第4話:引きこもり魔女、王都へ行く
「え、わ、分からない……。気付いたら持っていたの……」
あまりに鋭い視線と予想外すぎる質問に気圧され、エルは思わずすり足で一歩後ずさった。
左耳のピアスに指先をそっと触れながら、身を縮こまらせる。日頃は森の中で薬草と壁に向かってしか喋っていないコミュ障気味な引きこもり魔女にとって、いきなり超絶美形の騎士と至近距離で会話すること自体がキャパシティオーバーだった。緊張のあまり、紡ぎ出す言葉遣いにはどこか幼いあどけなさがぽろぽろと零れ落ちてしまう。
(う、疑われてる!? 拾得物横領の罪で逮捕されに来たの!? でもこれ数年前に泉で拾ったやつだし、落とし主の届け出先も分からなかったし……!)
勝手に脳内で大罪人ルートを妄想して怯えるエルの様子を、騎士はじっと見つめた。
その水色の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、胸を痛めたような、酷く切ない揺らぎが走る。
しかし彼はそれ以上ピアスについて深く追及することはせず、ふっと視線を外すと、表情を引き締めて低く息を吐いた。
「……まぁいい。まず確認だ。静寂の森に住む魔女のエル、で間違いないか?」
「は、はい……エルですけど……」
これ以上嘘のつきようもないので小さく頷くと、騎士は革の上着の懐から、仰々しい金色の蝋封が押された重厚な羊皮紙を取り出した。見るからに庶民の日常とは無縁な、最高級の素材で作られた書状だ。
彼はそれをテーブルの上に滑らせ、淡々と告げた。
「王宮からの依頼が来ている。すぐ一緒に王都へ来て欲しい」
「…………えっ?」
エルは自分の耳を疑った。
いや、左耳のピアスではなく、両耳の聴覚そのものを疑った。
「す、すぐ? 王宮? ……王都? え、わ、わたしが……!?」
思いもよらぬ単語の連続コンボに、エルは目を限界まで丸くして、プルプル震える人差し指で自分の鼻の頭を指差した。
ただの森の奥のマイペース薬草オタクである。
たまにふもとの村で軟膏を売って「今日も稼いだぜヒッヒッヒ」と喜んでいるだけの森の魔女が、国家の中枢である王宮から指名手配……ではなく直々の依頼など、どう考えても人違いか詐欺の手口にしか思えなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私、納税の滞納とかしてませんよ!? そもそも森の不法占拠とか言われても物心ついた時からここに住んでいるし、王宮に呼び出されるような悪いことなんて何一つ――」
「落ち着け。罪人として連行するわけではない」
あたふたと両手を振り回して潔白を主張するエルを余所に、騎士はどこか困ったような、それでいて愛おしいものを見るような、切なさと決意の入り混じった複雑な表情で小さく息をつくのだった。
「つ、罪人じゃないなら、一体何の冗談ですか……!?」
パニック寸前で身構えるエルに対し、騎士はさらに胃に穴が開きそうな衝撃の事実を淡々と、しかし切迫した重みをもって告げた。
「急いでいるんだ。貴方は薬学や医療の術にも精通していると聞く。……これは国家の最高機密だが、王太子殿下の婚約者殿が重い病で床に伏せっている」
「……こ、婚約者様が?」
「あらゆる名医を呼び、手を尽くしたが原因すら掴めず悪化する一方だ。残る望みは、もう貴方くらいしかいない……」
そこまで一息に言い切った騎士の瞳を覗き込み、エルは息を呑んだ。
さっきまでの冷徹な氷の仮面が、わずかに剥がれ落ちていた。
その水色の瞳に浮かんでいたのは、国の命令を遂行するエリート騎士の顔ではない。崖っぷちに立たされ、今にも大切な命を取りこぼしそうな人間が浮かべる、痛々しいほどの焦燥と深い絶望の色だった。
(この人……本気配だ……)
エルの中で、チリチリと引きこもり魔女の本能が警報を鳴らす。
相手は王太子殿下の婚約者。もし治せなかったら? 万が一のことがあったら首が飛ぶのでは? 普通に考えたら全力で「他を当たってください!」と土下座して引きこもりを決め込む場面である。
けれど。
(どんな医者でもダメで、苦しんでる……)
森の中で一人、薬草の図鑑をボロボロになるまで読み漁り、泥だらけになって調合を繰り返してきた日々。世間知らずで人付き合いは壊滅的だが、目の前で消えかけようとしている命を「怖いから」と見捨てることだけは、エルの小さなプライドが絶対に許さなかった。
それに――何よりも。
(王都……遠く離れた場所。そして、この人の水色の瞳と、私の左耳のピアス……)
トクン、と耳元でピアスが一度だけ小さく脈打った。
理屈じゃない。損得でもない。頭のどこかで「この人と一緒に王都へ行かなければ、私は一生後悔する」という確信めいた声が響いていた。
エルはキュッと奥歯を噛み締め、両手で自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。
「……分かりました。私で力になれるなら、行きます」
まだわずかに声は震えていたけれど、その眼差しには確かな覚悟が宿っていた。
「でも、引き受けるからには診察の準備が必要です。その婚約者様は、一体どんな症状なんですか? 吐き気? 発熱? それとも皮膚の変色とか……?」
「体の力が入らず、衰弱の一途を辿っている。今はもう、自力で指一本すら動かすことができない状態だ。このままでは数日のうちに、食事を喉に通すことさえ不可能になると診断された」
騎士の重く沈んだ声が、静まり返った小屋に落ちる。
「頼む。……貴方だけが、残された唯一の希望なんだ」
エルはゴクリと唾を飲み込んだ。
指一本動かせない。食事も取れなくなる。――それは風邪や流行り病の類などでは到底説明がつかない。筋力や神経の異常というより、生命活動そのものの根幹を何者かに根こそぎ吸い上げられているかのような異様な病状だった。
(体の力が入らなくなって、衰弱していく……? そんな症例、森の古文書でも見たことがない)
頭の中で薬草図鑑のページを猛烈な勢いでめくりながら、エルの胸の奥でチリチリと黒い予感が膨れ上がる。
単なる体調不良ではないとしたら、医学の常識が通用しない領域――そう、「目に見えない力」の干渉だ。
エルは引きこもり特有のおどおどした空気をすっと引っ込め、魔女としての真剣な顔つきで騎士の水色の瞳を見据えた。
「聞いたことのない症状です。……もしや、ただの病気ではない可能性もあります。王太子殿下の婚約者様というのは、その……何か、生まれつき特別な力を持っていたりしませんか? 例えば、魔力を帯びやすいとか、精霊に好かれやすいとか」
騎士はわずかに眉を跳ね上げ、エルの鋭い指摘に目を見張った。だが、すぐに深く頷く。
「……ああ、その通りだ。彼女は生まれつき不思議な加護をその身に宿していた。周囲を癒やすような、清らかな力を。……だがある日を境に突然糸が切れたように倒れ、それ以来ずっと昏睡状態が続いている」
ピタリ、とエルの思考のピースが綺麗に噛み合った。
生まれ持った加護。そして原因不明の急激な衰弱。
(間違いない……! 人を害する悪意を持った魔力――つまり)
エルは居住まいを正すと、ゴクリと喉を鳴らして核心を突いた。
「……確認させてください。もしそれが、ただの病気じゃなくて……何者かによる『呪い』だったとしたら。私はその呪いを解くために、王宮のど真ん中で『魔法』を行使しなければならなくなります」
人里離れた森の魔女が、王族の寝室で怪しげな術式を展開する。
世間において魔法が「忌むべき禁忌」と恐れられているこの国で、そんな真似をすればどうなるか。下手をすれば「魔女が婚約者様を呪い殺そうとした!」と濡れ衣を着せられ、問答無用で処刑台送りである。いくらお人好しのエルでも、自分の命をノーガードで差し出す気はない。
「……王様や貴族たちは、私のような者が魔法を使うことを許してくれるんですか? 失敗したら即刻打ち首、成功しても牢屋行き……なんてオチは絶対に勘弁してほしいんですけど!」
早口で必死に防衛線を張るエルに対し、騎士は一瞬だけ息を呑んだ。
だが、その水色の瞳に迷いの色は微塵もなかった。彼はエルの目をまっすぐに見つめ返し、低く力強い声で言い切った。
「王家の許可は、俺が全責任を取る。彼女を救えるのなら、どんな手段でも構わない。もし貴方に咎が及ぶようなことがあれば、この命に代えても俺が貴方を守り抜く」
「えっ……命に代えてもって、そこまで重い誓い立てる!?」
騎士のあまりの覚悟の完了っぷりにエルがたじろぐ中、彼は椅子の前で深々と頭を下げた。
「だから……頼む。力を貸してくれ、エル」
自分の名を呼ぶその声に、なぜだろう。
左耳のピアスがカッと熱くなり、胸の奥がぎゅっと切なく締め付けられた。
「……分かりました。すぐ出かける準備をします。少しだけ待ってください」
エルが観念して頷くと、騎士の強張っていた肩からスッと力が抜け、胸を撫で下ろすように小さく息が零れ落ちた。
「……ああ。急な話で本当に申し訳ない。村の方には、すでに村長へ話を通してある」
「は……? 村長に?」
エルは目を丸くしてぽかんとした。
深夜に森の奥へ不法侵入してきただけでも大概なのに、いつの間に村のトップとコンタクトを取っていたのか。
(深夜の突撃訪問なのに、手回しが完璧すぎる……! この人、昼間に広場で大男をぶん投げた直後に村長宅へ突撃して、外堀を全部埋めてからここに来たってこと!? 恐ろしいほどの根回し力……!)
呆れを通り越して感心すら覚えるが、それだけ事態が切迫しており、一刻の猶予もないことの裏返しでもあった。何が何でも婚約者様を救い出すという騎士の並々ならぬ執念と、背負っている責任の重さが、ひしひしと伝わってくる。
「すぐ戻りますから、座って待っててくださいね!」
エルはパタパタと小走りで部屋の奥、作業場を兼ねた小部屋へと駆け込んだ。
旅の準備といっても、着替えなど二の次だ。
棚の引き出しを次々に開け放ち、厳選した薬草の束、乾燥させた毒消し草の粉末、使い慣れた銀のすり鉢、そして大事にストックしていた調合済みの薬瓶を、手早くトランクへ詰め込んでいく。
(……本当に、私なんかに救えるのかな)
ガラス瓶を布で包む手が、微かに震えていた。
森で暮らしてきただけの引きこもり魔女が、国家の最高峰たる王宮へ乗り込み、宮廷医師たちすら匙を投げた未知の「呪い」と戦うのだ。プレッシャーで胃が雑巾のように絞られる。失敗して首が飛んだらどうしよう、そもそも馬に乗って王都まで行くだけで乗り物酔いしそう……。
次から次へとネガティブな妄想が噴き出した――その瞬間。
チクリ。
「……あ」
左耳のピアスが、まるで「弱音を吐くな」と小突くように、ツンと小さく熱を帯びた。
鏡を覗き込むと、水色の石が淡く、けれど力強く青い光を放っている。その透き通るような輝きは、さっき外で待つ彼が見せた、ひたむきで切実な瞳の色とまったく同じだった。
(……そうだよね。迷ってる暇なんてない)
理由は分からない。けれど、この水色の石が、胸の奥底でずっと眠っていた「何か」が、今まさに王都へ向かえと力強く背中を押している。
エルは両手で自分のパンパンと頬を叩き、気合を入れると、古びたフード付きの旅用マントを羽織った。木製のトランクをしっかりと握りしめ、パッと部屋を出る。
「お待たせしました! ……行けます!」
堂々と胸を張ったエルの姿を、椅子から立ち上がった騎士は静かに見つめた。
その水色の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、誇らしげな、そして酷く愛おしそうな光が灯る。
「……ああ。行こう」
静寂の森を包む夜の闇を裂き、こうして引きこもり魔女と水色の瞳の騎士は、運命の歯車が激しく回り始めた王都へと向けて駆け出すのだった。




