第34話 囮
セラを殺した男たちの拠点は、王都南部の地下水路にあった。
古い排水路を改造し、複数の部屋と脱出路を作っている。
ヴァルターの暗部は、そこで白塔関係者の監視や処分を行っていた。
ユリウスは、1人で内部を確認した。
捕らえられている者はいない。
壁には、監視対象の名前が並んでいた。
エマ。
マーサ。
白塔から救出された3人。
ダリオ。
リナ。
ネネ。
そして、ユリウス。
ネネの名の横には、赤い印がつけられていた。
確保優先。
殺害禁止。
ユリウスは、その紙だけを剥がした。
残る者を、すぐに殺すことはできる。
だが、地下水路にいるのは実働部隊だけだった。
命令を出している役人や貴族は、別の場所にいる。
全員を集める必要がある。
方法は簡単だった。
彼らが最も欲しがっているものを見せればよい。
セラが残した王冠炉の記録。
白塔原簿。
そして、それを持っている人間。
*
「これを王宮へ届けてほしい」
ユリウスは、リナへ封筒を差し出した。
放課後の薬草実習室だった。
外では、細い雨が降っている。
「誰に?」
「王宮評議会の書記官」
「セラさんが渡そうとしていた記録?」
「写しだけだよ」
「どうして私が?」
「リナの家は王宮へ薬を納めている。届け物をしても、不自然ではないから」
リナは封筒を受け取らなかった。
「危険はないの?」
「王宮の受付へ渡すだけだよ」
「本当に?」
「うん。でも心配だよね。僕がなんとかするから大丈夫」
ユリウスは微笑んだ。
明確な嘘だった。
暗部は、リナを監視している。
彼女が記録を持って王宮へ向かえば、必ず途中で動く。
「でも、ユリウスが見つかったら、言い訳できないじゃない」
「まあ、そうなるね」
甘えると言い換えれば、相手は受け入れやすい。特に好意を抱いている相手には。
「ごめんね。つい、甘えてしまったんだ」
リナは笑わなかった。
「わかったわ。あなたより私の方がばれても言い訳できるもの」
ユリウスは少し悲しげに微笑んで見せた。
「これを届ければ、本当に何かが変わるの?」
「関係者を捕まえられるかもしれない」
「セラさんを殺した人も?」
「うん」
それは事実だった。
「分かった」
リナは封筒を受け取った。
「届ける」
「ありがとう」
「でもね、その前に、1つ確認したいことがあるの」
「なにかな?」
リナは急に顔を強張らせて、少し深く息を吸い込んだ。
少し目線が右上に富んで
「私のことを好き?」
ユリウスはリナの目を見た。
彼女はなにかを理解し始めている。
別の囮を用意する必要がある。
ネネを使うこともできる。
その考えは、浮かんだ瞬間に消えた。
ユリウスは考えを追い払うように、リナを見つめた。
リナの目は潤んでいた。
「もちろん。好きだよ、リナ」
*
リナが学院を出てから、ユリウスは少し離れて後を追った。
王宮へ続く大通りには人が多い。
暗部は、人目のある場所では動かない。
リナが薬舗の近道として細い路地へ入ると、2人の男が前後を塞いだ。
「何ですか」
リナが足を止める。
男の1人が、王宮の徽章を見せた。
「調査のため、同行してもらう」
「どこの部署ですか」
「結界局だ」
「学院の先生に連絡を」
リナが後退する。
背後の男が、口元へ布を押し当てた。
リナが抵抗する。
小さな薬瓶を取り出し、男の顔へ投げた。
瓶が割れ、刺激臭が広がる。
前方の男が咳き込んだ。
以前のリナなら、何もできずに捕まっていたかもしれない。
今は、自分で危険へ備えている。
それでも、相手は訓練された大人だった。
短杖から光が放たれ、リナの身体が力を失う。
男たちは彼女を荷車へ乗せた。
ユリウスは動かなかった。
今助ければ、拠点へ向かわない。
リナは生きている。
すぐに殺される可能性は低い。
記録の場所を聞き出すために、まず尋問するはずだった。
ユリウスは荷車を追った。
*
地下水路の部屋には、暗部の男が7人集まっていた。
リナは椅子へ縛られている。
右手には、術式が刻まれた金属環をつけられていた。
「白塔原簿はどこだ」
男が尋ねる。
「知りません」
金属環が赤く光る。
リナの身体が跳ねた。
手首の皮膚が焼ける。
「封筒は、誰から受け取った」
リナは唇を噛んだ。
「自分で用意しました」
再び術式が発動する。
苦痛に耐えきれず、声が漏れた。
ユリウスは壁の向こうにいた。
部屋の様子は、魔力の流れから分かる。
リナはユリウスの名前を言わない。
予想どおりだった。
まだ助ける必要はない。
7人のうち、1人が王宮へ連絡を送ろうとしている。
その連絡先をたどれば、暗部へ命令を出している者が分かる。
「ユリウス・レインから渡されたのか」
男が尋ねた。
リナは顔を上げた。
「違います」
術式が光る。
今度は強かった。
リナの指が不自然に曲がる。
金属環が骨にまで圧力をかけている。
それでも、名前を言わなかった。
「もう1度聞く」
男が杖を構える。
「ユリウス・レインは、白塔原簿を持っているか」
リナは息を整えた。
「知りません」
男が杖を振り上げる。
その瞬間、扉が吹き飛んだ。
ダリオが部屋へ入ってきた。
「そこまでだ!」
剣が男の杖を弾く。
「ダリオ?」
リナが掠れた声を出す。
「遅くなった。」
ダリオは彼女の前へ立った。
ユリウスは壁の向こうで、わずかに眉を寄せた。
ダリオが来る予定はなかった。
「出てこい、ユリウス!」
ダリオが叫ぶ。
「そこにいるんだろ!」
暗部の男たちが周囲を見回す。
ユリウスは、隠れている意味がなくなったと判断した。
壁の陰から姿を現す。
「よく分かったね」
「お前がリナを1人で行かせるはずがない。俺はリナの後をつけてたんだ」
ダリオは怒りに満ちた目でユリウスを見た。
「最初から、こうなると知ってたな」
「可能性は考えていたよ」
「いつ助けるつもりだった」
「いますぐにでも」
リナの顔から、血の気が引いた。
ダリオは何かを言いかけた。
暗部の男が、その隙に魔法を放つ。
ユリウスは指先を動かした。
術式の一部を崩す。
放たれた炎は軌道を外れ、天井へ当たった。
「ダリオ、リナを」
「命令するな!」
それでもダリオは拘束具を斬った。
ユリウスは、男たちの魔法が発動しないよう、見えない範囲で術式を壊していく。
ダリオには、相手が動揺して失敗しているように見えるだろう。
数分もかからず、7人全員が床へ倒れた。
最後の1人が意識を失う。
ユリウスは、その男が送ろうとした連絡の行き先を確認した。
王宮評議会議員、ローレンス・バルド。
白塔原簿に名のある人物だった。
目的は達成した。
「リナ」
ユリウスが近づくと、リナは後ずさった。
右手を胸元へ抱えている。
「触らないで」
ユリウスは足を止めた。
「治療が必要だよ」
「最初から見てたの?」
「ダリオが来てからだよ」
「嘘」
リナの目に涙が浮かぶ。
「私が連れてこられるところから、ずっと見てたんでしょう?」
ユリウスは答えなかった。
否定しても、信じない。
「どうして、すぐ助けなかったの」
「命令を出した人間を知る必要があった」
「私が死んでも?」
「死なせるつもりはなかった」
「つもり?」
「死ぬ前には助けたよ」
リナは、ユリウスを見た。
そこにあったのは、恐怖だった。
5歳の冬。
小鳥を前にしたユリウスを見た、父と同じ目だった。
「ユリウス」
ダリオが低い声で言う。
「お前、自分が何をしたか分かってるのか」
「リナは生きている。暗部の拠点も分かった」
「そういう話じゃない!」
「では、どういう話?」
ダリオの拳が、ユリウスの頬へ向かった。
ユリウスは避けるのではなく、左手で易々と受け止めた。
ダリオが目を見張る。
「それが分からないなら、俺が説明しても無駄だ」
ダリオはリナを抱き上げた。
「学院へ戻るぞ」
リナは、最後までユリウスを見なかった。




