第19話 天界使者局・地上伝令部・第一伝令課
三日前。
フンノシエルさんと別れた私は、一人で廊下を歩いていました。
名前登録所から仕事を選ぶところまで、ずっと一緒だった私たちも、ここからは別々です。
『天界使者局・地上伝令部・第一伝令課』
「ここですか」
扉の前で、一度立ち止まります。
使者。
天界からの言葉を地上へ届ける、いかにも天使らしい仕事です。
白い羽に、支給された天使の証である天輪。そして白い天装。
地上へ降り、人間の前に現れて告げる。
『天界からのお告げです』
悪くありません。
むしろ、かなり格好いい。
天界での生活にも、少しずつ慣れてきました。
最初こそ戸惑いましたが、とりあえず寝る場所だけは決まりました。
まだ人間だった頃のような生活ができているとは言えませんが、休む場所があるだけでもかなり違います。
天界の食堂の料理は少し味付けが薄いので、最近は用意された住居で自炊も始めようかなんて考えています。
ただ、お酒がないのはつらいですけど。
それ以外は、今のところかなり順調です。
そして今日は、使者局への初出勤でした。
◇◇◇
「失礼します」
少し緊張しながら扉を開け、中へ一歩入ります。
中は思っていたよりかなり広く、いくつもの机が並んでいました。
「ゴゴゴ・ザ・シャインさんですね?」
「はい」
すぐ近くから声がしました。
振り向く。
「……?」
誰もいません。
左右を見る。
並んだ机の向こうにも、私に声をかけたらしい天使の姿はありませんでした。
「こちらです」
「え?」
今度は、すぐ下から聞こえます。
視線を下げる。
「……」
そこに、小さな女の子が立っていました。
私の胸よりずっと下に頭がある。
肩のあたりでふわりと広がった桃色の髪に、白い天装。身体が小さいせいか、その服もどこか子供用の制服のように見えてしまいます。
顔立ちも幼い。
丸みの残る頬に、大きな瞳。
どう見ても、小学生くらいです。
ただ、不思議なことに姿勢だけは妙にきちんとしていました。
背筋を伸ばし、両手を身体の前で重ねて、私を見上げています。
「お待ちしていました」
声も落ち着いている。
「……君が?」
「はい」
少女はにこりと笑いました。
人懐っこい笑顔でした。
私は思わず周囲を見ます。
こんな職場に、どうして子供がいるんでしょう。
しかも、私の名前まで知っています。
少し心配になって、私はしゃがんで目線を合わせました。
「……どうしたんだい?」
「はい?」
「お父さんとお母さんは?」
「……」
「迷子かな?」
少女はしばらく微笑んだまま、私を見ていました。
笑顔は崩れていません。
ただ、大きな瞳が一度だけゆっくり瞬きします。
「困ったな」
「違います」
「大丈夫。怖くないから」
「ですから」
女の子は少し困ったように眉を下げました。
「私は子供ではありません」
「……え?」
そう言って、小さな指が自分の胸元を示します。
そこには、白い天装にきちんと留められた役職札がありました。
「第一伝令課・第三係の係長、フワリアです」
「……」
私は札を見る。
フワリア。
係長。
もう一度、本人を見る。
桃色の髪。
幼い顔。
私を見上げる大きな瞳。
そして、さっきから一度も崩れていない、妙に堂々とした立ち姿。
「……係長?」
「はい」
「あなたが?」
「はい」
「……」
どう見ても小学生です。
「よく言われます」
「まだ何も言ってませんけど」
「皆さん、最初は同じ顔をされますから」
フワリア係長は慣れたように笑いました。
よく見れば、その笑い方だけは子供のものとは少し違います。
からかわれ慣れた大人が、仕方ありませんね、と受け流すような笑顔でした。
「こう見えて、天使になって百二十年になります」
「百二十年!?」
「はい」
「私より大先輩じゃないですか!」
「ですから、そこまで心配していただかなくても大丈夫ですよ」
「いや……」
心配していたのは仕事の方じゃありません。
小さい女の子が迷い込んでいると思ったんです。
「それと、本日からしばらく私がゴゴゴ・ザ・シャインさんのお仕事をお教えします」
「係長がですか?」
「はい」
フワリア係長がにっこりと微笑みます。
「まずは実際に仕事をしながら、使者の仕事を覚えていただきますね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
フワリア係長が部屋の奥へ歩き出します。
私も後をついていく。
小さい。
本当に小さい。
なのに、周りの天使たちは普通に、
「フワリア係長、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
と挨拶しています。
本当に係長らしい。
「こちらが第一伝令課の執務室です」
歩きながら、フワリア係長が説明してくれます。
「この広い部屋を、第一係から第三係までで使っています」
「結構広いんですね」
「人数もそれなりにおりますから」
フワリア係長が前方を指しました。
「こちら側が第一係、その向こうが第二係です。私たち第三係は、もう少し奥になります」
「なるほど」
見れば、それぞれの場所に机が並び、天使たちが仕事をしています。
同じ第一伝令課でも、係ごとにある程度まとまって座っているらしい。
「基本的な仕事は、天界から地上へ情報を届けることです」
「お告げみたいなものですか?」
「そうですね。それもあります」
フワリア係長がうなずく。
「神様からのお言葉を伝えることもありますし、天界からの指示や注意、その他必要な情報を届けることもあります」
「なるほど」
「内容によって担当する係が変わります」
「じゃあ、ずっと地上にいるんですか?」
「いいえ。伝令がある時だけです」
「一日に何回くらい?」
「日によりますが、一人につき一回か二回ほど地上へ向かうことが多いですね」
「一、二回」
悪くない。
世界管理を選んだフンノシエルさんが、どんな仕事をしているのかは知りません。
でも、こちらは一日に一、二回、地上へ行って言葉を届ける。
あとは次の伝令を待つ。
「……結構いい仕事かもしれない」
「何かおっしゃいました?」
「いえ」
私は少しだけ安心しました。
使者を選んで正解だったかもしれません。
その時、部屋の一番奥から太い声がしました。
「フワリアくーん」
「……?」
振り返る。
大きな男がこちらへ歩いてきます。
いや、大きいというより太い。
ものすごく太い。
白い天装の腹の部分が、大きく前へ突き出ています。
身体の横から羽が生えているはずなのですが、正面から見ると腹が大きすぎてほとんど見えません。
「今日も頑張ってるかー?」
男はそう言いながら近づいてきました。
「はい。新人の方に説明をしているところです」
「そうかそうか」
男はフワリア係長の頭に手を置く。
ぽんぽん。
「相変わらず小さくて可愛いなあ」
「課長」
「ん?」
「今、教育中です」
「ああ、そうだった」
「……」
課長?
私は巨大な男を見上げました。
この人が?
男も私を見ます。
「新人の……何だっけ?」
「ゴゴゴ・ザ・シャインです」
「ああ、そうそう」
男が手を打つ。
「ピカピカ君だったな」
「全然違いますけど」
ちょっとイラッとしました。
フワリア係長が、そっと手を上げる。
「課長」
「何だ?」
「失礼ですよ」
「そうか?」
「そうです」
「なら悪かった」
素直に謝るんだ。
そこはちょっと意外でした。
「ゴゴゴ君だったな」
「ザ・シャインまで名前です」
「長いな」
「私が決めたわけじゃありません」
「まあ、何か困ったことがあったら私のところへ来なさい」
「はあ」
男は笑いました。
「フワリア君からの頼みなら、大抵のことは何とかしてやれるからな」
「課長。またそういうことを」
「いいじゃないか。私はフワリア君には弱いんだ」
「……」
小さな女の子の頭を撫でる。
やたら大きな男。
その男が課長。
そして、
『フワリア君の頼みなら大抵何とかする』
「……」
人間社会だったら、ちょっと危ない構図に見える気がします。
天界。
本当に大丈夫なんでしょうか。
「では、私は戻るからな」
「はい。お仕事頑張ってください」
「フワリア君もな」
男は満足そうに笑い、自分の席へ戻っていきました。
私はその背中を見る。
「……何なんですか、あの人」
「第一伝令課の課長ですよ」
少し驚いて、もう一度その背中を見ました。
「あの人が!?」
「はい」
「名前は?」
「フェリクシオン課長です」
「フェリクシオン……」
なかなか格好いい名前です。
ちょっと羨ましい。
もう一度彼を見る。
大きなお腹。
丸い顔。
歩くたびに揺れる身体。
「……名前と見た目、全然合ってませんね」
フワリア係長がくすっと笑いました。
「そう思いますよね」
「はい」
「でも、実は結構合っているんですよ」
「どこが?」
「課長、とても運がいいんです」
「運?」
「はい。色々と問題が起きても、なぜか最後には何とかなってしまう方で、それに結構いい案件をたくさん持ってきてくれるんですよ」
「へえ……」
「この第一伝令課も、課長の幸運に助けられたことが何度もあります」
「フェリクシオンって、そういう意味なんですか?」
「直訳すれば、『無限の幸運』といったところでしょうか」
「無限の幸運……」
「少なくとも、本人にはかなり合っていると思います」
「……」
私は課長を見る。
見た目には全然合っていません。
「名前って、ちゃんとその人に合うようについてるんですね」
「フェリクシオン課長のような上級天使の場合は、名前と固有の力が深く関係していることもあります」
「へえ……」
「でも、一般天使のお名前にも、その方らしさが表れることがあると言われています」
フワリア係長が私を見る。
「ですから、ゴゴゴ・ザ・シャインさんも」
「はい?」
「ご自分でもまだ気づいていない、何か光る才能を持っているのかもしれませんよ」
「そうだったらいいですけど」
光。
シャイン。
私のどこにそんな才能があるのか。
今のところ、まったく心当たりはありません。
いや。
全くありません。
「……いつか分かるんですかね」
「きっと分かりますよ」
フワリア係長は、優しく微笑みました。
今日見た中で、一番嬉しそうな笑顔でした。
本当に私に何かすごい才能があると、信じてくれているみたいです。
「……」
そんな顔をされると、さすがに言えません。
シャインの正体が、もしかしたら私の髪の毛に関係しているんじゃないかなんて。
絶対に言えません。
この時から、フワリア係長が私の名前に期待するたび、その笑顔を思い出すたびに、少しずつ胸に刺さり続けることになりました。
◇◇◇
改めてフワリア係長を見る。
小さな身体に桃色の髪、人懐っこい笑顔。それでも、百二十年働いているベテラン係長です。
少なくとも、上司には恵まれた気がしました。
この職場も、かなり当たりなのかもしれません。
ただ、この時の私はまだ、使者という仕事について何も分かっていませんでした。




