第6話 浮遊術
「では次に、浮遊術を覚えてもらいます」
ララエルが言った。
俺とゴゴゴ・ザ・シャインは、少しだけ期待していた。
さっきまで散々、羽だけではまともに飛べないと言われ続けたのだ。
今度こそ、ちゃんと空を飛ぶための術であってほしい。
「浮遊術は、基本的に体重が三十キロを超える天使が使う術です」
「三十キロ?」
俺は思わず聞き返した。
「はい」
「それ、ほとんど全員だろ」
「子供や、かなり小柄な方は羽だけでも飛べますから」
「じゃあ大人にはほぼ必須じゃないですか」
「そうですね。特に、お二人のようなデブ――」
「今デブって言いました?」
ララエルが止まった。
「……すみません」
一度、咳払いする。
「お二人のような、体重のある方にはよく使われます」
「完全に言い直しただけですよね」
「はい」
「認めるんだ」
ハゲだの軽量化だの。
今度はデブだの。
見た目だけなら、本当に天使そのものなのに。
ララエルに対する俺のイメージが、少しずつ崩れてきていた。
「それで」
俺は話を戻す。
「これを覚えれば飛べるんですか?」
「飛べません」
「早いな」
「浮遊術で浮けるのは、せいぜい数十センチです」
「それだけ?」
ララエルが実演する。
体がふわっと持ち上がった。
足が雲から三十センチほど離れたところで止まる。
「この程度です」
「……地味ですね」
ゴゴゴ・ザ・シャインが言った。
「重要なんですよ」
「何に?」
「落下を止めるのに」
俺は嫌な予感がした。
「落下?」
「はい」
ララエルは雲の端を指差した。
「地上へ行く時は、基本的にここから飛び降ります」
「……はい?」
「飛び降ります」
「天使ですよね、俺たち」
「はい」
「飛ぶんじゃなくて?」
「落ちます」
俺とゴゴゴ・ザ・シャインは、そろって雲の端を見た。
その下には何もない。
はるか下に地上があるだけだ。
「いやいやいや」
俺は一歩下がった。
「なんで天使なのに、こんな雑な移動方法なんですか!」
ゴゴゴ・ザ・シャインも珍しく強い口調で言う。
「普通は、もう少し安全な方法があるんじゃないですか?」
ララエルは平然と答えた。
「それは、お二人がデブだからです」
「またデブって言った!」
「さっき訂正したでしょう!」
「あ」
ララエルが少しだけ目を見開く。
「すみません。訂正するのを忘れていました」
「忘れるなよ!」
「お二人のような、太っている方だからです」
「言い換えただけでしょう!」
ゴゴゴ・ザ・シャインが少し傷ついた顔をする。
「もう少し柔らかい表現はないんですか?」
「体重が三十キロを超えている方?」
「それでお願いします」
俺は少し考えた。
三十キロを超える。
それだけで羽ではまともに飛べない。
浮遊術が必要になる。
そして地上へ行く時は落とされる。
「……なるほど」
「何がです?」
「この世界では、三十キロ超えたらデブなんだな」
「そういう意味ではありませんよ」
「でもデブだから落ちろって言われてるんですよね?」
「簡単に言えば」
「やっぱりそうじゃねえか!」
どうやら天界では、
飛べないのは羽が悪いんじゃない。
デブな方が悪いらしい。
俺は勝手にそう納得することにした。
するとララエルが、少し残念そうに俺たちを見る。
「お二人がもっと軽ければ、そもそも浮遊術を覚える必要もなかったんですけどね」
「え?」
「羽だけで飛べますから」
ララエルは小さくため息をついた。
「そうすれば、私も教えることが一つ減ったんですが」
「ちょっと待て」
俺はララエルを見る。
「今、俺たちが悪いみたいに言いましたよね?」
「体重が軽ければ必要なかった研修ですから」
「教育するのがあなたの仕事でしょう!」
「そうですけど」
「そうですけど、じゃない!」
ゴゴゴ・ザ・シャインも珍しく俺に同意した。
「私たちが痩せていたら楽だった、というのは教育担当としてどうなんです?」
「私も少し楽でした」
「本音を言わないでください!」
ララエルはにこっと笑った。
「ですから、浮遊術はしっかり覚えてくださいね」
「なんか納得いかないな……」
太っているせいで飛べない。
太っているせいで落とされる。
その上、太っているせいで教育担当の仕事まで増やしているらしい。
そこまで俺たちの責任にされても困る。
「それより」
俺はもう一度、雲の下を見る。
「これ、地面にぶつかったらどうなるんです?」
「死にはしません」
「じゃあ安全?」
「ものすごく痛いです」
「安全じゃないじゃん!」
ララエルは平然と続ける。
「天使の体は、地面に激突した程度では壊れません。骨折もしませんし、血も出ません」
「へえ」
「内臓が傷ついたりもしません」
「じゃあやっぱり大丈夫なんじゃ――」
「痛みは普通にあります」
「そこだけ残るの!?」
「はい」
ララエルがうなずく。
「勢いよく地面へ激突すれば、しばらく動けなくなるくらい痛いですよ」
「嫌だ!」
ゴゴゴ・ザ・シャインも雲の端から少し離れた。
「つまり、死なないだけなんですね」
「そうですね」
「それを安全とは言わないでしょう」
「ですから浮遊術を使います」
ララエルが説明を続ける。
「目的地の上空まで来たら、そのまま落下してください」
「そのまま……」
「そして地面へ着く少し前に、浮遊術を使います」
ララエルが片手を上から下へ動かす。
そして。
ぴたり。
地面すれすれで止めた。
「こうして落下を止めます」
「パラシュートみたいなものですか?」
「もっと急に止まりますけどね」
「そんな急に止まって痛くないんです?」
「浮遊術で止まった場合は、ほとんど痛くありません」
「じゃあ絶対使う」
「初心者のうちは、そうしてください」
「初心者のうちは?」
嫌な言い方だった。
「慣れてくると、面倒がって使わない方もいますので」
「地面に激突するんですよね?」
「はい」
「ものすごく痛いんですよね?」
「はい」
「なんで使わないの?」
「面倒だからです」
「天使って思ったより雑だな!」
浮遊術の練習自体は簡単だった。
「体をほんの少し上へ持ち上げる感じで意識してください」
「こう?」
俺は言われた通りに集中する。
ふわっ。
「おお」
足が雲から二十センチほど離れた。
少し不安定だが、確かに浮いている。
「できましたね」
隣を見る。
ゴゴゴ・ザ・シャインも三十センチくらい浮いていた。
「これで合格ですか?」
「はい」
「早っ」
「重要なのは、浮くことそのものではありませんから」
ララエルが再び雲の端を指差す。
「飛び降りる勇気の方です」
「そんな天使の訓練嫌なんですけど」
「慣れますよ」
「何回も飛び降りる前提なんですね」
「仕事ですから」
俺は雲の下を覗いた。
怖い。
ものすごく怖い。
死なないと分かっていても、怖いものは怖い。
しかも失敗しても死ねない。
ただ、ものすごく痛い。
余計に嫌だった。
「ちなみに」
俺は雲の端から離れながら聞いた。
「横方向はどうやって目的地まで行くんです?」
「風に乗ります」
「風任せ?」
「基本的には」
「……天使なのに?」
「天使でもです」
「じゃあ、ここから落ちて、風に流されて、目的地の上空まで行く?」
「はい」
「それから地上まで落ちる?」
「はい」
「最後に浮遊術で止まる?」
「その通りです」
想像していた天使の飛行とは、だいぶ違った。
ゴゴゴ・ザ・シャインが手を上げる。
「一ついいですか?」
「どうぞ」
「地上へ行く方法は分かりました」
「はい」
「帰りは?」
ララエルが笑った。
「それは上昇術を使います」
俺たちは顔を見合わせた。
「また別の術?」
「はい」
「行きは落ちるだけなのに、帰りはちゃんと上がれるんだ……」
「天界に戻る必要がありますから」
俺はため息をついた。
ハゲを軽量化と呼び。
人をデブ呼ばわりし。
俺たちが重いせいで自分の仕事が増えたと文句を言い。
そのうえ地上へ行く方法は、
『落ちてください』
である。
俺は改めてララエルを見る。
白い服。
白い羽。
いかにも天使らしい顔。
見た目だけなら完璧だ。
でも。
どうやらこの天使、
見た目が先だったらしい。
完全に見た目詐欺だった。




