第14話 冬至祭
冬至祭の日、学院は朝から人であふれていた。
正門には王国旗が掲げられ、中央広場には露店が並んでいる。
制服姿の生徒たちは、演武や研究発表の準備に追われていた。
普段は立入を制限されている貴族や王宮の役人も、学院内を歩いている。
オズワルドの姿は、朝から見えなかった。
結界の更新準備のため、時計塔にいるのだろう。
「ユリウス、見て」
リナが、以前渡したものより強い護符を差し出した。
以前のものより、少し大きい。
中央の石も青から緑に変わっていた。
「もう1つ作ってくれたの?」
「冬至祭は人が多いから。前のものより、強い結界が出るようにしたの」
「ありがとう」
ユリウスは受け取り、首に掛けた。
必要はない。
それでもリナは満足そうだった。
「似合ってる」
「護符に似合うも何もあるの?」
「あるよ」
リナは笑った。
少し離れた場所で、ダリオが呆れた顔をしている。
「見せつけるなら、俺のいないところでやれ」
「何を?」
「その反応、本気なのか」
ユリウスは首を傾げた。
リナの頬が赤くなった。
「ダリオ、余計なこと言わないで」
「俺が悪いのか?」
「大体、いつもダリオが悪いよ」
ネネが言った。
彼女は祭りの飾りを胸元につけていた。
白い花をかたどった、小さな布飾りだった。
「ネネまで?」
「今日は、リナの味方」
「昨日は俺の菓子を食べただろ」
「それとこれは別」
ネネが笑う。
ダリオは納得できない顔をしながら、露店で買ったパンを齧った。
ユリウスは3人を見た。
祭りの喧騒。
笑い声。
広場を歩く人々。
間もなく、この場所に深淵の門が開く。
オズワルドの計画どおりなら、ここにいる者の多くが死ぬ。
ユリウスは、それを知っている。
知らせてはいない。
自分なら止められるからだ。
全員を助けられるとは限らない。
だが、必要な者は助けられる。
「ユリウス?」
ネネが顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
「また難しい顔をしていた」
「夜の儀式のことを考えていたんだ」
「楽しみ?」
「そうだね」
ユリウスは笑った。
*
結界の更新儀式は、日が沈んだあとに始まった。
学院中央にある時計塔を囲むように、生徒と来賓が集まっている。
学院長が祭壇の前に立った。
王宮の魔術師たちは、塔を囲む5つの位置で杖を掲げている。
鐘が9回鳴った。
学院を覆っていた結界が、ゆっくりと薄くなる。
空を覆う透明な膜が消えていく。
通常なら、その直後に新しい結界が立ち上がる。
だが、地面から黒い光が噴き出した。
5本の柱が、学院の空へ伸びる。
生徒たちの間から悲鳴が上がった。
「何だ!」
「術式を止めろ!」
教師たちが叫ぶ。
学院長の周囲にあった魔法陣が黒く染まった。
空に亀裂が生じる。
ひび割れの向こうに、暗い空間が見えた。
森林で深淵種が這い出した穴と同じ色だった。
「予定どおりだ」
時計塔の上から、オズワルドの声が響いた。
灰色の外套が風になびいている。
「この学院を、偽りの王国を、深淵へ返す」
生徒たちが逃げ始めた。
狭い通路へ人が殺到する。
転んだ者が踏まれ、叫び声が重なった。
「落ち着け!」
ダリオが声を張り上げる。
「走るな! 順番に出ろ!」
リナは転んだ下級生を助け起こしていた。
ネネも、人の流れから外れた幼い生徒の手を引いている。
ユリウスは空を見上げた。
図書館の針に仕込んだ術式は、正しく作動している。
深淵の力は5本の柱を通って流れ込み、その一部が逆流を始めていた。
まだ足りない。
オズワルドと共犯者が逃げられない程度まで、門を開かせる必要がある。
空の亀裂から、黒い腕が伸びてきた。
人の腕に似ている。
だが、指は7本あった。
腕が広場へ振り下ろされる。
教師たちが防御結界を張る。
衝撃で地面が揺れた。
結界の一部が砕け、人々が吹き飛ばされる。
「ネネ!」
リナの声がした。
振り返る。
崩れた石柱の下に、ネネがいた。
子供を突き飛ばし、自分が逃げ遅れたらしい。
柱が片脚を押さえている。
黒い腕が、再び持ち上がった。
次はネネのいる場所へ落ちる。
ユリウスは周囲を見た。
教師たちは門を閉じるための術式に集中している。
ダリオは逃げる生徒を誘導している。
リナがネネのもとへ走ろうとしていたが、人の波に阻まれていた。
ネネを助けることはできる。
時間を止めればよい。
だが、今は多くの高位魔術師がいる。
大きな干渉をすれば、確実に痕跡が残る。
門を閉じるための仕込みにも影響する可能性がある。
助ける必要があるか。
ユリウスは考えた。
ネネの力は弱い。
学院にとって、重要な生徒ではない。
彼女を助けるために、自分の秘密が危険にさらされる。
合理的ではなかった。
黒い腕が落下を始める。
ネネは逃げなかった。
近くに倒れている子供を、自分の身体で庇っている。
ユリウスは指を動かした。
世界が止まった。
人々の叫び声が消える。
黒い腕も、地面へ届く直前で静止した。
ユリウスはネネのもとへ歩いた。
石柱を持ち上げ、彼女の脚を外す。
ネネが庇っていた子供ごと、安全な位置へ移動させる。
黒い腕の落下地点を変える。
誰もいない場所へ。
それだけなら、干渉の痕跡は小さい。
だが、ネネの脚には深い傷があった。
このままでは、大量に出血する。
治せば痕跡が増える。
ユリウスは傷へ手を触れた。
切れた血管だけをつなぐ。
骨折は残した。
痕跡が残る可能性より、ネネが死ぬ可能性のほうを取り除いた。
なぜそうしたのかは、考えなかった。
元の位置へ戻り、時間を動かす。
黒い腕が地面へ激突した。
誰もいない石畳が砕ける。
ネネは、先ほどまでとは違う場所に倒れていた。
周囲の者は衝撃で飛ばされたのだと思うだろう。
「ネネ!」
リナが駆け寄る。
「大丈夫?」
「脚が……」
「動かしたらだめよ!」
ユリウスは空を見上げた。
門の亀裂が最大まで開いている。
オズワルドの笑い声が響いた。
今だった。
ユリウスは、図書館の針に仕込んだ術式を作動させた。
5本の柱のうち1本が、白く変わる。
深淵の力が逆流した。
「何だ?」
オズワルドが叫ぶ。
黒い光が時計塔へ集まっていく。
共犯者たちの身体から、魔力が吸い上げられた。
門を開くために用意された術式が、術者自身を生贄として認識し始める。
「止めろ!」
「できません!」
時計塔の上で、男たちが倒れた。
オズワルドが杖を振り、術式を切り離そうとする。
学院長と王宮の魔術師たちが、その隙を逃さなかった。
5つの光が時計塔へ向かって放たれる。
オズワルドの防御結界が砕けた。
彼の身体が塔から落ちる。
空の亀裂が閉じ始めた。
黒い腕が引き戻される。
教師たちの術式が重なり、門を押しつぶしていく。
最後に残った亀裂が閉じたとき、学院全体が大きく揺れた。
それから、静かになった。
冬至祭は終わった。
広場には、泣き声と負傷者の呻きだけが残っていた。




