第20話 白塔
観測塔は、王都の外壁に近い丘の上に建っていた。
長く使われていないはずだったが、窓の1つから淡い光が漏れている。
周囲の雪には、複数の足跡があった。
「人がいるな」
ダリオが剣を抜いた。
「裏へ回ろう」
「先生を呼ぶのが先だ」
「中にミロがいるかだけ確認する」
「話が違うぞ」
「確認しなければ、先生も動かないかもしれない」
「俺は戻る」
「戻っている間に、移されるかもしれないよ」
ダリオは舌打ちした。
「お前は、いつもそれだな」
「何が?」
「断りにくいことを言う」
ユリウスは答えず、塔の裏手へ向かった。
地階に、小さな搬入口がある。
扉には簡単な警報術式が張られていた。
ユリウスなら触れずに消せる。
だが、ダリオが見ている。
「壊せそう?」
ユリウスが尋ねると、ダリオは術式を睨んだ。
「時間をかければ」
「任せるよ」
「お前も少しは手伝え」
「僕が触ると、暴発するかもしれない」
「魔法実技61位だったな」
「よく覚えているね」
「腹が立つくらい普通だからな」
ダリオは悪態をつきながら、警報術式を解除した。
扉の内側には、地下へ続く階段があった。
冷たい空気が上がってくる。
薬品と血の臭いがした。
*
地下には、6つの寝台が並んでいた。
そのうち3つに、生徒が寝かされている。
胸元には管が刺され、魔力が淡い光となってガラス容器へ流れ込んでいた。
「ミロ」
ダリオが駆け寄る。
最も奥の寝台に、小柄な少年がいた。
顔色は白い。
呼吸は弱いが、生きている。
ほかの2人は、過去に退学した奨学生だった。
1人は意識がない。
もう1人は目を開けていたが、声を出す力も残っていない。
「管を外すぞ」
「待って」
ユリウスが止める。
「何だ」
「術式とつながっている。急に外すと、心臓が止まるかもしれない」
「なら、どうする」
「先生を呼ぶ」
「今さらか?」
「場所が分かったからね」
ユリウスは室内を見回した。
壁には、抽出された魔力を上階へ送る術式が描かれている。
この施設は、学院の大結界が損傷した際に、外部から魔力を補うために使われていたらしい。
冬至祭後、結界の修復には膨大な魔力が必要だった。
学院の誰かが、後ろ盾のない生徒を犠牲にして補っている。
個人の利益ではない。
学院と王都を守るための行為だった。
その点では、ユリウスと考え方が近い。
必要なものを残し、価値の低いものを切り捨てる。
「誰か来る」
ダリオが剣を構えた。
階段から足音が下りてくる。
ベルトランと、白衣を着た男が現れた。
白衣の男は、学院の治癒魔法学教授だった。
グレゴール・エイムズ。
医務室の火災後、負傷者の治療を指揮した人物でもある。
「生徒が、ここで何をしている」
グレゴールは驚かなかった。
「この子たちを放せ」
ダリオが言う。
「何も知らないのだな」
教授は静かに答えた。
「彼らの魔力で、学院の結界は維持されている。今止めれば、王都を守る術式が崩れる」
「だからって、生徒をさらっていいのか」
「3人の命と、数十万の命だ。比較する必要さえない」
ダリオの顔に怒りが浮かぶ。
ユリウスは教授を見た。
理屈は理解できた。
自分でも同じ選択をする可能性がある。
違いは、教授が発覚した後の処理を考えていなかったことだった。
「退学した6人は?」
ユリウスが尋ねる。
「ここにいない者は、どうなったんですか」
教授は答えなかった。
その沈黙で十分だった。
「先生を呼ぶ」
ダリオが後退した。
ベルトランが杖を向ける。
ユリウスは、持っていた瓶を床へ落とした。
ガラスが割れる。
透明な薬が飛び散った。
「何を――」
ベルトランの言葉が途切れた。
薬が靴と手へ付着している。
彼は数歩よろめき、床へ倒れた。
グレゴールは即座に防御結界を張った。
「生徒が、このような薬を」
教授の視線がユリウスへ向く。
「お前は何者だ」
「平均的な生徒です」
ユリウスは答えた。
その背後で、警報の鐘が鳴り始めた。
薬瓶が割れた際、床の術式へ触れたらしい。
塔全体が振動する。
「逃げるぞ!」
ダリオがミロの寝台へ手を伸ばした。
「管は外せない」
「このまま置いていけっていうのか!」
「先生を呼べばいい」
「間に合わなかったら?」
天井から石片が落ちた。
塔の術式は、侵入者を閉じ込めるため、自壊を始めている。
階段が崩れた。
出口が塞がれる。
グレゴールは壁の隠し通路へ向かって走った。
自分だけ逃げるつもりだった。
「待て!」
ダリオが追おうとする。
「放っておいて」
ユリウスが言う。
「何?」
「生徒を助けるほうが先だよ」
教授が逃げても、顔と名前は分かっている。
追う必要はない。
ユリウスは寝台を見た。
3人すべてを安全に運ぶには、時間が足りないように見える。
ミロはまだ回復する可能性が高い。
隣の少女も、適切な治療を受ければ助かる。
最も奥の少年は、すでに臓器の損傷が進んでいた。
助けるには、ユリウスが直接治療する必要がある。
そうすれば、ダリオに力を見られる。
選ぶ必要があった。
「ミロと、その子を運ぶ」
ユリウスは少女を示した。
「奥のやつは?」
「間に合わない」
「まだ生きてる!」
「3人を運べば、全員が崩落に巻き込まれる」
「だからって」
「誰かを選ぶしかない」
ユリウスは静かに言った。
ダリオが拳を握る。
合理性は理解している。
受け入れられないだけだった。
そのとき、崩れた階段の向こうから声がした。
「ユリウス!」
ネネだった。
「どうしてここに」
「リナから聞いたの」
壁の亀裂から、小柄な身体が入ってくる。
息を切らし、顔色も悪い。
それでも、奥の寝台へ向かった。
「その子は置いていく」
ユリウスが言う。
「まだ生きてる」
「助かる可能性が低い」
「低くても、あるんでしょう?」
「運べば、君まで逃げ遅れる」
「では、手伝って」
ネネは管へ手を伸ばした。
「触らないで」
「どうすれば外せるの?」
「君にはできない」
「なら、ユリウスが外して」
ユリウスはネネを見た。
「僕たち全員が死ぬかもしれない」
「それでも置いていけない」
「知らない人だよ」
「名前を知らないだけで、人でしょう?」
天井が大きく揺れた。
石が落ちる。
ネネは奥の少年へ覆いかぶさった。
自分の身体で庇おうとしている。
ユリウスには理解できなかった。
また同じだった。
力もない。
助かる方法も知らない。
それでも、見捨てるという選択だけはしない。
見捨てたなら、ネネは悲しむだろう。
「本当に、どこまでお人よしなんだろうね」
ユリウスは呟いた。
「何か言った?」
「何でもない」
ユリウスは少年の胸へ手を置いた。
ダリオとネネから、手元が見えない位置だった。
ほんの一瞬だけ時間を止める。
損傷した臓器を戻す。
管をつないでいる術式をほどく。
完全には治さない。
運んでも死なない程度まで。
時間を動かすと、少年が大きく息を吸った。
管が自然に外れたように床へ落ちる。
「外れた」
ネネが驚いた声を出す。
「術式が崩れたみたいだ」
ユリウスは少年を抱き上げた。
「僕が運ぶ」
「3人とも助けられる?」
「今ならね」
ネネが笑った。
こんな状況でも、嬉しそうだった。
ユリウスは、その表情を見た。
助けたかったのは少年ではない。
ネネが、この場で死ぬことを避けたかった。
ネネに、少年を見捨てた記憶を残したくなかった。
なぜそう思ったのかは、まだ分からなかった。
塔が崩れ始めた。
ユリウスたちは3人の生徒を抱え、壁の亀裂へ向かって走った。




