第4話 もうその名前ではありません
「その名前は、もう使ってはいけません」
ララエルはさっきまでとは違って、かなり真面目な顔をしていた。
俺は思わず聞き返した。
「使っちゃ駄目って、どういうことです?」
「そのままの意味です」
ララエルが俺を見る。
「御手洗大介という人間は、もう亡くなりました」
「……まあ、そうですけど」
「あなたは今、天使として生まれ変わっています」
ララエルは俺の右手を指した。
銀色の文字。
『フンノシエル』
「ですから、今のあなたの正式な名前はこちらです」
「いや、それは分かりましたけど」
俺は自分の手を見る。
「でも、せめて普段は大介とか」
「駄目です」
「じゃあ御手洗さんでも」
「駄目です」
「なんなら、あんたとかでも」
「それは名前じゃないでしょう」
隣にいたゴゴゴ・ザ・シャインが口を挟む。
「かなり厳しい決まりなんですか?」
「かなり厳しいです」
ララエルはうなずいた。
「現世名は、亡くなった人間の名前です。天使になった後、その名前を名乗り続けることは禁止されています」
「もし使ったら?」
俺が聞く。
ララエルは少し考えた。
「場合によっては、天使としての資格を失います」
「え?」
「最悪、そのまま成仏することもあります」
俺とゴゴゴ・ザ・シャインは黙った。
「……」
「……」
そして顔を見合わせる。
「それでもいいかな」
俺が言う。
「私もちょっと思いました」
ゴゴゴ・ザ・シャインもうなずいた。
ララエルまで少し考えた。
「まあ……その名前なら、そう思う気持ちは分かりますけど」
「担当が同意しないでくださいよ!」
「すみません」
ララエルは咳払いした。
「ただ、お二人のような方は結構いるんですよ」
「俺たちみたいな?」
「はい。何十年も使ってきた名前ですから、天使になったからといって、いきなり使うなと言われても難しいでしょう?」
「そりゃそうですよ」
「さっきまでその名前で生きてたんですから」
ゴゴゴ・ザ・シャインもうなずく。
「私も、いきなりこの名前に慣れろと言われても……」
自分の手を見る。
『ゴゴゴ・ザ・シャイン』
「無理があります」
「ですよね」
俺も強く同意した。
「特に現世へ降りた時、うっかり昔の名前を名乗ってしまうと問題になりますからね」
「問題?」
「亡くなったはずの人間が、生前と同じ名前で現れたら困るでしょう?」
「ああ……」
それは確かに困る。
俺が家族の前へ行って、
『御手洗大介です』
なんて名乗ったら、洒落にならない。
「そのため、新人教育の担当者には、必要に応じて個人ごとの禁止事項を登録する権限があります」
「禁止事項?」
「はい」
ララエルは俺たちを交互に見る。
「お二人は、かなり現世名に未練がありそうですので」
「そんな理由で?」
「事故防止です」
即答だった。
「では、登録しておきましょう」
「ちょっと待って」
ララエルは目を閉じた。
両手を胸の前で組む。
「もう始めてる!」
「少しお待ちください」
何か小さく呟いている。
俺たちの足元に、淡い光が広がった。
光はゆっくり上へ昇ってきて、俺たちの体を包む。
「……何してるんです?」
「もう少しです」
数秒後。
光が消えた。
ララエルが目を開ける。
「はい。終わりました」
「何が?」
「お二人の現世名を禁止事項として登録しました」
「勝手に?」
「必要な処置です」
ララエルは笑顔で俺を見る。
「では、昔の名前を言ってみてください」
「昔の?」
「はい」
俺は首を傾げながら口を開く。
「――」
何も出ない。
「……?」
もう一度。
「――」
口は動く。
喉も動いている。
なのに声だけ出ない。
「ちょっと待って」
もう一回。
「――、――」
無音。
「何これ!?」
隣を見る。
ゴゴゴ・ザ・シャインも試していた。
「――」
口だけがパクパク動いている。
「私も出ません!」
「でしょう?」
ララエルが満足そうにうなずく。
「現世名を口にしようとすると、そこだけ声が出なくなります」
「怖いですよ!」
「間違えて言ってしまうことがなくなったので安心ですね」
「安心できるか!」
ゴゴゴ・ザ・シャインが自分の喉を触る。
「これ、解除できるんですか?」
「必要があれば」
「では今解除してください」
「必要ありません」
「判断が早いですね!」
俺は少し考えた。
「じゃあ、昔の名前を書いたりは?」
「禁止です」
「頭の中で考えるのは?」
「それは大丈夫です」
「そこまでは取り締まらないんですね」
「そこまでしたら大変ですから」
なんだか妙に現実的だ。
ララエルは俺たちを交互に見る。
「ということで、これからは必ず正式な天使名で呼び合ってください」
嫌な予感がした。
「それに――」
ララエルは少しだけ笑った。
「せっかく天使になったんですから、自分の新しい名前にもっと自信を持ってください」
「……」
「……」
俺たちは黙った。
ララエルが俺の手を見る。
『フンノシエル』
次に、隣の手を見る。
『ゴゴゴ・ザ・シャイン』
「……ふふっ」
「笑いながら言わないでください!」
「説得力ゼロですよ!」
「す、すみません!」
ララエルは口元を押さえた。
「本当に、自信を持っていただきたいんですけど……!」
「だったら笑わないで!」
「はい……!」
必死に笑いをこらえている。
まったく信用できない。
ララエルがまず俺を見る。
「フンノシエルさん」
「……はい」
「ふっ」
「また笑った!」
「すみません!」
今度は隣を見る。
「ゴゴゴ・ザ・シャインさん」
「はい」
「ゴゴゴ・ザ……」
ララエルが止まった。
肩が震える。
「私でも笑うんですか?」
「ごめんなさい!」
「こっちはもうその名前以外使えないんですよ!」
「分かってるんですけど……!」
俺が言う。
「そっちだけじゃないですよ。俺なんてフンノシエルですよ」
「あなたは銀色だからまだいいでしょう」
「銀色だから余計目立つんだよ!」
ララエルは笑いながら何度か深呼吸した。
「大丈夫です。慣れます」
「本当に?」
「はい」
ララエルは真顔を作る。
「フンノシエルさん」
「はい」
「……ふっ」
「全然慣れてない!」
「まだ一分も経ってませんから!」
「じゃあ慣れてから呼んでくださいよ!」
「呼ばないと慣れないでしょう!」
ゴゴゴ・ザ・シャインが疲れたように言う。
「これ、研修進みます?」
「進めます!」
ララエルが手を叩いた。
「はい。名前の話はここまでです」
「本当に?」
「本当です」
ララエルは俺たちの背中を見る。
「次は、お二人が最初から気にしていたことを説明します」
俺は振り返った。
白い羽。
ゴゴゴ・ザ・シャインも、自分の羽を広げる。
「やっとこれですか」
「はい」
ララエルがうなずいた。
「飛行についてです」
俺は少しだけ姿勢を正した。
名前では散々だった。
でも、ここからは天使らしい話になる。
さすがに飛ぶことくらいは、まともに教えてもらえるはずだ。
この時の俺は、
まだそう思っていた。




