第1話 今日から副課長
適性確認も特に問題なく終わり、そのまま正式配属が決まった。
そこで俺は、新しい天装と天輪を受け取った。
「おお……」
まず服が違う。
今まで着ていた訓練生用の簡素な服とは比べものにならない。
白を基調にした天装は、生地もしっかりしているし、細かな装飾まで入っている。
見るからに、
『正式な天使です』
という感じだった。
そして。
頭の上には、念願の天輪。
金色の光を放つ輪が、俺の頭上に浮かんでいる。
「……やっと天使っぽくなったな」
羽。
天装。
天輪。
これならどこから見ても天使だ。
名前以外は。
訓練生の時とは、見た目からして全然違う。
少しだけ胸を張りながら、俺は正式な配属先へ向かった。
◇◇◇
世界管理局へ着いた頃には、朝の七時半を回っていた。
朝六時ごろに職場案内へ向かってから、適性確認や正式配属の手続きをしていたら、思ったより時間がかかったらしい。
世界を管理する。
なかなか大きな仕事だ。
俺が第一希望に選んだのは、世界管理。
新人研修では散々、風に流されてきた。
だったら今度は、こっちが管理する側になってやろう。
そんな、わりと軽い理由で選んだ仕事だった。
案内された建物の入口には、大きくこう書かれていた。
『世界管理局・気象管理部』
そこからさらに奥へ進む。
俺の配属先は、
『雨雪管理第十七課』
だった。
「雨と雪か……」
世界管理というから、もっとこう、世界そのものをどうにかする仕事を想像していた。
だいぶ範囲が狭くなった気もする。
まあいい。
雨も雪も世界の一部だ。
扉をノックする。
「失礼します」
「どうぞ」
中へ入る。
広めの部屋だった。
奥の机から、一人の男性天使が立ち上がる。
見た目は五十歳前後。
穏やかな顔をした、いかにも真面目そうな男だった。
その隣には、書類を抱えた女性天使が立っている。
男は俺を見るなり、ぱっと表情を明るくした。
「あなたが、本日から配属されるフンノシエルさんですね?」
「……はい」
いきなり名前を呼ばれた。
俺は少しだけ身構える。
「お待ちしておりました。私は雨雪管理第十七課、課長のレグエルです」
「あ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「……」
それだけだった。
笑わない。
フンノシエルと口にしたのに、普通に話が進んでいる。
「……あの」
「はい?」
「名前、何とも思わないんです?」
「お名前ですか?」
「はい」
レグエル課長は少し考えた。
「多少、珍しいお名前ではありますね」
「多少?」
「ですが、私は名前だけで人を判断するつもりはありません」
「おお……」
「名前に多少問題があったとしても、本人に問題がなければ、特に気にすることではないでしょう」
「……すごくまともだ」
「何か?」
「いえ。こっちの話です」
天界に来てから初めて、名前についてまともな反応をされた気がする。
レグエル課長は、念のためというように俺の右手へ目を向けた。
銀色の文字。
『フンノシエル』
「確認できました。第二級上級天使で間違いありませんね」
「そうらしいです」
「いやあ……本当によかった」
「え?」
課長が俺の手を握った。
「ずっと待っていたんですよ」
「そんなに?」
「ええ。本当に助かります」
隣にいた女性天使まで大きくうなずいた。
「私たちも、ずっとお待ちしていました」
「あなたも?」
「はい。上級天使が補充されると聞いてから、皆で楽しみにしていたんです」
「皆で?」
「かなり期待しております」
「いきなり重いな」
今日が初日なんだけど。
「でも俺、気象管理なんて何も分かりませんよ」
「大丈夫です」
課長は即答した。
「今日初めてなんですよ?」
「承知しております」
「本当に?」
課長が笑う。
隣の女性天使も、
「大丈夫ですよ。誰でも最初は初めてですから」
と笑った。
「フンノシエル様なら、きっと仕事にすぐ慣れます」
「そんなに期待されると逆に怖いんだけど」
「期待しております」
「また言った」
でも、悪い気はしない。
名前では散々だったが、どうやらシエル級というのは本当に当たりらしい。
「この雨雪管理第十七課には、現在十五名が所属しています」
「結構いるんですね」
「ええ。いくつかの係に分かれて、地上の雨や雪を管理しています」
課長は壁に掛けられた大きな地図を指した。
「我々が担当しているのは、この一帯です」
「広っ」
思ったよりずっと広い。
国がいくつも入っている。
「ここ全部?」
「はい」
「十五人で?」
「十五人で」
「大変そうですね」
「大変ですよ」
そこは即答だった。
さっきまでの笑顔が少しだけ曇った。
「一般天使でも、雨や雪を降らせたり、風を調整したりすること自体はできます」
「じゃあ、上級天使は何をするんです?」
「領域支配です」
「領域支配?」
「はい」
聞いたことはある。
シエル級に与えられた特権の一つ。
空の一部を自分の支配下に置く力。
「簡単に言えば、気象を操作したい地域を、我々が操作できる状態にする仕事です」
「操作できる状態?」
「一般天使たちが雨や雪を調整するためには、先に上級天使が対象地域を領域支配しておく必要があります」
「つまり、俺たちが先に場所を押さえる?」
「だいたいその認識で構いません」
「それが終わったら、一般天使が雨とか雪を?」
「はい」
「なるほど」
なんとなく分かった。
上級天使が準備。
一般天使が実際の気象調整。
そういう役割分担らしい。
「ところが」
課長の顔から、少し笑顔が消えた。
「この課には長い間、上級天使が私しかいませんでした」
「……一人?」
「はい」
「十五人いるのに?」
「上級天使は私一人です」
「じゃあ、領域支配は全部?」
「私です」
「全部?」
「全部です」
なんか嫌な予感がしてきた。
「課長が休みの日は?」
「……」
「課長?」
レグエル課長が遠い目をした。
「ここ数か月、丸一日休んだことはないですね」
「数か月!?」
思わず声が大きくなった。
隣の女性天使が苦笑する。
「上級天使の補充は、何度もお願いしていたんです」
「そんなに来ないの?」
「上級天使そのものが少ないですから」
「一般天使の人たちは?」
「普通に交代で休んでいます」
「課長だけ?」
「誰か一人は、領域支配のできる天使が必要なので」
「それ、めちゃくちゃ大変じゃないですか」
「大変でした」
課長は笑った。
でも、よく見ると顔色が悪い。
目の下にも、うっすら影がある。
「だから俺が来て……」
「はい!」
急に課長の顔が明るくなった。
「やっと休めます!」
「そんなに嬉しい?」
「嬉しいですよ!」
また両手で俺の手を握られた。
「本当に、本当に待っていました!」
「ちょ、近い近い」
「これでようやく安心して休めます!」
「分かったから!」
「副課長として、フンノシエルさんには担当領域の一部を――」
「副課長?」
「はい」
「俺が?」
「はい」
「今日初日ですよ?」
「第二級上級天使ですので」
「そういうものなの!?」
「そういうものです。上級天使が管理職から始まるのは普通ですよ」
「何の実績もないのに?」
「階級が違いますから。一般天使はどれだけ昇進しても、基本的に課長にはなれません」
「じゃあ上級天使は?」
「副課長や課長あたりから始まります」
「一番下がそこなの?」
「はい」
「上級天使、怖いな……」
また出た。
上級天使。
便利だな、その言葉。
「天使札も、すでに用意してあります」
「天使札?」
「机の上に――」
そこで課長の声が止まった。
「……?」
課長の手から力が抜ける。
「課長?」
「いや……本当に……よかった……」
「何が?」
「これで……休める……」
ぐらり。
「え?」
課長の体が傾いた。
そのまま俺の目の前で倒れた。
「課長!?」
「課長!」
女性天使がすぐに駆け寄る。
俺も慌ててしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか!?」
「……だい……じょうぶ……です……」
「全然大丈夫に見えないけど!」
床に倒れたまま、課長が震える手を上げた。
「フンノシエル……副課長……」
「はい?」
「私の……机の上に……」
「課長、それ以上喋らないでください」
女性天使が止める。
それでも課長は続けた。
「必要な……ことは……一通り……書いてあります……」
「書いてある?」
「天使札も……そこに……」
「はい」
「それから……明日の予定も……」
「明日?」
「最上級天使様から……天冠を……」
「最上級天使!?」
「詳しいことは……書いてありますので……必ず……読んで……」
「課長」
女性天使の声が強くなった。
「もう喋らないでください」
「……はい」
課長が素直に黙った。
急に弱い。
「フンノシエル様、申し訳ありません。課長を療養所へ連れていきます」
「療養所?」
「はい」
「病気なんですか?」
「天使は基本的に、肉体的な病気にはなりません」
「じゃあ何で倒れたの?」
「精神的な疲労だと思います」
「精神的な?」
「詳しく診てもらいます」
女性天使が他の職員を呼んだ。
数人が駆けつけ、課長を運び出していく。
運ばれながら、課長がまた俺を見た。
「フンノシエルさん……」
「はい」
「本当に……来てくれて……ありがとう……」
「今は俺の心配より自分の心配してください!」
扉が閉まった。
「……」
静かになった。
俺は一人、課長室に残された。
机を見る。
大量の書類。
その一番上に、小さな白い札が置かれていた。
手に取る。
『世界管理局・気象管理部・雨雪管理第十七課』
その下に、
『副課長 フンノシエル』
と書かれている。
「……マジか」
これが天使札らしい。
今日来たばかり。
仕事もまだ何もしていない。
それなのに、もう副課長。
しかも。
課長は倒れた。
「これ、大丈夫なのか……?」
◇◇◇
しばらくして。
扉が開いた。
「失礼いたします」
さっきの女性天使が戻ってきた。
「あ、課長どうでした?」
「療養所への手続きは済ませました」
「大丈夫?」
「命に関わるようなものではありません」
「よかった……」
少し安心した。
「ただ、しばらく休養が必要だそうです」
「何だったんです?」
「過労です」
「……過労?」
「はい」
「天使って過労になるの?」
「肉体的な病気にはなりませんが、精神的な疲労や強いストレスは別です」
「天使になってまで過労になるの?」
「なります」
「嫌すぎるだろ……」
死んだ。
天使になった。
肉体的な病気にはならない。
多少のことでは死なない。
それでも。
働きすぎれば、心は疲れるらしい。
「課長、やっぱり相当無理してたんですね」
「はい」
女性天使は小さくうなずいた。
「数か月、ほとんど休みなしでしたから」
「そりゃ倒れるわ」
「ですから」
女性天使が俺を見る。
笑顔だった。
「フンノシエル様が来てくださって、本当に助かりました」
「……」
「私だけではありません。課の全員が期待しております」
「全員?」
「はい」
重い。
さっきより一気に重くなった。
「俺、今日初日なんだけど」
「存じております」
「領域支配も初めてなんだけど」
「大丈夫ですよ」
「課長も同じこと言ってたな」
「上級天使なら、落ち着いてやればできますから」
「……本当に?」
「はい」
女性天使は迷いなくうなずいた。
「とても期待しております」
「期待しすぎないでもらえる?」
そういえば。
レグエル課長が倒れる直前。
明日の予定がどうとか言っていた。
最上級天使。
天冠。
詳しいことは机の上に書いてある、と。
「あの、明日の――」
「それでは、本日は課内をご案内いたします」
「え?」
「まだ初日ですので、まずは皆へのご挨拶と、簡単な業務説明からで結構です」
「ああ……」
思わず安心した。
「領域支配についても、担当の者から説明させます」
「いきなり全部やれってわけじゃないんですね」
「もちろんです」
「よかった……」
課長が目の前で倒れたから、どんな職場なのかと思ったが。
さすがに、新人を初日から働き潰すほどではないらしい。
「では、参りましょうか」
「はい」
俺は女性天使について部屋を出た。
◇◇◇
課の中を案内してもらった。
何人かの職員を紹介され。
それぞれから、
「よろしくお願いします、副課長」
「お待ちしておりました」
「これで課長も休めますね」
と歓迎された。
みんな感じがいい。
仕事についても、簡単な説明を受けた。
誰がどの地域を担当しているのか。
どうやって雨や雪の予定を決めるのか。
どんな時に上級天使の領域支配が必要になるのか。
分からないことばかりだったが。
それは当然だ。
今日が初日なのだから。
「初日はこんなところでしょうか」
「もういいんですか?」
「はい。あとは実際に業務をしながら覚えていただければ」
「なんだ」
思ったより普通だ。
課長が倒れた時はどうなることかと思った。
「明日以降は、実際の天域盤を使っていただきます」
「分かりました」
「最初は私たちもお手伝いいたしますので、ご安心ください」
「ありがとうございます」
女性天使がにこりと笑う。
本当に親切だ。
少なくとも。
新人研修でいきなり五キロ上空まで飛ばされた時よりは、ずっとまともに見える。
そういえば。
最上級天使との面会のことを聞こうと思っていた。
だが、課長が倒れたばかりで、課内もまだ少し慌ただしい。
詳しいことは、あとで机の上の資料を確認すればいいだろう。
明日の予定だ。
今すぐ確認しなくてもいい。
そう思った。
俺は手の中の天使札を見る。
『副課長 フンノシエル』
今日が初出勤。
いきなり副課長。
課長は過労で療養所。
そこだけ聞くと、とんでもない職場に思える。
でも。
職員たちは親切だ。
仕事も、ちゃんと教えてくれるらしい。
名前で笑われることもなかった。
世界を管理する上級天使。
少し大変そうではあるが。
「まあ、何とかなるか」
この時の俺は。
本気でそう思っていた。




