第18話 普通でした
窓口へ向かって走っている間にも、だんだん腹が立ってきた。
「絶対おかしいだろ」
冷蔵庫なし。
キッチンなし。
風呂なし。
シャワーなし。
電話なし。
「何が管理職用の高級住宅だよ」
豪華なのは見た目だけじゃねえか。
「……まあ、見た目がいいだけ俺よりマシか」
走りながら、また頭を触る。
かなり寂しくなった頭頂部。
「俺は見た目もこれだし」
そして。
「名前もフンノシエルだしな……」
家は、見た目だけは立派。
俺は、見た目も名前の響きもあまり立派じゃない。
「……比べてたら余計腹立ってきた」
でも。
「ちょっと前まで課長代理みたいなことやってたんだぞ、俺は!」
だから何だと言われたら困るけど。
とにかく腹が立つ。
◇◇◇
天界運営局、住宅管理部。
そのまま急いで走り、住居関係を担当している窓口へ着いた。
「すみません!」
「はい」
受付の天使が不思議そうにこっちを見る。
「ずいぶん息を切らされていますが、どうされたんですか?」
「走ってきたんですよ!」
「走って?」
「はい!」
受付の天使が俺を見る。
そして。
少し視線を下げた。
「……ああ、確かに」
「何が?」
「飛んで来るのは難しそうですね」
「それ、俺が太ってるってこと!?」
「……」
「何で黙るの!?」
受付の天使が頭を下げた。
「申し訳ありません。少々、率直に申し上げすぎました」
「謝り方がおかしいだろ!」
「申し訳ありません」
「もういいです!」
俺は憮然としながら、本来の用件を話すことにした。
「今日、家をもらったんですけど」
「正確には、差し上げたわけではございません」
「そこ訂正する!?」
「管理職の方への貸与となっておりますので」
「今それどうでもいいだろ!」
「一応、大事なことですので」
「細かいな!」
「それで、お住まいに何かございましたか?」
「欠陥住宅なんですよ!」
「欠陥ですか?」
「はい!」
受付の天使が俺を見る。
そして。
なぜか視線が頭の方へ上がった。
「……確かに、見たところかなり欠陥がありそうですが」
「俺の頭じゃねえよ!」
「重ね重ね申し訳ありません。欠陥とおっしゃったので、つい目が行ってしまいました」
「だからって見るなよ!」
「それで、どのような不備がございましたか?」
「……」
まったく納得はいかなかったが、これ以上話がそれても仕方ない。
俺は本来の話を続けた。
「冷蔵庫がない」
「はい」
「キッチンもない」
「はい」
「風呂もない」
「はい」
「シャワーもない!」
「はい」
「電話もない!」
「はい」
「完全に欠陥住宅でしょう!」
「……」
受付の天使が俺を見る。
少し考えてから。
「髪もない!」
「それは住宅に関係ねえだろ!」
「……」
受付の天使が、少し得意げな顔をしている。
「今、うまいこと言ったみたいな顔するな!」
「申し訳ありません。少し流れがよかったもので」
「乗っかるなよ!」
住宅の欠陥を訴えに来たはずなのに、なぜか自分の頭部の欠陥まで指摘された。
まったく釈然としない。
それでも、俺は文句を続けた。
「でも、完全に欠陥住宅でしょう!」
「……」
何でそんな不思議そうな顔してるんだ。
「あの、フンノシエル様」
「はい」
「それが、ここでは普通です」
「……は?」
「天使用の住居には、基本的に冷蔵庫やキッチンはございません」
「何でだよ!」
「お食事をする必要がありませんので」
「またそれかよ!」
どこへ行ってもそれだ。
天使は飯を食わなくても死なない。
分かった。
それはもう分かった。
「じゃあ風呂は!?」
「必要ございません」
「必要あるだろ! 汚れるだろ!」
「汚れませんよ」
「……何?」
受付の天使が俺の天装を指した。
「天装を身につけていれば、身体は常に清潔な状態に保たれます」
「常に?」
「はい。髪の毛から足の先まで、自動的に綺麗になります」
「……」
「天使が汚れているのは、見栄えが悪すぎますので」
俺は自分の服を見る。
真っ白だ。
そういえば。
世界管理局で何日も働き続けた。
着替えなんて一度もしてない。
なのに天装はずっと真っ白だった。
「……そういうことだったのか」
「はい。ですので、お風呂もシャワーも必要ありません」
「いや、でも入りたい時あるだろ」
「そういった方は、あまりいませんね」
「そうなの?」
「はい」
天使って本当に人間らしい生活を捨ててるな。
「それと電話!」
「はい」
「電話も普通はあるだろ」
「ありませんよ」
「この家にだけじゃなくて?」
「はい。天界には、基本的に電話というものがありません」
「ないの!?」
「ありません」
「じゃあ、離れた相手に連絡したい時どうするんですか?」
「天信盤があれば、通信を行うことはできます」
「あれ使えるんだ」
「ただし、天信盤は基本的に業務用です」
「じゃあ個人的な連絡は?」
「直接会いに行きます」
「直接!?」
「はい」
受付の天使は当然のように答えた。
「一番早いのは、自分で飛んで行くことですね」
「電話するより!?」
「天使には翼がありますので」
「だから通信手段が発達しないの!?」
「人間界と比べれば、個人向けの通信手段はあまり発達していませんね」
「他には?」
「手紙を書いて送ります」
「変なところで原始的だな……」
仕事では天信盤を使う。
遠くの相手へ個人的に連絡したければ、自分で飛んで会いに行く。
それか手紙。
便利なのか不便なのか分からない。
「ですので、できるだけ身体を軽くしておくことが大事ですよ」
「身体を軽く?」
「はい。軽い方が速く飛べますから」
「なるほど」
受付の天使が自分を指した。
「一年ほど、ほとんど飲食をしなければ、体重を十キロ程度まで落とせます」
「十キロ!?」
「はい」
俺は受付の天使を見る。
普通だ。
細身ではあるけど。
十キロには到底見えない。
「十キロには見えないんですけど」
「見た目は、ある程度までしか痩せませんから」
「どういうこと?」
「最初は体重に合わせて見た目も痩せます。ただ、極端に痩せ細る前に外見の変化は止まります」
「何で?」
「天使は人間の前に姿を現すこともありますので」
「ああ」
「人間から見た時の外見も、とても大切なんです」
「なるほど」
「あまりにも痩せ細った天使では、人間の方を不安にさせてしまいますから」
「確かにそれは嫌だな」
ガリガリに痩せて、今にも倒れそうな天使が目の前に現れたら。
ありがたみより心配が勝ちそうだ。
「ですので、一定以上体重が減っても、外見にはほとんど反映されなくなります」
「中身だけ軽くなるの?」
「そのようなものですね」
「すごいな……」
「飛ぶには便利ですよ」
「じゃあ、ずっと食べなかったら、どこまでも軽くなる?」
「いいえ。体重が減るにも限度はあります」
「まあ、そりゃそうか」
「ただし」
「何?」
「逆に太ることには限度がありません」
「そっちはできるの!?」
「はい。たくさん飲食をされれば」
「何で太る方だけ普通なんだよ!」
「人間界と違って、天界には娯楽があまり多くありませんので」
「……はい?」
「そのため、食事を楽しみにされる方もいらっしゃいます」
「食べなくてもいいのに?」
「必要はありませんが、楽しむことはできますから」
「なるほど……」
「中には食事にかなり興味を持たれて、食べすぎてしまう方も見受けられます」
「いるんだ……」
「はい。かなりふくよかになられる方もいらっしゃいますよ」
「天使なのに?」
「天使でもです」
「……」
食わなくても死なない。
痩せても途中から見た目は変わらない。
でも。
食えば太る。
「天使の身体、よく分からんな……」
「死なないので、無理なダイエットもできて便利ですよ」
「そっちから見ればな!」
「それで、管理職用の家に冷蔵庫がないのも、体重を増やさないため?」
「それも理由の一つです」
「やっぱり!」
「特に使者など、飛行する機会の多い仕事では、軽い方が移動しやすいですから」
「そんな理由で飯を作らせてもらえないの!?」
「食べなくても問題ありませんので」
「またそれかよ!」
結局そこへ戻る。
「一般天使向けの住居には、簡単な調理設備があるところもございますけど」
「何で一般天使の方が便利なんだよ!」
「管理職の方は、皆の模範にならないといけませんので」
「それが普通なの?」
「はい。それが普通です」
「……」
また言われた。
「でも俺、食いたいんですけど」
「食べたい?」
「食いたいですよ」
「そういう方も、少数ですがいらっしゃいますね」
「じゃあ、俺だけじゃないんだな」
「もちろんです。先ほど申し上げたように、食事を楽しみながら生活されている方もいらっしゃいますので」
「ただ、食事を取らない方の方が多いですね」
「やっぱり必要ないから?」
「はい」
「お腹が空いてるんですよ。ここ四日くらい水しか飲んでないんですから」
「ああ」
受付の天使は、何でもないことみたいにうなずいた。
「それでしたら、まだ大丈夫ですね」
「何が?」
「二十日くらいなら全然平気ですよ」
「平気じゃねえよ!」
「慣れれば、数ヶ月ほど何も食べない方も多くいらっしゃいます」
「俺は慣れたくないんですよ!」
そうじゃない。
死なないとか。
平気とか。
そんな話じゃない。
「俺は飯が食いたいんです!」
「そうなんですか」
何で珍しい物を見る目で見るんだ。
「食事をしたがる天使の方は、あまり多くありませんので」
「嘘だろ……」
「必要ありませんから」
「必要かどうかじゃねえんだよ……」
食いたいんだよ。
「じゃあ、キッチンがないならどうすればいいんです?」
「職場の食堂を使われてはいかがでしょうか」
「食堂?」
「はい。管理職の方でも、お食事をされる方は職場の食堂を利用されています」
「あるんじゃねえか!」
それを先に言ってくれ。
「じゃあ明日、食えます?」
「もちろんです」
「よかった……」
とりあえず納得した。
欠陥住宅じゃなかった。
天使にとっては。
これが普通らしい。
「ありがとうございました」
「いえ」
窓口を出る。
明日は食堂だ。
「何があるんだろうな」
肉。
魚。
麺。
米。
「久しぶりにまともな飯が食える……」
考えていたら、よだれが出そうになった。
機嫌もだいぶ直った。
そして。
家へ戻る途中。
「……ん?」
足が止まった。
「俺……金持ってなくない?」
食堂。
当然、金がいるよな?
「……」
そういえば。
天界に来てから。
「俺、天使の金って見たことないぞ」
急に不安になった。
食堂はある。
飯もある。
たぶん。
でも。
「金がなかったら食えないんじゃないか?」
俺は豪華なくせに何もない家へ戻りながら考えた。
金はない。
飯も食えるか分からない。
明日からは、新しい仕事も始まる。
「……大丈夫だよな?」
気づけば。
明日からの仕事より、飯や金のことの方が心配になっていた。
というか。
「……あ」
そういえば。
食料品をどこで買えばいいのか。
それを聞くのを忘れていた。
「店って、どこにあるんだ……?」
まだまだ、分からないことが多すぎる。
これからの天界生活そのものが、急に不安になってきた。




