第15話:自爆した黒幕と、訪れる「森への帰還」の現実
クロエの正体についての脳内パニックで頭がパンクしそうになっていたエルの目の前で、さらに追い打ちをかけるように、もう一つの「特大の衝撃」が投下された。
「おや、これはこれは。名高い魔女殿ではありませんか。今日で件のお姫様の治療が終わると聞きましたよ。まぁ、我々の医療団の出る幕がなくて、さぞご満悦でしょうな!」
嫌味ったらしい、ねっとりとした声でそう話しかけてきたのは、リリアーナの治療初日に「外部の者による不確かな魔法治療など前代未聞だ!」と一番激しく反対していた、あの医療団の代表の初老の男だった。
「……あー、はい。今日で無事に終わりますね」
「ふん。まさかこの王宮の格式ある医療方針を無視して魔法治療に頼るなど、前代未聞の愚行ですぞ!」
「はぁ……そうですか」
(なら魔法に頼る前に、あんたたちの医療技術で何ヶ月も寝たきだったリリアーナ様をさっさと自力で治せばよかったものを……)と、盛大な白目を剥きかけながら適当にあしらうエル。
「こういう不審な異端の真似はこれっきりにしていただきたい! 治療が終わったなら、一刻も早くさっさと自分の森へ帰っていただきたいものですな!」
「そうですね……」
(そうしたくても、犯人のターゲットにされてるから城から一歩も出られないんですぅー!! こっちだって好きで引きこもりライフを延長させられてるわけじゃないわよ!)と、言いたいセリフをぐっと飲み込み、お互いにムッとした険しい表情でバチバチと視線を睨み合わせる。
「まったく、野蛮な森の住人が……」
代表の男が忌々しそうにチッと舌打ちをすると、エルを威圧するようにわざわざ体を大きく揺らし、すれ違いざまに肩をガツンと強くぶつけてきた。
その瞬間だった。 男のガウンのポケットから、シャラリ、と乾いた音がして、いくつかの物が床へとバラバラにこぼれ落ちた。
「っと……あ、落ちましたよ」
「……っ! 分かっとるわ!」
慌てて落とし物を拾おうとしゃがみ込んだ男と、反射的に視線を落としたエル。 二人の目が、床に散らばったその異様な品々にぴたりと釘付けになった。
「「……っ!」」
お互いに、全身の血がサーッと引いていくような、尋常ではないハッとする気配が走る。 床に転がっていたのは――あの時、街のハーブ専門店でエルが見つけ、クロエと危険性を確認した「あの地味な薬草」の乾燥した葉だった。
それだけではない。その周囲には、不気味に黒光りする奇妙な鉱物の粉末や、人の悪意を凝縮したような呪術用の触媒など、医者が持っているはずのない、あまりにも怪しげな呪いの道具の数々が散らばっていたのだ。
(――見つけた……!)
エルの背筋を冷たいものが走り、頭の中で激しい警報が鳴り響く。 あろうことか、リリアーナを呪い殺そうとしていた張本人の尻尾が、こんなところでポロリと露わになった瞬間だった。
「その人捕まえて!」
床に転がる危険なハーブと呪術の触媒を見つめた瞬間、エルは反射的にすぐ側の廊下で控えていた屈強な護衛たちに向かって鋭く叫んだ。
――ガシッ!
「なっ……! なんだ、離せ! 私に触るな!」
「動くな! 抵抗すれば拘束を強めるぞ!」
エルの指示が飛ぶやいなや、ほんの一瞬の迷いもなく、護衛の兵士たちは驚異的なスピードで飛び出した。医療団の代表の男が言い訳をする暇すら与えず、両腕を背後でガッチリと組み伏せ、床にねじ伏せるように完全拘束したのだ。
(……おぉっ!? やるじゃん、この人たち!)
さっきまで「私の周りをうろちょろするだけで、このおじさんに嫌味を言われても一切助けてくれない役立たずの置物たちだわ」と心の中で盛大に毒づいていたエルだったが、この危機管理能力と圧倒的な機動力の高さを見せつけられては、手のひらを返して心の中で盛大に拍手喝采を送らざるを得なかった。
「な、何をするか! 私はこの王宮の医療団代表だぞ! 離さんか!」
「うるさい、黙れ」
代表の男が必死に足をバタつかせて喚き散らすが、護衛たちは一歩も引かない。 床に散らばった呪いの触媒の数々は、言い逃れのできない動かぬ証拠として冷たく光っている。
(犯人は……このおじさんだったんだ……!)
リリアーナをあんな昏睡状態に追い込み、自分をもターゲットに仕立て上げた張本人が、まさか毎日顔を合わせていた医療団のトップだったという事実。 身の毛がよだつような嫌悪感を覚えつつも、エルはふうっと大きく息を吐き出し、張り詰めていた糸を緩めた。
これで、あの忌々しい「王宮ぐらし・無期限延長の危機」と「命を狙われる恐怖」から、ついに解放される。 心からホッとしたエルは、早くこの一報をクロエたちに知らせなければと、きびすを返そうとした――その時だった。
「……何が起きている?」
低く落ち着いた、しかし凍てつくような緊張感をまとった声が、廊下の向こうから響いてきた。 そこに立っていたのは、他でもない――今まさにエルが心の中でその名を呼ぼうとしていた、黒い軍服姿の騎士団長クロエその人だった。
「た、助けてくだされ、クロエ団長! 突然この小娘が言いがかりをつけて、わしを捕まえるよう周りの者に命じたのです! ひどい暴行ですぞ!」
さっきまでの威勢は一体どこへ行ったのやら、医療団の代表は床に押さえつけられた途端、まるでか弱い老人のような芝居がかった弱々しい声を張り上げた。見事なまでの手のひら返しである。
その騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきたクロエに対し、いつもはエルの両脇で置物のように一言も喋らず無機質な気配を放っていた護衛の一人が、スッと一歩前に出た。
「報告します。先ほど、魔女様と代表が言い争いになっておりました。その際、代表のポケットからこれらの物が床にこぼれ落ちたのです。王宮の安全を脅かす怪しげな物も含まれていたため、魔女様の指示もありましたが、我々の危機管理判断としてその場で拘束いたしました」
めちゃくちゃ流暢に、しかも状況証拠を的確にまとめてクロエに報告する護衛の兵士。 その淀みのないアナウンスを聞きながら、エルは心の中で盛大にずっこけた。
(――あんた、普段から言葉喋れたんかい!! あの無言のプレッシャーは何だったのよ!)
エルのそんな心のツッコミなど露知らず、クロエはしゃがみ込み、床に散らばっているハーブの破片や怪しげな呪術の触媒を一つずつ丁寧に拾い上げた。その水色の瞳が、冷たく、そして鋭く光る。
「……確かに、医療関係者が所持しているにしては、どれもきな臭いものばかりだな」
「で、でたらめだ! 陰謀だ! わしを失脚させようと、その小娘が事前に画策してすり替えたんだ! 呪術など一切やっておらん!」
必死に顔を赤らめて喚き散らす代表の男。 だが、その叫びを聞いた瞬間、クロエは冷ややかな失笑を漏らしながら、ピタリと動きを止めた。
「……おや。誰も、これらが『呪術に使われる物だ』とは一言も言っておりませんが?」
クロエのその静かな一言が、廊下に響き渡った。
「…………っ!」
代表の男は自分の失言に気づいた瞬間、顔の血の気が一気に引き、ガタガタと全身を震わせながら口をパクパクと金魚のように開閉させた。自分で自分の首を完璧に絞めたという、これ以上ないほどの見事な自爆である。 周囲を取り囲んでいた護衛たちも「あーあ、やっちゃったよこの人」と言わばかりの冷ややかな視線を浴びせる。
床に転がる証拠品と、本人の決定的な失言。 言言い逃れの余地は、もはや一片も残されていなかった。
「連行しろ」
クロエの短い冷徹な指示に従い、医療団の代表の男は「離せ! 私は無実だぁ――!」と往生際悪く叫びながら、屈強な衛兵たちに両脇を抱えられてどこかへと引き立てられていった。
その騒がしい背中が廊下の角へと消えて見えなくなると同時に、その場に残されたエルとクロエは、ほぼ同時にふうっと大きなため息をついた。
「無事で、本当に良かった」
「口喧嘩してただけですがね……あんな危ないおじさんだったなんて思いもしませんでしたよ」
少しだけ肩の力を抜いたエルに、クロエはやわらかな笑みを向けた。 しかし、その瞳の奥にはまだ、この事件の裏に潜むかもしれないさらなる闇への警戒が消え去ってはいない。
「……今から、リリアーナ様のところか?」
「はい。今日が最後の治療ですから」
「そうか……」
クロエは何かを言いかけて、ふっと言葉を飲み込んだ。 もし、たった今連行された医療団の代表が今回の呪いの事件の真犯人なのだとしたら――。
今日の治療が終われば、エルを王宮に引き止めておく「危険性」という最大の理由は消滅する。つまり、彼女がずっと望んでいた「静寂の森への帰還」が現実のものになってしまうのだ。
(――やっと、森へ帰れる)
エル自身、そう心の中で呟いてみた。 確かに、この王宮はピリピリしていて落ち着かないし、美味しいお菓子や珍しい魔導具はあるけれど、やっぱり自分の使い慣れた小屋と静かな暮らしが一番だ。
――はずなのに。
目の前で、どこか寂しげな、切なさを隠しきれない瞳を向けてくるクロエの姿を見ていると、「私、今日で治療が終わったらすぐに森に帰りますね!」と明るく告げる言葉が、なぜか喉のつかえにつかまつったようにどうしても出てこなかった。
(……なんでだろ。あんなに帰りたがってたのに……)
いざ帰れるとなると、胸の奥のモヤモヤとした居心地の悪さを感じる。誤魔化すように、エルはぎこちない笑みを浮かべて背筋を伸ばした。
「では……行ってきますね」
「あぁ……。頼んだ」
クロエの低い、けれどどこか名残惜しそうな返事を聞きながら、エルは彼の前をすっと通り過ぎ、リリアーナの部屋へと続く廊下へ歩き出した。
「エル……」
不意に、背後からクロエの声が呼び止めた。 振り返ると、彼はまっすぐにエルを見つめていた。
「治療が終わったら、今後の話をしよう」
「……そうですね。じゃあ、終わったら殿下の執務室へ行けばいいですか?」
「いや、俺が君の部屋まで迎えに行くから、終わったら自室に戻って待っていてくれ」
それだけを言い残すと、クロエはこれ以上の感情を読ませまいとするように、颯爽と反対側の廊下へと歩き去っていった。
(迎えに来るって……まるで子供扱いなんだから……)
小さく頬を膨らませつつも、胸の鼓動が少しだけ早くなっているのを誤魔化すように、エルはトコトコとリリアーナの待つ部屋へと急ぐのだった。




