第21話 崩れる塔
白塔は、内側から崩れ始めていた。
壁を走る術式が赤く明滅し、そのたびに石床が揺れる。天井から落ちた砂埃が、地下室を白く曇らせていた。
「急げ!」
ダリオがミロを背負った。
意識のない少年の両腕を自分の肩へ回し、落ちないように片手で支える。
もう1人の少女は、自分で立つことができなかった。
ネネが肩を貸しているが、身体の大きさはほとんど変わらない。2人とも足元がおぼつかず、ほとんど前へ進めていなかった。
ユリウスは、最も奥の寝台にいた少年を抱き上げた。
先ほどまで心臓の動きさえ弱かった少年である。
名前は知らない。
助ける予定もなかった。
ネネが置いていくことを拒んだから、治した。
それだけだった。
「出口は塞がれてるぞ!」
ダリオが叫んだ。
階段は途中から崩れ、大きな石材に埋まっている。
先ほどネネが入ってきた壁の亀裂も、崩落によって狭くなっていた。
人が1人、身体を横にすれば通れる程度しかない。
「そこから出る」
ユリウスは亀裂を示した。
「こいつらを運べないだろ!」
「先に生徒を外へ出して、僕たちは後から出る」
「塔がもたない」
ダリオの言うとおりだった。
壁の亀裂が伸びている。
あと数分もしないうちに、上階の重みに耐えられなくなる。
ユリウス1人なら、問題はない。
時間を止めて、全員を外へ移動させればよい。
だが、ダリオとネネが見ている。
2人を気絶させることもできるが、目を覚ましたあとで説明が難しい。
不自然にならない程度に、崩壊を遅らせる必要があった。
「ダリオ、先にミロを外へ」
「お前たちは?」
「続くよ」
「絶対だぞ」
ダリオは亀裂の前で身を屈めた。
ミロを先に外へ押し出し、自分も身体を横にして通り抜ける。
その間にも、天井から石片が落ち続けていた。
ユリウスは落下する石を見た。
ネネたちの真上に、大きな梁が傾いている。
あと数秒で落ちる。
ユリウスは少年を抱えたまま、左手の指をわずかに曲げた。
時間を止めたわけではない。
梁の重心を、ほんの少しだけずらした。
石の梁はネネたちの横へ落ち、床を砕いた。
ネネが息を呑む。
「大丈夫?」
ユリウスが尋ねた。
「うん」
そう答えたものの、ネネの顔には血の気がなかった。
少女を支える腕も震えている。
「その子を僕に」
「でも、もう1人抱えてる」
「外まで運ぶだけだよ」
「私もできる」
「できていない」
ユリウスは静かに言った。
ネネが黙る。
責めたつもりはなかった。
事実を述べただけだった。
「このままでは、全員が遅れる」
「……分かった」
ネネは少女を壁へもたれさせた。
ユリウスは抱えていた少年を一度床へ下ろし、少女を亀裂の近くまで運んだ。
外側からダリオの手が伸びる。
「引っ張るぞ!」
少女を渡す。
再び少年のもとへ戻ろうとしたとき、ネネが膝をついた。
「ネネ」
「平気」
立とうとするが、脚に力が入っていない。
ユリウスは彼女の呼吸を見た。
速く、額には汗が浮かんでいる。顔色も悪かった。
「具合が悪いね」
「少し疲れただけ」
「いつから無理をしていたの?」
「朝から」
「なぜ来たの?」
「リナが心配そうだったから」
ユリウスには意味が分からなかった。
疲れているのなら、学院に残ればよい。
リナが心配していることと、ネネが白塔まで来ることに、直接の関係はない。
「立てる?」
「立てる」
ネネは壁に手をつき、立ち上がった。
その直後、地下室全体が大きく揺れた。
亀裂の周囲が崩れ、出口がさらに狭くなる。
「先に出て」
ユリウスが言った。
「でも、あの子が」
「僕が運ぶ」
「ユリウスが最後になる」
「そうだね」
「それでは」
「ネネ」
名前を呼ぶと、彼女は口を閉じた。
「ここで倒れたら、君まで運ばなければならない」
ネネは何か言おうとした。
だが、別の崩落音に遮られた。
「早く!」
外からダリオが叫ぶ。
ネネは亀裂へ向かった。
身体を横にし、ゆっくりと外へ抜けていく。
その姿が見えなくなるまで、ユリウスは待った。
地下室には、ユリウスと少年だけが残された。
天井が落ちる。
ユリウスは時間を止めた。
石片も、砂埃も、赤く明滅していた術式も、すべてが静止する。
少年を抱き上げた。
壁の位置を書き換えて、最寄りの壁に空間をあけ、亀裂に繋げる。
最寄りの壁にたどり着き、時間を動かした。
ユリウスは落下する石の落下軸を避け、亀裂から這い出した。
「ユリウス!」
ダリオが駆け寄る。
「遅い!」
「中の壁が崩れたんだ」
「無事でよかった」
ダリオは泣きそうな顔でユリウスを見た。
だが、すぐに抱えた少年を下すのを手伝った。
丘の下から、複数の灯りが近づいてくる。
塔の警報を聞いた学院の教師たちだった。
「ネネは?」
ユリウスは周囲を見た。
少し離れた木の根元に、ネネが座り込んでいる。
救出した少女へ自分の外套を掛け、肩を抱いていた。
自分も震えている。
「寒くないの?」
ユリウスが近づくと、ネネは顔を上げた。
「この子のほうが寒そうだったから」
「君も震えているだろう?」
「少し寒いだけ」
また、自分のことを小さく扱う答えだった。
「少しではないよ」
ユリウスは自分の外套を脱ぎ、ネネの肩へ掛けた。
ネネが驚いたように見上げる。
「ユリウスが寒くなる」
「僕は平気だよ」
「でも」
「僕より、君のほうが先に倒れる」
ネネは外套の襟元を握った。
「ありがとう」
ユリウスは頷いた。
近づいてきた教師たちが、生徒の救護を始める。
白塔は完全に崩れ、白い石材が雪の上に散らばっていた。
その下に、まだ多くの記録が残っている。
グレゴール・エイムズは逃げた。
ベルトランは眠り薬によって意識を失っていたが、崩落前にダリオが外へ運び出していた。
事件は、まだ終わっていない。
「ユリウス」
ネネが外套の中から言った。
「何?」
「あの子も、助けてくれたんだね」
最も奥の寝台にいた少年を見ている。
「助けたのは、皆だよ」
「でも、ユリウスが運んでくれた」
「置いていくと、君が残ると言うから」
ネネは少し困ったように笑った。
「それでも、ありがとう」
ユリウスは答えなかった。
少年を助けたことには、今も価値を感じていない。
ただ、ネネが嬉しそうにしている。
それを見て、助けたことを無駄だったとは思わなかった。




