼女は、1度立ち止まった。
教室の中を見回す。
それから、両手に抱えていた紙袋を胸元へ引き寄せ、ユリウスたちの席へ歩いてきた。
「ダリオ」
呼びかけられ、ダリオが振り返った。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。少し痛むけど」
ネネは紙袋を差し出した。
「これ、作ったの」
「俺に?」
「助けてもらったから」
ネネは深く頭を下げた。
「ありがとう」
「いや、俺もよく覚えてないんだ」
ダリオは、居心地悪そうに頭を掻いた。
「それでも、先生が言ってた。ダリオが魔獣を倒してくれたって」
「まあ、剣は刺さっていたらしいけど」
「それなら、ダリオが倒したんだよ」
ネネは顔を上げた。
目元に、わずかに涙が浮かんでいた。
「本当に、ありがとう」
ダリオは困った顔をした。
「俺1人じゃない。こいつも、お前たちのそばに残ってたらしい」
親指でユリウスを示す。
ネネはユリウスへ向き直った。
「ユリウスも、ありがとう」
「僕は何もしていないよ」
「先生が言ってた。ずっとそばにいてくれたって」
「置いて逃げるわけにはいかないだろう?」
ユリウスは笑った。
「普通のことだよ」
「普通でも」
ネネも小さく笑った。
「嬉しかった」
ユリウスは、彼女の顔を見た。
普段はほとんど表情を変えない少女だった。
笑うと、思っていたより幼く見えた。
「ユリウスの分もあるの」
ネネは、もう1つの紙袋を差し出した。
「僕にも?」
「リナの分も作った」
「ありがとう」
中には、小さな焼き菓子が入っていた。
形は揃っていない。
1つは端が黒く焦げていた。
「お菓子を作ったの、初めてだから」
ネネは恥ずかしそうに視線を落とした。
「きれいにできなくて、ごめんなさい」
「食べられるなら、形は関係ないよ」
「焦げていたら、無理に食べなくてもいいから」
「食べるよ」
ユリウスは、最も焦げているものを取った。
口へ入れる。
苦かった。
砂糖も少ない。
「おいしい?」
ネネが不安そうに尋ねた。
この場合、おいしいと答えることが必ずしも正しいとは限らない。
相手が失敗を恐れているとき、人は結果を評価してほしいわけではない。
ユリウスは、その規則を知っていた。
「少し苦いね」
それに、ネネが事実よりも慰めを求める人間なのか、それとも不出来なものを不出来だと言われても平気な人間なのか、少しだけ興味があった。
ネネは目を瞬いた。
「やっぱり焦げてた?」
「うん。砂糖も少ないと思う」
「そっか。正直に言ってくれてありがとう。もっと次は頑張るね」
傷ついたようには見えなかった。
ネネは袋の中の焼き菓子を見つめ、それから小さく笑った。
「でも、僕はこの味が好きだな」
ユリウスが言うと、ネネの笑みがわずかに大きくなった。
「ダリオは、何でもおいしいって言うから」
「せっかく作ったものを、まずいとは言えないだろ!」
ユリウスが言う。
「お前がなんでモテないのかよくわかるよ」
リナもネネも苦笑いした。
ダリオは不満そうに焼き菓子を口へ入れ、すぐに顔をしかめた。
「おいしいよ」
3人の笑い声が教室に広がった。
ユリウスは、その様子を眺めた。
何がそれほど面白いのかは、よく分からなかった。
ただ、自分だけ笑わないのは不自然だった。
少し遅れて、口元を緩めた。
*
それから、ネネは昼休みになると、学生食堂の窓際にあるユリウスたちの卓へ来るようになった。
初めて同じ卓についた日、ネネは遠慮がちに尋ねた。
「ここにいたら、迷惑?」
「迷惑ではないよ」
「よかった」
ネネは、ほっとしたように笑った。
「あの森から戻ってから、1人でいるのが少し怖くなったの」
「そうなんだ」
「ここにいると、安心する」
ユリウスには、その理由が分からなかった。
深淵種を倒したダリオがいるからだろう、と考えた。
「好きなだけいればいいよ」
「ありがとう」
翌日も、ネネはやってきた。
その次の日には、再び焼き菓子を持ってきた。
以前のものより焦げ目は少なく、砂糖も増えていた。
「今度はどう?」
そう尋ねられ、ユリウスは1口食べた。
「前よりおいしい」
「本当?」
「うん。ただ、少し硬いね」
「次は牛乳を増やしてみる」
ネネは真剣な顔でうなずいた。
ダリオは、また余計なことを言うなと呆れていたが、ネネは気にしていなかった。
彼女は、ユリウスが本当のことを言うたびに喜んだ。
なぜ喜ぶのか、ユリウスには分からない。
けれど、ネネに対しては、相手が望みそうな答えを探す必要がなかった。
それは楽だった。




