第32話 王冠炉
王都中央図書館は、日が沈むと来館者が少なくなった。
高い天井を支える石柱の間に、魔石の明かりが並んでいる。
セラと名乗った書記官は、歴史資料の棚の奥で待っていた。
「2人とも来たんですね」
彼女は周囲を確認し、声を落とした。
「ほかの方には?」
「話していません」
リナが答える。
「白塔原簿は?」
「安全な場所にあります」
ユリウスは言った。
「えっ、どうしてユリウスが持っているの」
リナが声を上げたが、ユリウスは目線だけで言葉を制した。
「中身を見ましたか」
「一部だけ」
「王宮北棟の記載も?」
「はい」
セラは目を閉じた。
「やはり、エマは持ち出していたんですね」
「エマを知っていたんですか」
「名前だけです。王宮の記録から、突然消えた生徒がいることには気づいていました」
「北棟には、何があるんです?」
セラは、すぐには答えなかった。
「王冠炉です」
「王冠炉?」
「王都全体の結界を維持するための、大規模な魔力炉です。王宮が建てられる以前から、地下に存在しています」
王冠炉は、王都結界だけではなく、王国が登録した魔力紋を照合する追跡術式の根にもなっている、とセラは説明した。学院の測定記録も、最終的にはそこへ集められる。
ユリウスが長く探していたものだった。炉の中枢へ入れれば、自分の魔力紋を消し、王国のどこからも追えない存在になれる。白塔を追ってきた理由が、王宮北棟でようやく1本につながった。
「そこへ、白塔の魔力が送られていた?」
ユリウスが尋ねる。
セラが頷く。
「冬至祭の事件よりも前からです」
「何年くらい?」
「少なくとも15年」
白塔が運用されていた期間より長い。
「以前は、どこから魔力を集めていたんですか」
「王国各地の魔石鉱山や、軍の余剰魔力です。でも、鉱山の産出量が減り、国境の防衛にも魔力が必要になった」
「それで、人間を使った」
「最初は、死刑囚や終身刑の囚人が対象だったそうです」
セラの声が硬くなる。
「次に、身寄りのない病人。孤児。最後に、魔力の強い学生」
「そんなこと......!王宮は知っていたの?」
リナが尋ねる。
「全員ではありません。一部の結界局員と、学院の関係者だけです」
「ヴァルター長官も?」
セラは答えなかった。
その沈黙で十分だった。
「王冠炉を止めれば、どうなります?」
ユリウスが尋ねる。
「現在の王都結界は、数日で消滅します」
「すぐに襲撃される可能性は?」
「国境の敵国が気づけば。あるいは、冬至祭で接続された深淵が再び侵食するかもしれません」
「では、白塔の方法は合理的だった」
リナがユリウスを見る。
セラも顔を上げた。
「合理的かどうかではありません」
「王都の数十万人と、数人の生徒です」
「選ばれたのが、あなたの友人でも同じことを言えますか」
ユリウスは少し考えた。
ダリオなら。
リナなら。
ネネなら。
「同じとは限りません」
「それが問題なんです」
セラは言った。
「彼らは、自分たちに関係のない人間を選んだ。家族も、権力もない人間を」
「選ばれる側に力がなかったから?」
「そうです」
ユリウスには理解できる。
反撃される可能性が低い者を選ぶのは、当然だった。
ただし、発覚した場合の処理が甘い。
エマを生かした。
白塔原簿を残した。
学院の生徒へ疑いを持たせた。
「あなたは何をするつもりですか」
ユリウスが尋ねた。
「証拠を集めています」
セラは懐から、小さな鍵を出した。
「北棟の記録庫に、王冠炉への魔力供給記録があります。白塔原簿と一致すれば、王宮も隠せません」
「誰へ渡すの?」
「王国評議会です」
「評議会にも、関係者がいるかもしれない」
「分かっています」
「それでも?」
「すべての人が関わっているわけではありません」
セラは鍵を握った。
「誰も信用しなければ、何も変えられない」
ネネも似たようなことを言うだろう。
ユリウスはそう思った。
それが正しいとは思わない。
信用する相手を間違えれば、死ぬ。
「記録を取るのを手伝ってくれますか」
セラが尋ねた。
「僕たちが?」
「学院の生徒なら、白塔の証言者になれます」
「そんなの危険です」
リナが言った。
「だから、断ってくれても構いません」
ユリウスは、セラの鍵を見た。
北棟へ入る手段。
グレゴールの印も、今なお北棟にある。
「僕は、手伝います」
「ユリウス」
リナが止める。
「記録を見るだけだよ」
「前も、そう言った」
「今回は、王宮の人が一緒にいる」
「その人が安全だって、どうして分かるの?」
セラの表情が曇る。
リナは自分の言葉が失礼だったと思ったのか、すぐに頭を下げた。
「ごめんなさい。でも、もう誰を信じればいいのか分からなくて」
「当然だと思います」
セラは静かに答えた。
「私も同じです」
ユリウスは2人を見た。
リナは疑うことを覚え始めている。
それでも、最終的には誰かを信じようとする。
その点は変わっていなかった。
*
図書館を出たあと、リナもう、白塔原簿について尋ねなかった。
ただ、今度からは危険なことはすべて教えて、と悲しそうな表情で言った。
ユリウスは、目線を下げて、ごめんね、とだけ謝った。
そのあとユリウスは1人で王宮北棟へ向かった。
リナには学院へ戻ると言った。
セラとの話は、明日改めて相談すると説明した。
グレゴールの印が動いている。
北棟から、王宮の地下へ。
ユリウスは人通りの少ない路地で時間を止めた。
王宮を覆う監視術式へ触れないよう、空間そのものを折り曲げる。
北棟の廊下へ移動した。
壁の向こうに、2人の声が聞こえる。
「白塔原簿は、まだ見つからないのか」
ヴァルター長官だった。
「エマが鐘楼へ持ち込んだことは確かです」
グレゴールが答える。
「ならば、崩落の下だ」
「遺体の周辺にはありませんでした」
「生徒が持ち出した可能性は?」
「ユリウス・レインです」
ユリウスは壁際に立ったまま、会話を聞いた。
「証拠はあるのか」
「彼が関わった場所では、不自然に多くの人間が助かっています」
「多く?」
ヴァルターが笑った。
「鐘楼では、エマが死んだ」
「......彼女は彼の力を目撃したのではないかと」
沈黙が落ちた。
「確かなのか」
「もし彼が時間を止めることができるのであれば、彼女の膨大な魔力は時間干渉に強かったことが予測されます」
グレゴールは、エマが見ていたことに勘付いていた。
「ならば、少年が見捨てたのか」
「おそらく」
「自分の秘密を守るために?」
「ええ」
ヴァルターが低く笑った。
「使える」
「危険です」
「危険だから使えるのだ。王冠炉の問題を、彼なら解決できるかもしれない」
「従うとは思えません」
「従わせるものを探せ」
「すでに見つけています」
グレゴールの声が、わずかに明るくなる。
「親しい友人が3人います。薬屋の娘と、剣術を得意とした少年、病弱な少女です」
ユリウスは動かなかった。
壁の向こうで、ヴァルターが何かを尋ねる。
「最後のはどこの家の娘だ」
「身元は調べています。ただ、記録が曖昧で」
「学院が把握していないのか」
「地方の下級貴族の遠縁として登録されています。実家で療養していることが多く、家族も学院へほとんど姿を見せない」
ネネのことだった。
記録が曖昧なのは、病弱で頻繁に居所を変えるからだろう。
ユリウスは、そう理解した。
「最後の少女を確保しろ。欠席が多いなら目立たないだろう」
ヴァルターが言った。
「殺すな。少年が動くか確かめる」
「ほかの2人は?」
「必要なら使え」
リナとダリオ。
誰を犠牲にしても構わないということだった。
ユリウスはグレゴールへつけた印を消した。
もう追跡する必要はない。
背後にいる者は分かった。
ヴァルター・クローネ。
王宮結界局長。
今すぐ2人を殺すこともできる。
だが、白塔に関わった者は白塔原簿だけでも数十人いる。
ヴァルターを殺せば、別の者が計画を引き継ぐ。
全員を見つける必要があった。
その前に、ネネを安全な場所へ移す。
ユリウスは王宮を出た。
学院へ戻る途中で、ネネが休んでいることを思い出した。
実家の場所を知らない。
教師も、寮の管理人も詳しくは教えなかった。
ヴァルターたちも調べられていない。
ならば、今は安全である可能性が高い。
それでも、ユリウスは早く戻ってきてほしいと思った。
自分の目で確認できる場所へ。




