第27話 元清掃員の証言
エマ・ルースの行方を知っていたのは、学院の元清掃員だった。
名を、マーサという。
60歳を過ぎた小柄な女性で、3年前まで女子寮で働いていた。
学院を辞めた後は、王都南部の教会で暮らしている。
「エマを覚えていますか」
ネネが尋ねると、マーサは長く黙っていた。
教会の小さな応接室には、古い暖炉があった。
火は弱く、室内にも外気の冷たさが残っている。
「なぜ、あの子のことを」
マーサは警戒するように4人を見た。
「同じ学院の生徒だからです」
ネネが答えた。
「記録から消されている理由を知りたいんです」
「知らないほうがいい」
「でも、今も生きているかもしれない」
マーサの手が震えた。
ユリウスは、その反応を見た。
知っている。
「会ったんですね」
ユリウスが言うと、マーサの顔が強張った。
「何のことです」
「エマは冬至祭のあと、ここへ来た」
「違います」
「では、なぜ生きていると聞いて驚かないんです?」
マーサは答えなかった。
ネネがユリウスを見る。
責めてはいない。
ただ、少し言い方が強いと思ったのだろう。
「私たちは、エマさんを傷つけたいわけではありません」
ネネがマーサへ向き直った。
「白塔にいた人たちを見つけました。3人は助かりました。でも、エマさんのことだけが分からないんです」
「白塔を」
マーサの唇が震えた。
「見つけたんですか」
「はい」
マーサは目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと立ち上がる。
「ついてきてください」
*
教会の裏手には、使われていない鐘楼があった。
石段は狭く、壁には湿気が染み込んでいる。
最上階へ上ると、壊れた鐘の裏に小さな扉があった。
マーサが3度、間隔を変えて扉を叩く。
「エマ。私です」
返事はない。
「学院の子たちが来ています。白塔の生徒を助けた子たちです」
内側で何かが動く音がした。
扉が、わずかに開いた。
隙間から、痩せた少女の顔が覗く。
年齢は18歳ほど。
髪は短く切られ、頬は骨ばっている。右目の周囲には、黒い筋が血管のように広がっていた。
「学院の人間?」
エマは低い声で尋ねた。
「生徒です」
ネネが答える。
「教師ではありません」
「教師に言った?」
「まだです」
エマは4人を順番に見た。
「帰って」
「話だけでも聞かせてください」
「嫌」
「白塔で、何があったんですか」
「帰って!」
扉が閉じかける。
ネネは手を挟まなかった。
無理に開けようともしない。
「ミロは助かりました」
扉の向こうへ向かって言った。
「アルマも生きています。セドリックも、まだ眠っていますが、治療を受けています」
扉の動きが止まった。
「本当に?」
「はい」
「ほかの人は?」
ネネはすぐに答えられなかった。
「3人は、亡くなっていました」
エマの息を呑む音がした。
「名前は?」
ネネは、学院から発表された3人の名前を答えた。
エマは長く黙った。
やがて、扉を開いた。
「入って」
*
鐘楼の部屋には、寝台と机しかなかった。
窓は板で塞がれ、昼間でも暗い。
机の上には薬瓶と、古い革表紙の白塔原簿が置かれていた。
リナとダリオは、その場で数頁を見ただけだった。原簿を誰が保管するかは決めておらず、エマが抱えたまま話を終えた。
「冬至祭の夜に逃げたんですか」
リナが尋ねた。
エマは頷いた。
「結界の力が乱れて、白塔の拘束術式が一度消えた。私は動けたから、壁の穴から逃げた」
「2年間も、あそこに?」
「2年と3か月」
エマは淡々と答えた。
「最初は、治療を受けるだけだと言われた。私の魔力は強すぎて、身体を傷つけているから、外へ流す必要があるって」
「嘘だったの?」
ネネが尋ねる。
「半分は本当だった」
エマは右目の黒い筋へ触れた。
「私は魔力を制御できなかった。何度も暴走した。白塔へ行ってからは、発作が起きなくなった」
「でも、閉じ込められた」
「王都の結界に使えると分かったから」
エマの声には、怒りも悲しみもなかった。
長く使い果たした後のように、平らだった。
「最初は、私だけだった。そのあと、ほかの子が連れてこられた」
「なぜ、皆の記録が違うんですか」
「家族がいる子は病気で退学。孤児は家庭の事情。私は、記録そのものを消された」
「どうして?」
エマは白塔原簿へ目を向けた。
「私が、最初だったから」
革表紙の白塔原簿を開く。
そこには、日付と魔力量、生徒の名前が並んでいる。
余白には、学院職員や王宮役人の署名もあった。
「白塔は、学院だけで作ったものではない」
「王宮も関わっている?」
ダリオが尋ねる。
「一部の人間だけだと思う。でも、名前は全部ここにある」
「グレゴールも?」
「いる」
エマの指が、1つの署名を示した。
グレゴール・エイムズ。
その下には、ベルトラン。
さらに、学院評議会の役員や、王宮結界局の官僚の名前が並んでいる。
「これを、先生へ渡せば」
リナが言った。
「誰へ?」
エマが遮った。
「この中には学院長の補佐官も、王宮の調査官もいる。誰が味方なのか分からない」
「でも、このままでは危険です」
ネネが言う。
「グレゴールは、あなたを探しています」
エマが顔を上げた。
「知ってるの?」
「予想です」
ユリウスが答えた。
グレゴールから直接聞いたことは言わなかった。
「この原簿が必要なんだろうね」
「燃やしたほうがいい」
エマは即座に言った。
「それでは、罪を証明できない」
「証明しなくていい。私は、もう関わりたくない」
「亡くなった人たちは?」
ネネが尋ねた。
エマの目が揺れた。
「彼らのためにも、何があったか明らかにしたほうがいいと思います」
「死んだ人は戻らない」
「戻りません」
ネネは頷いた。
「でも、何もなかったことにはしたくない」
エマはネネを見た。
「あなたは、白塔にいたことがないから言える」
「そうかもしれません」
「正しいことをしたら、誰かが守ってくれると思ってる?」
「思っていません」
「じゃあ、なぜ」
「正しいからではありません」
ネネは静かに答えた。
「同じことが、また起きるのが嫌だからです」
エマは何も言わなかった。
部屋の隅で、風が板窓を鳴らした。
「今すぐ決めなくていいと思います」
ネネが続ける。
「ただ、ここに1人でいるのは危険です。私たちにできることがあれば、言ってください」
「あなたたちに何ができるの」
「分かりません」
ネネは正直に言った。
「でも、できることを探します」
ユリウスはネネを見た。
また同じことを言っている。
できることが少なくても、何もしない理由にはならない。
エマは長く迷ったあと、白塔原簿を閉じた。
「3日だけ」
「何がですか」
「3日考える。それまで、誰にも言わないで」
「分かりました」
ネネは頷いた。
ユリウスも微笑んだ。
3日後まで待つつもりはなかった。




