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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
18/40

鎗ヶ崎の交差点⑱

 渋谷に来たのは数年ぶりだった。

 高校の時には意味もなく毎日訪れていた街で家からも近かったが、いつしか寄り付かなくなっていた。

 音源のデータ化により、レコード店が相次いで閉店し渋谷に来る必要がなくなり用がなくなったこともあるが、来なくなった最大の理由は、この街にいる恥ずかしい過去の自分に会いたくなかったからだろう。

 自分の叶えられなかったDJが活躍しているクラブ。大人の男達にその差を見せつけられて未熟さを知ることになったスペイン坂。この街には辛い夢の残り香と恋の傷が残っていて意図的に避けてきた。

 だから渋谷駅に降り立った時には少し緊張感があった。あの頃のことを思い出してしまうのではないか。しかも待ち合わせの相手はあの知花だ。さらに嫌な思い出がこの街にできてしまったら、僕はもう二度と足を踏み入れることはできないと大袈裟に考えていた。

 しかし渋谷の街を歩いてみると妙な感慨は生まれなかった。単に僕が歳をとったせいもあるのかもしれないが、さすがに流行の発信地だけあってそこにいる人も建物も何もかもが数年の間に様変わりしてまるで違う街に来たような感覚になった。

 知花と再会できたことで、やっと昔の情けない自分を清算できたと思い込んでいたのも理由の一つだったのだろう。今はもう仕事もしているし、普通に収入もある。それなりに経験も積んだ。着ている服もあの頃のように古着ではなく真新しいエデイフィスで買った濃紺のシャツに変わった。今の自分なら、あんな情けない思い出をぶり返しても感傷に浸る事はないし、知花に自分との差を思い知らされることもないだろうと。

 それでもクラブに行くのは少し気後れした。あの知花と行くクラブ。苦い思い出を忘れたわけもない。しかし、あの時の自分とは違うという虚勢をどうにか後押しにして、僕は人波を泳ぎ道玄坂を登った。

 待ち合わせ場所の道玄坂沿いのチェーンのコーヒー店は混んでいたが、どうにか二人席を確保することができた。

「もうすぐ着く」

 知花からのラインを見ながら、僕は自分の成長をどうやって知ってもらうかを考えていた。今の自分を彼女が認めてくれさえすれば僕達は上手く行く。それがこの十年の空白の意味だと、街を歩く若者を見下ろしながら自分に言い聞かせていた。

「ごめん。遅くなっちゃった」

 不意に、後ろから変わらずに好きな声が聞こえた。振り向くとそこに知花がいた。

 彼女は花柄のワンピースの上にダブルのライダーズを羽織っていた。時間はまだ昼の三時で早い時間だったがクラブという場所に相応しい格好で現れた。

赤い口紅を塗った知花は、外人のような顔も合間ってスペインの踊り子のようだった。僕は一瞬でその姿に魅了されてしまった。

 さっきまで考えていた自分の成長を誇示したいという気持ちは簡単に失せてしまった。知花は僕が大人になった幅よりもはるかに美しさを増していて、僕はそれを認めてしまった。

「行こうよ」

 しばらく見つめてしまっていた僕を急かすように知花が言った。

「あ、うん」

 知花について店を出ると、多くの男達の視線が彼女に向いているのがわかった。僕は十年前と同じように彼女の隣で気持ちを背伸びさせて歩いた。

道玄坂の途中にあるクラブの前には昼間とは思えないほどの行列ができていた。しかし昔のように知花は列を越してゲスト専用の受付に向かうことなく最後尾に並んだ。

「あれ?知り合いのイベントじゃないの?」

「違うよ。クラブなんて久しぶりだし」

「そう」

 僕は心底安心して列が進むのを待った。ようやく中に入れたのは並び始めてから三十分も後のことだった。

 ラム酒のイベントだけあってクラブ内はカリブの陽気な音楽が流れていた。フロアにいる客のダンスは緩く、ステージではステイールパンの演奏者が南国らしい音を奏でていた。

 別フロアでは、各メーカーが自社のラム酒のブースを作っていて、入場料さえ払えば飲み放題だった。

 早速僕らはラム酒の試飲を始めた。カリブ海の様々な島のラムに加えて、日本産のラムも試飲ができた。陽気な音楽のせいか物珍しさからか、僕らは普段ではありえない早さで試飲をし、一気に酔っ払った。知花の肌は赤く染まり、まるで南国に咲いたハイビスカスのようだった。

 横にいる知花を眺めながら、僕は十年越しで訪れた理想の実現に酔いしれていた。十年前、僕はあのクラブでこうやって知花と酒を飲んで一緒に過ごしたかった。しかしあの時の僕らには如何ともしがたい差があった。そしてやっと十年の月日を経て実現することができた目の前の光景に陶酔していた。

「何?」

「いや、なんでもない。かなり飲んだね」

「一応仕事で来たのに、もうどれがどこのラムだかわからなくなっちゃった」

「俺も覚えてない」

 互いに見つめ合って笑った。なんでもない事でも笑えるほど、僕らは酔っ払っていた。そしてとても幸せだった。

 ほとんどのラム酒を試飲して、ステイールパンのライブを見終わった頃、知花が言った。

「この後はどうしようか?」

「まだ十七時だもんね。もう一軒行こうか」

 すると知花が無邪気な笑顔を浮かべた。

「ねえ、最近映画とか見た?」

「え?映画?見てないな」

「じゃあ見に行こうよ」

「これから?」

「うん。最近お店忙しくて全然そう言うの行けなくて」

「観たい映画あるの?」

「ない。そこは任せる」

「わかった。文句は言わないように」

 僕は早速スマホで上映中の映画を探して予約した。

「予約したよ」

「何観に行くの?」

「アニメ」

「まさかアナ雪?」

「そう。だめ?」

「実は見たかったの。行こう」

 六本木に向かうため、クラブを出てタクシーに乗った。

 タクシー内でも、僕らはずっと気分が良くてどうでもいいことに笑い合っていた。まるで十代で初めて付き合ったカップルのように。いい歳をしてなんてことは考えなかった。僕らは、少なくとも僕は知花といる時間が楽しくて幸せでこの先の未来すら感じていた。

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