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平均点の少年は、誰の痛みも分からない  作者: くるみ


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第36話 言わなかったこと

ネネは、その日の昼休み、学生食堂のいつもの卓に現れなかった。

教室には来ていた。

朝の挨拶もした。授業中に指名されれば、いつもの小さな声で答えていた。

ただ、鐘が鳴ると弁当を持って教室を出ていった。


「どこへ行くんだ?」


ダリオが尋ねた。


「今日は、少し1人で食べたいの」

「具合が悪いのか?」

「そうではないよ」


ネネは笑った。

笑顔は普段と変わらない。

それでも、ユリウスを見なかった。

扉が閉じる。


ユリウスは本を開いた。

文字へ目を落とす。

数行を読んだ。

内容は理解できている。

それでも、頁をめくる気にならなかった。



ネネが声をかけてきたのは、放課後だった。


「少し、話せる?」

「もちろん」


連れていかれたのは、使われていない音楽室だった。

窓の外では、雲の隙間から細い光が差している。教室の隅には、布を掛けられた古い楽器が並んでいた。

ネネは扉を閉めた。

ユリウスと向かい合う。


「リナから聞いたよ」

「何を?」

「全部ではないと思う」


ネネは自分の指先を見た。


「ユリウスが、危険だと知りながらリナに荷物を運ばせたこと。連れ去られるのを見ていたのに、すぐには助けなかったこと」

「そうだね」


ユリウスは否定しなかった。


「本当なの?」

「うん」


ネネが顔を上げる。

否定されると思っていたのかもしれない。


「どうして?」

「命令を出した人間を知る必要があった」

「そのために、リナを使ったの?」

「リナなら、相手も警戒しないと思った」

「危険だとは伝えなかった」

「伝えれば、行かなかった可能性がある」

「だから、言わなかったの?」

「うん」


ネネは何も言わなかった。

窓の外で、鳥が屋根から飛び立った。羽音が遠ざかり、再び静かになる。


「リナが死んだら、どうするつもりだった?」

「死なせるつもりはなかった」

「でも、絶対ではなかったでしょう?」

「絶対に安全な方法はないよ」

「そういう話ではないと思う」


ネネの声は小さかった。

怒っているとき、彼女は声を荒らげない。

ユリウスは、それを知っていた。


「リナは、ユリウスを信じていた」

「知っている」

「好きだった」

「それも知っていた」

「知っていて、利用したの?」

「そうだよ」


ネネの表情が変わった。

恐怖ではない。

嫌悪とも違う。

何かを理解しようとして、理解できずにいる顔だった。


「ユリウスは、悪いと思わないの?」

「結果として、暗部の拠点が分かった。リナも生きている」

「結果がよければ、何をしてもいいの?」

「何をしてもいいとは言っていないよ」

「では、どこまでならいいと思っているの?」


ユリウスは考えた。

相手を殺す。

傷つける。

罪を着せる。

信頼を利用する。

必要なら、どれも選択肢に入る。


「目的による」


ネネは目を伏せた。


「私にも、同じことをする?」


ユリウスは答えようとした。

必要なら。

状況による。

そう答えるのが自然だった。


「しない」


口から出たのは、別の言葉だった。


「どうして?」


ユリウスには答えられなかった。

ネネは、自分だけが利用されないことを喜んでいない。


ネネは窓の外へ顔を向けた。


「ユリウスが、普通の人と少し違うことには気づいていた」

「いつから?」

「分からない」


ネネは答えた。


「エドガーが死んだときも、冬至祭のときも、鐘楼のときも、ユリウスはいつも落ち着いていた」

「表情に出にくいだけだよ」

「そうかもしれないと思ってた」


ネネは振り返った。


「でも、リナのことを聞いて、違うのかもしれないと思った」

「僕が怖い?」


その質問を口にするまでに、わずかな間があった。

ユリウスにとって、人から恐れられることは問題だった。

秘密を知られれば、排除される。

父がそうだった。

学院や王宮も同じだろう。

だが、今はそれとは違う答えを求めていた。


「少し」


ネネは正直に答えた。

ユリウスの胸の奥が冷えた。

痛みではない。

呼吸も、脈拍も変わらない。

それでも、聞きたくなかった言葉だと分かった。


「でも」


ネネは続けた。


「怖いから、すぐに嫌いになるわけではないよ」

「どうして?」

「ユリウスに助けてもらったことも、話したことも、全部なくなるわけではないから」

「僕が君を助けた理由が、君の思っているものと違っても?」

「違うの?」

「分からない」


ユリウスはそう答えた。

ネネは少しだけ笑った。

悲しそうな笑い方だった。


「そればかりだね」

「本当に分からないんだ」

「では、考えて」

「何を?」

「自分が、どうして私を助けたのか」


ネネは扉へ向かった。


「分かったら、教えて」

「それまで、話さない?」

「そうは言ってないよ」

「昼食は?」


ネネが足を止めた。

振り返らないまま答える。


「少し考えさせて」


扉が閉じた。

ユリウスは、誰もいなくなった音楽室に残された。

考える必要はないと思っていた。

感情に名前をつけても、現実は変わらない。

だが、ネネは答えを求めている。

答えがなければ、彼女は離れるかもしれない。

ユリウスは初めて、自分の中にあるものを知る必要を感じた。



自室へ戻ると、机の上に黒い封筒が置かれていた。

学院の警戒術式は破られていない。

扉も窓も閉まっている。

封筒には王宮結界局の印が押されていた。

中の紙には、短い文章が記されている。


――白塔原簿と北棟の記録を渡せ。

その下に、別の一文があった。

――病弱な少女の居場所は、こちらでも調べられる。


ユリウスは紙を見た。

炎を使わずに、文字を消す。

紙が白く戻った。

ヴァルターたちは、まだネネの実家を特定できていない。

だが、学院へ戻ったことは知っている。


次に彼女が休むのを待つ必要はない。

学院内で連れ去る可能性もある。

ユリウスは、机の引き出しから白塔原簿を取り出した。

関係者の名は、すべて覚えている。

白塔原簿そのものは、もう必要ない。

それでも相手は欲しがっている。

ならば、使い道はあった。

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