↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/20

第16話:黒狼の記憶と、左耳に揺れる激重の真実

最後の治療を無事に終えたエルは、トボトボと大人しく自分に与えられた客室へと戻ってきた。 最初は「居心地が悪くて一秒でも早く逃げ出したい」と思っていたはずのこの部屋にも、今ではすっかり見慣れてしまい、なんだか妙な愛着すら湧き出てきている。


「ふぅ……疲れた……」


ベッドの端に腰を下ろすやいなや、エルはそのままバフッと心地よいクッションへと体を預けた。 頭の力が一気に抜けた瞬間、朝の早朝変身事件からの医療団代表の連行劇というジェットコースターのような一日の疲労が、一気に全身へと押し寄せてくる。


「……少しだけ、横になろうかな……」


ぽすん、と柔らかい枕に顔を沈めたが最後、エルはものの数秒で深い眠りの底へと落ちていった。



――夢の中。


どこか温かくて、懐かしい光に包まれた空間で、エルは小さな一匹の子犬と遊んでいた。 生意気でふてぶてしい、でもどこか憎めない、ツンデレな目つきをした綺麗な銀の毛並みの犬。なのに、なぜか尻尾だけはぶんぶんと嬉しそうに揺れていて、たまらなく人懐っこい可愛さを持っている。


(そうだ、この子の名前は――)


ふと、エルはその懐かしい名前を口にかけてみた。


「……クゥ……?」


その自分の呟いた声で、ふと意識が現実世界へと引き戻された。


「ん……れ……?」


まぶたを薄っすらと開けると、そこには思いがけない光景が広がっていた。 自分のすぐ目の前、ほんの数センチの至近距離に、息を呑んだように大きく目を見開いたクロエの顔があったのだ。


「……エル? ……いま、なんて……」

「あれ……? 私、いつの間にか寝ました?」

「ノックしても返事がないから心配になって勝手に入ってしまった。すまない。いや...それより!」


慌ててガバッと上半身を起こしたエルは、完全に寝ぼけてトロンとしている頭で、目の前で固まっている騎士団長をぽかんと見上げるのだった。


「エル、エル……! さっき、何て言った……? もしかして、思い出してくれたのか……っ?」


いつもの冷静沈着な騎士団長としての面影はどこかへ吹き飛び、クロエは切実な色を帯びた瞳でエルの両肩をガシッと掴み、食い気味に詰め寄ってきた。


「えっ? な、何がですか……? 突然そんなに揺らさないでください、頭が揺れて脳みそがシェイクされちゃいますって……!」


突然の至近距離での必死な尋問に、エルは完全に目を白黒させながら戸惑いの声を漏らす。 しかし、その焦るエルの様子などお構いなしに、クロエの端正な顔には深い後悔と、抑えきれない安堵が入り交じった複雑な表情が浮かんでいた。


「俺が……俺の力が未熟だったせいで、あの時、君を一人ぼっちにしてしまった……。すまない、本当にすまなかった……!」


(え……? 私を……一人にした……?)


何を謝られているのか、エルの頭の中にはハテナマークが大量に浮かんでいた。 自分が森の小屋に一人で暮らすようになったのは物心ついた頃からのことだし、クロエに何かひどいことをされた記憶なんてない。それなのに、なぜ目の前のこの男は、まるで世界で一番大切なものを傷つけてしまったかのような、痛々しいほど切なげな目をしているのだろう。


けれど――。


「……ッ」


必死に謝罪の言葉を紡ぐクロエの姿を見つめていると、エルの胸の奥底で、ずっと霧がかかっていたはずの記憶の欠片が、ガチリと音を立てて正しい場所へとハマった気がした。 それは、まだ自分がほんの小さな子供だった頃の――。 いつも自分を影から守ってくれていた、静かな「ちょっと生意気な狼」の温もり。 そして、本当に短い時間だったが、お互いを必要としていた大切な思い出の断片。


(――あ……)


脳裏にフラッシュバックした光景に、エルの息がふっと止まる。 頭の奥の霧が晴れていくのと同じタイミングで、エルの左耳でずっと冷たく輝いていたはずの水色のピアスが、まるで熱を帯びたかのようにじんわりと温かくなった。


「...クゥ?……クロエ……さん……?」


自分で口に出したその名前が、なぜか昔から何度も呼び慣れていたかのように、すんなりと喉から零れ落ちる。


「……ッ!」


エルの口からその名前を聞いた瞬間、クロエの瞳から、こらえきれなかった一筋の涙がぽろりと零れ落ちた。 それは、何年もの間、たった一人で背負い続けてきた後悔と、やっとの思いでたどり着いた再会の証の涙だった。 部屋を包む静寂の中で、二人の間にあった見えない壁が音を立てて崩れ去り、長い長い時を超えた真実が、静かにその姿を現し始めていた――。



***



「俺は……獣人族なんだ。もう、この世界で生き残っているのは、おそらく俺くらいしかいないと思う」


絞り出すような、けれどどこかすべてを打ち明けたことで幾分か軽くなったような、そんな切ない響きを帯びたクロエの告白が、静かな部屋に落とされた。


「……獣人……」


その言葉を、エルはぼんやりと反芻する。 獣人の存在なんて、王国の人々にとっては古いおとぎ話や分厚い歴史の本の中でしかお目にかかれないものだ。「昔はそんな種族もいたらしいね」程度にしか認識していない人が大半だろう。 けれど、エルの脳裏には、先ほど見たばかりの「漆黒の狼から人間の姿へ変わるクロエの姿」が鮮明に焼き付いていた。


「まだ幼かった頃の俺は、自分の魔力と変化のコントロールがうまくできなくてな。ある日、ふとした拍子に完全に人間に戻れなくなってしまったんだ。……珍しい銀毛の獣なんて見世物や剥製にすれば高く売れると思ったんだろうな、欲に目がくらんだ悪い大人たちに追いかけ回されて……必死に逃げ回っていたら、とうとう力尽きてしまったんだ」


クロエは自嘲するような、苦々しい笑みを浮かべながらぽつりぽつりと語った。 その言葉の端々に滲む絶望の深さを、エルは痛いほど理解できた。


(――うん、すごくよく分かるよ)


魔女という存在もまた、その特殊な力や珍しい薬効、あるいは「魔法が使える」というだけで、かつては人間たちから気味悪がられたり、利用されたり、あるいは金儲けの道具として狙われたりしてきた歴史がある。同じように日陰に追いやられ、孤独に怯えながら生きてきた者同士だからこそ、クロエが味わった恐怖と絶望の味が、痛いほど胸に突き刺さるように伝わってきた。


「え、でも今朝見た時は黒い毛だった気が...」

「あぁ、見ていたのか。大人になるにつれ色が銀から黒に変わったんだ。黒い狼は珍しくもないから、目立つこともなくなったよ」


なるほど。確かによく見るわけではないが、狼自体は珍しくない。そして大体が黒い狼だ。


「それで……行き倒れていた小さな狼だった君を、あの森で拾ったのが……」

「ああ。あの時、追っ手から逃れてフラフラだった俺を、君が怯えもせずに介抱してくれた。……何も言わずに薬を塗って、温かいスープを飲ませてくれた。自分の命が危ういかもしれないのに、人間に怯えていたはずの君が、ただの傷ついた動物に見えた俺を必死に守ろうとしてくれたんだ」


懐かしむように遠くを見るクロエの瞳に、ほんのりと柔らかな光が灯る。


(私……そんな昔から、あのモフモフの狼を助けてあげてたんだ……)


すっかり忘れていたはずの記憶のピースが、クロエの言葉によって次々とカチリ、カチリと音を立てて繋がっていく。 あの森で一人ぼっちだったのは自分だけじゃなかった。あの時、あの黒い狼もまた、世界でたった一人、怯えて震えていた小さな子供だったのだ。


「それから少しの間、お互いに支え合うように森で暮らしていたけれど……ある日、俺が完全に人間の姿に戻れるようになったタイミングで、追っ手の気配を察した。これ以上一緒にいたら、君にまで危険が及ぶって思ったから……何も言わずに、君の前から姿を消したんだ。……それが、俺が君を一人ぼっちにしてしまった過去だ」


すべてを話し終えたクロエは、まるで当時の拒絶を恐れるかのように、わずかに震える瞳でエルの反応をじっと見つめていた。


「なんとなく、話の流れは分かりました。森の結界を時々すり抜けてしまう人間がいるんですよね。そのせいでクゥはいなくなってしまったんですね。……でも、私、当時のこと本当に全く覚えてないんですけど」


クロエの切なげな告白を聞いたエルは、小首をかしげながら至って冷静にそう言い放った。 いくら昔のこととはいえ、共に過ごした日々を、しかも一緒に暮らしていた銀狼(のちのイケメン騎士団長)との思い出なんて、普通なら人生のハイライトとして脳裏に刻まれていそうなものだ。それが一片たりとも記憶に残っていないというのは、いささか不自然すぎる。


「たぶん……エル。君は、自分の意思でその記憶を封印した……いや、自分で記憶を消したんじゃないかと思う」

「えっ? 私が自分の記憶を?」

「あの日、俺が突然いなくなっただろ? あのとき、一人きりになったことがあまりにも寂しくて、子供だった君の心が耐えられなかったんじゃないかって……俺はずっとそう思ってる」


クロエのその推測を聞いた瞬間、エルは「あ〜……」と妙に納得したように天井を見上げた。


「あ、確かに……私、ショックなことがあると現実逃避して記憶の引き出しを奥底にブチ込むクセがありますね。あり得るかもしれないです」

「いや、そこはもう少し驚いてくれよ……!」


自分の記憶喪失のメカニズムにあっさりと納得するエルのマイペースさに、先ほどまで涙を流していたクロエの感動も少しばかり目減りしたようだった。


そんな会話をしながら、エルはふと、自分の左耳でかすかに冷たく光る水色のアクセサリーに指先を触れた。


「……そういえば、このピアス」

「……あぁ、それ。俺が、あの時……森で暮らしていた頃に唯一持っていたものなんだ」

「へ?」


エルが思わず手を止めてまじまじと見つめると、クロエは少し照れくさそうに視線を逸らした。


「人間の姿に戻る前に身につけていた装飾品でさ。他に何も持ってやれなかったから、それだけしか、エルに渡せなかった。……実はそれ、ただの石じゃないんだ。俺の魔力を凝縮した、いわば……俺の心臓の一部のようなものなんだよ」


「――えぇぇーーーっ!?!?」


部屋の天井を突き抜けそうなほどの絶叫が、エルの口から飛び出した。


(クロエさんも魔力持ち!?し、心臓の一部……!? そんなヤバいデカい感情がこもった激重アイテムを、当時の私にサラッと耳たぶに挟ませてたってこと……!?)


魔女として数々の怪しげなマジックアイテムを見てきたエルであっても、流石に「イケメン騎士団長の心臓の欠片」をファッション感覚で左耳にぶら下げていたという事実には、キャパシティを大きくオーバーせずにはいられなかった。 心臓の一部を渡すという意味の重さに、エルの顔は一気に真っ赤に沸騰していくのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。