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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
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鎗ヶ崎の交差点⑫

 夢を諦め、結局は何も手にいれることができず、手放したものの方が多くなってしまった自分の人生。僕は暗澹とした気持ちで社会人になった。しかし遅く始まった社会人生活はことのほか順調に進んだ。

 バカみたいに意地を張って、サラリーマンにはならないと決めていたが、実際になってみると金銭的なストレスがなくなり、一人暮らしの気軽さも手伝って悪くなかった。

 こんな自分が社会に出てやっていけるのかと不安もあったが、五年ものフリーター生活と夜の街での、特にあのカフェでの個性的な客たちとの交流のおかげで仕事場の人間関係に慣れるのにも時間はかからなかった。

 音楽に対しての思い入れは残ってはいたがたまに友人の結婚式の二次会などでDJをする機会はあり、そんな場所でのプレイでも満足だった。自分が理想としていた音楽との関わり方ではなかったが、音楽で生活すると意地を張っていた時よりも楽しんでDJをできるようになった。

 三宿のカフェでのDJがなくなった後の僕の音楽活動は最悪だった。成功しなくては。いいところを見せなくてはと必死で、いつも心に余裕がなく楽しんで音を奏でることはできなかった。あのまま音楽を続けていても成功しなかっただろう。音を楽しめなくなった人間が音で食べていけるわけがない。

 最初に入った企業に慣れて二年が経つと転職をした。世の中は人材不足になり転職ブームが始まり、僕らの世代は売り手市場となっていた。

 転職して給料も上がった事で、さらに余裕ができると僕はバカみたいに遊び始めた。二十代の頃に溜まっていた鬱屈したものを一気に吐き出すように毎週のように女性達との出会いの場に赴くようになった。

 生活に余裕ができて自分に自信もついてきた頃だった。三軒茶屋に住んで細身のスーツを着て、しかも音楽の話ができてDJをやっていたという過去が僕をいい男に見せていたのだろう。

 特に若い大学生の女性達からは引く手数多だった。彼女達は、僕らを余裕のある大人だと思い込んで近づいてきた。お金もあり人脈もあり、遊びやチャンスを与えてくれる存在だと勘違いをして。

 彼女達はどんなに遅い時間でも呼び出せば僕らの元に来て華やかな世界を作ってくれた。そして彼女達が僕の無意味に遊ぶ日々を正してくれた。

 何人かの友人達と六本木のクラブのVIPルームを予約したその日も僕らはいつも遊んでいた女子大生を呼んだ。バカみたいにボトルを開けて盛り上がってフロアのDJを気にする事もなかった。まだ家にDJ機材はあったが、この頃にはプレイする事すらなくなりただの飾りと化していた。

 狂乱の中でVIPルームを出てトイレに向かった。その途中でなんとなしにフロアを覗くと、若いDJが必死にプレイしている姿が見えた。僕はその光景をしばらく眺めていた。ふと、あの時が懐かしくなった。同時に知花のことが頭を掠めた。

 すると、遊んでいた女子大生の一人がVIPルームから出てきた。彼女は高いヒールを履いてとても歩きづらそうに僕に近づいて来て言った。

「ねえ。何してるの?」

「いや別に」

「ふーん。ねえ、なんか面白いことないかなあ」

 彼女は何かを探すかのように虚空に視線を漂わせていた。

「面白いこと?」

「うん。私ね、やりたことがないんだ。もう少しで学校も卒業なんだけど、就職もしたくないし」

 どこかあの頃の知花に似ていると思った。きっと彼女もこうやって大人の男性達に相談をしていたのだろう。自分をあの無機質な部屋から連れ出してくれる何かを求めて。

「旅行とか行きたいな。海外とか。そうだ。みんなで行こうよ。連れてって」

 腕を絡ませて来た彼女の身体から冷たい体温を感じた時、僕は自分が嫌な大人になっていることに気づいた。彼女達が何を求めているかをわかっていながら、ただいいように利用している自分が酷く汚れてしまったような気がした。

 全てを持っているように見せて、彼女達に期待をさせて結局は何も与えられない。旅行に連れて行くほどの経済力なんて本当はないのだ。VIPルームだって自分の金ではなく収入のいい友人が全て支払っていた。あの時の佐々木や他の大人達の方がましだっただろう。少なくとも彼らは知花にモデルの仕事や人脈を与えていたはずだ。

 僕は本当にただ普通の何も目的のない大人に成り下がってしまった。そんな自分が許せなかったし惨めだった。

 若いDJの姿を見てしまったせいもあるのかもしれない。正直、とても羨ましいと思ってしまった。要領よく社会人生活をおくってきたが、満たされないものがあった。それは埃をかぶっていく自分の家のターンテーブルを見る度に感じていたことだ。要領よく社会人生活をおくってきたが、そこには情熱も何もなかった。

 急に夢を諦めてからの日々が無意味なもののように思えた。そしてこの先何をしたらいいのかわからなくなってしまった。僕は彼女の腕をそっと外して言った。

「今日は帰るよ。あまり背伸びしないように。それからあのDJ。けっこうかっこいいよ」

 僕は一人でクラブを出た。真夜中の六本木の据えた匂いに自分の汚れを浮き彫にされるとさらに不快な気分になった。

 タクシーが246号線に向かって鎗ヶ崎の交差点を右折する時、不意にまた知花のことを思い出した。彼女は今、何をしているのだろうか。あの頃いた大人達に無機質な部屋から連れ出されてしまったのだろうか。遠ざかってゆく交差点を背中に、僕は知花の今の想像にふけって現実を遠ざけようとしていた。

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