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死んだおっさん、天使になる。~天界のお仕事、思ってたのと違います~  作者: 月欠けラムネ
第2章 天使のお仕事 【フンノシエル編】

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第8話 集中力


 三日目の朝


「課長代理、ありがとうございました!」


 領域支配を終えた天域盤を、一般天使が受け取った。


「これで私の担当分は終了です」


「終わり?」


「はい」


 男が時計を見る。


「退勤時間になりましたので、私はこれで上がらせていただきます」


「……ああ」


「この後は日勤担当へ引き継ぎますので」


「そう」


「課長代理は、このまま頑張ってください!」


「……はい」


 爽やかな笑顔だった。


「お疲れさまでした!」


「お疲れ……」


 男は元気よく部屋を出ていった。


「……」


 俺は、その背中を見送った。


 時間になった。


 だから帰る。


 普通だ。


 何もおかしくない。


 むしろ当然だ。


「……いいなあ」


 俺も一度でいいから言ってみたい。


『時間になりましたので、上がらせていただきます』


 そんな俺の願いを無視するように。


「課長代理」


「はい……」


 セリエルが新しい資料を机に置いた。


「こちらをお願いいたします」


「……はい」


 セリエルを見る。


 淡い金色の髪は、いつものように綺麗にまとめられている。


 白い天装にも乱れはない。


 姿勢もピシッとしている。


 俺と同じだけ働いているはずなのに。


 まだ元気そうだった。


「……なんでそんな元気なんだよ」


「はい?」


「何でもない」


 俺は資料を見る。


 町。


 川。


 山。


 道路。


 人口。


 気候。


 生活圏。


 頭に叩き込む。


「……よし」


 確認する。


 覚える。


 頭の中で地域を作る。


 そして。


 精神を集中する。


『領域支配失敗』


「……え?」


 天域盤を見る。


「失敗?」


「はい」


 セリエルが答えた。


「課長代理。もう少し集中してください」


「……」


 集中。


 してる。


 してるつもりだ。


 でも。


 頭がもうパンパンだった。


 昨日からずっと。


 資料を見る。


 覚える。


 領域支配。


 また資料を見る。


 覚える。


 領域支配。


 何区域分の情報を頭に詰め込んだのか。


 もう分からない。


「……ちょっと疲れてるんだけど」


「まだ三日目ですよ」


「……」


 まだ。


 三日目。


「私も同じ時間勤務しておりますが、まだ大丈夫です」


「……そうですか」


 セリエルは本当に元気そうだった。


 髪も。


 天装も。


 姿勢も。


 全部ピシッとしている。


 言いたいことはあった。


 俺は疲れてるんだよ。


 お前を基準にするな。


 寝てもいない。


 まともに食事もしていない。


 その上。


 ずっと資料を頭に詰め込み続けている。


「セリエル、さすがにこれ以上は無理だって――」


「はい?」


 セリエルが俺を見る。


 薄い青の瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。


 睨まれているわけじゃない。


 ただ凝視されているだけだ。


 なのに。


 なぜか妙な威圧感がある。


「……」


「どうされました?」


「……何でもないです。頑張ります」


「はい。お願いいたします」


 言えなかった。


 もう一度、資料を見る。


「……あれ?」


 地図を見る。


「この山、どっちだっけ」


「西側です」


「ああ……そうだった」


 さっき見たばかりなのに。


 別の区域の情報が混ざってくる。


 この川はどこだった。


 この町は。


 この道路は。


「……まずいな」


「もう一度確認しましょう」


「はい……」


 確認する。


 覚える。


 また確認する。


 それでも。


 いつもより頭に入るのが遅い。


「……セリエル」


「はい?」


「セリエルも、少し休んだ方がいいんじゃない?」


「私ですか?」


「うん」


 セリエルが少し驚いた顔をした。


「ご心配いただき、ありがとうございます」


「いや……」


「ですが、大丈夫です」


「大丈夫?」


「はい。まだ三日目ですので」


「……」


 またそれか。


「課長代理は、たびたび私のことを気遣ってくださいますね」


「え?」


「昨日も、休むようにとおっしゃっていましたし」


「ああ……」


「ご自分もお疲れなのに、ありがとうございます」


 セリエルが柔らかく笑った。


「お優しい方ですね」


「……」


 違う、そうじゃない。


 俺は、お前が休めば。


 俺も休めるんじゃないかと思ってるだけだ。


「……どういたしまして」


 本当のことは言わなかった。


 俺は再び資料に目を落とした。


 町。


 川。


 山。


 道路。


 人口。


 気候。


 生活圏。


 一つずつ確認する。


 また途中で別の区域の情報が混ざる。


 最初から確認する。


 また覚える。


 いつもより。


 かなり時間がかかった。


「……今度こそ」


 頭の中で地域を作る。


 そして。


 精神を集中する。


『領域支配完了』


「……できた」


「ありがとうございます」


「はい……」


 ようやく一件終わった。


 俺は椅子にもたれる。


 すると。


「課長代理」


「……何?」


「少し時間がかかりすぎです」


「……」


 また。


 言いたいことが出てきた。


「誰のせいだと思って――」


 そこまで言って、止まる。


 言葉が喉まで出かかった。


「……」


 セリエルを見る。


 薄い青の瞳と目が合った。


「……次は頑張ります」


「はい。お願いいたします」


 結局。


 また言えなかった。


 失敗すれば、もっと集中しろと言われる。


 時間をかけて成功させれば、遅いと言われる。


 こっちは二日近く寝てないっていうのに。


「……なんか、だんだん理不尽になってきたな」


 そんなことを考えていると。


「課長代理、こちらもお願いします」


「……はい」


 また次。


 資料。


 暗記。


 領域支配。


 また資料。


 また暗記。


 また領域支配。


「……」


 頭がおかしくなりそうだった。


 いや。


 もう半分くらい、


 まともに考えられなくなっている気がする。


 人間だった頃よりは、確かに疲れにくい。


 それでも。


 疲労は溜まる。


 眠い。


 腹が減る。


 頭が重い。


 そこへ新しい情報を叩き込む。


 覚えたら精神を集中して、領域支配。


 終わったら、また別の情報を覚える。


 ずっとそれの繰り返しだった。


「課長代理」


「……何?」


「こちらもお願いいたします」


「はい……」


 最近。


 俺の返事も、


 ほとんどこれだけになってきた。


◇◇◇


 午後六時。


 日勤組が帰る。


 そして。


「おはようございます!」


 元気な声とともに、


 夜勤の天使たちが入ってきた。


「課長代理、おはようございます!」


「今夜もよろしくお願いいたします!」


「頑張りましょう!」


「……」


 爽やか。


 実に爽やかだ。


 よく寝ました。


 よく休みました。


 これから働きます。


 そんな顔をしている。


「……ちょっと腹立つな」


「何か?」


「何でもない」


 こいつらは悪くない。


 何も悪くない。


 仕事をして。


 時間になったら帰って。


 休んで。


 また出勤しているだけだ。


 それなのに最近は、


『おはようございます』


 という言葉を聞くだけで、


 ちょっと腹が立つ。


「皆さん、おはようございます」


 隣から爽やかな声がした。


 セリエルだった。


「今夜もよろしくお願いいたします」


「よろしくお願いします!」


「……」


 こいつは何なんだ。


 俺が配属されてから、ずっとここにいる。


 俺と同じだ。


 帰っていない。


 寝ていない。


 なのに、


 夜勤組より爽やかに挨拶している。


「……レグエル課長、よく耐えたな」


 ふと思った。


 課長もずっと、


 この人と仕事をしてたんだよな。


 休憩を頼めば三分。


 ちょっと長めと言えば五分。


 飯を食いたいと言えば、


『少し痩せても問題ありません』。


 二百時間働いても、


『天使は死にませんので』。


「……」


 課長。


 セリエルに腹を立てたりしなかったのだろうか。


 俺はもう、


 最初に抱いていた好印象が、


 かなりなくなってきている。


 最初は、


 本当に親切な天使だと思っていた。


 何も知らない俺を支えてくれる。


 仕事を教えてくれる。


 いつもそばにいてくれる。


 頼りになる人だと思っていた。


 でも。


 最近は。


「……」


 怖い。


 セリエルだけじゃない。


 他の天使たちも。


 トイレへ行けば、


 誰かがついてくる。


 休憩へ行けば、


 誰かが案内してくれる。


 飲み物を取りに行こうとすれば、


『こちらで取ってまいります』。


 必要な物は、


 全部向こうから持ってきてくれる。


 その結果。


 俺はほとんど、


 この部屋から出ていない。


「……まさかな」


 ふと。


 嫌な考えが浮かんだ。


 これ。


 俺が逃げないようにしてるんじゃないか?


「……」


 初日にいきなり昇進。


 部長への挨拶も、こっちから行かなくていいと言われ。

 

 部長は一度来たのに。

 

 セリエルが面会を断った。


 俺が仕事を楽しんでいることにされて。


 部屋を出れば、


 誰かがついてくる。


 飲み物すら、


 自分で取りに行かせてもらえない。


「……いやいやいや」


 俺は首を振った。


 そんなわけない。


 考えすぎだ。


 寝てないから、


 変な方向に考えてるだけだ。


 みんな親切なだけ。


 俺を気遣ってくれているだけ。


 そうだ、そうに決まってる。


「課長代理?」


「ん?」


「次の区域です」


「……はい」


 資料を受け取る。


 俺に今できることは、


 仕事をすることだけだ。


 それに。


 レグエル課長が戻ってくれば。


 全部変わる。


 上級天使が二人になる。


 俺一人で全部やらなくていい。


 休める。


 寝られる。


 帰れる。


 もう。


 俺の希望は、


 それしかなかった。



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