第13話:執務室の乱入劇!王宮を揺るがす帰宅宣言
リリアーナの治療も、いよいよ最終段階へと差し掛かっていた。
(よし、今日の浄化が終われば、あのドス黒いモヤも完全に消え去るはず……! もうすぐ、静寂の森に帰れるかな)
毎日少しずつ邪気を取り除いてきた結果、リリアーナはすっかり見違えるほど元気になっていた。森の小屋での一人暮らしに比べれば、王宮の生活は何かと窮屈で気を遣う。自分の生活ペースを取り戻したいという気持ちはもちろんあるが、数日間苦楽を共にした(?)王宮の人々を離れるのは、少しだけ寂しい気もする。
「エル様、今日も本当にありがとうございます」
ベッドの上で身なりを整えたリリアーナが、ふわりと花が咲くような可憐な笑顔をエルに向けた。 その無垢で圧倒的なお姫様オーラに触れるたび、エルは「これが王都の最上級の癒やし……!」と密かに感動していた。
「いえ、あとほんの少し残っている邪気を取り除けば、完全に完治ですね」
「本当に、エル様のおかげですわ。……そうだ、完全に治ったら、ぜひ私とお茶をご一緒させてくださいませ。城のパティシエ特製の、とっても美味しいお菓子もたくさん用意させますわ!」
そう言って、リリアーナは嬉しそうにエルの両手を自分の華奢な両手で優しく包み込んだ。
(わっ、手がモチモチで柔らかくてすべすべ……! 私の毎日の薬草すり潰しでガサガサになった手と大違いだわ……。さすがお貴族様のお手ては違う!)
内心でそんな失礼な感嘆を漏らしつつも、エルは穏やかに微笑み返した。
「ありがとうございます。でも、リリアーナ様の病気が完治したら、私……すぐ森へ帰らなきゃいけないんです」
「え……?」
「家もすごく心配ですし、いつも薬を卸しているふもとの村のみんなのことも気にかかりますから」
何気なく発せられた、その「森へ帰る」という言葉。 それが、執務室で待ち構えているはずの騎士団長と王太子にとっての最大の禁句であることに、呑気な引きこもり魔女が気づくはずもなかった。
「なんてこと……! 大変だわ!」
エルの口から飛び出した「森へ帰る」という一言を聞いた瞬間、リリアーナの表情からふんわりとしたおっとりさが一瞬で消え去った。 彼女は「寝てる場合ではないわ!」と悲鳴を上げるやいなや、病み上がりとは思えない爆速の勢いでベッドからヒョイと飛び起きた。
そして、エルの手をガシッと力強く掴むと、そのまま慌てて部屋から飛び出したのだ。
「えっ、ちょっ……リリアーナ様!?」
突然の展開に頭が真っ白になったエルは、わけがわからないまま引きずられるようにしてその後を追いかけた。 護衛の兵士たちも「り、リリアーナ様が走っておられるぞーっ!?」と慌てて後を追いかけ、廊下は大パニックである。
だが、ここでエルは一つの残酷な真実に直面していた。
(ちょ……っまっ……! あなたもなの!? 嘘でしょ、さっきまで寝たきりだった患者さんですよね!?)
クロエの「人間新幹線ダッシュ」の恐怖がまだ記憶に新しいというのに、今度はまさかのお姫様による超高速引きずり回しの刑である。 華奢なドレスを翻して廊下を爆走するリリアーナの足取りは、オリンピック選手もびびるほどの俊足だった。
(城の人間はみんな足が早いの!? 王宮の採用試験には『短距離走:秒速五メートル以上』とかいう狂った項目でもあるの……!?)
ハアハアと息を切らせながら必死に足をもつれさせて走るエルは、心の中で全力のツッコミを入れながら、次なる地獄へと連行されていくのだった。
ーーー
「……なんだか廊下が騒がしいな」
「そうですね、一体何事でしょう。ちょっと様子を確認してきます」
執務室でシルフとこれからの対策を話し合っていたクロエが、遠くから響くバタバタとした足音とざわめきに眉をひそめ、扉の方へと歩き出した――その、まさにそのタイミングだった。
バンッ!!!
ノックの「ノ」の字すら存在しない、凄まじい勢いで執務室の重厚な両開きの扉が蹴破るように跳ね開いた。
「シルフ様! 大変です! エル様がっ――!」
息を弾ませながら叫びながら飛び込んできたのは、他でもないリリアーナその人だった。 そしてその背後には、お姫様特急便に引きずり回された挙句、肺の空気をすべて搾り取られてぐったりと白目を剥きかけ、酸欠で顔色を悪くしているエルが、ゾンビのようにフラフラと引きずられて突入してくる。
「お、落ち着いてくれリリアーナ。エル殿がどうしたって?……君の後ろで、完全に死にかけているようだが……」
シルフが引きつった笑顔でツッコミを入れると、リリアーナは「何を仰っているのですか、こんな時に御冗談はよしてくださいよ――」とシルフの言葉に憤慨しながら振り返った。
しかし、そこに映っていたのは――。
爆速ダッシュの負荷に耐えきれず、床に崩れ落ちるようにゼーゼーと肩で激しく息をしながら蹲っているエルと、その背中に慌てて駆け寄り、心配そうに優しく背中をさすってやっている騎士団長クロエの姿だった。
「…………」
「……......」
部屋の中を、地獄のような気まずい沈黙が支配する。 その光景を目の当たりにした瞬間、リリアーナの脳内で「完治祝いのお茶会をぶち壊される危機感」と「圧倒的な加害者意識」が猛スピードで衝突した。
「キャーーーッ!? エル様、申し訳ございませんわぁぁぁーーーッ!!!」
廊下に響き渡るようなリリアーナの悲鳴が、王宮の執務室に盛大にこだまするのであった。
リリアーナの絶叫が、執務室の天井をガタガタと揺らすほどの勢いで響き渡った。 彼女は泡を食ったようにパニックを起こし、床で酸欠になってうずくまるエルの両肩をバタバタと揺さぶる。
「しっかりしてくださいまし、エル様! 私としたことが、つい興奮のあまり全力疾走を……!」
「ふぇ……肺が……酸欠で……星が見えます……お星様が、綺麗ですね……」
エルの瞳はすでに完全にトロンと宙を泳いでおり、口から魂が出かけの状態でフラフラと揺れていた。 その痛々しい姿を目の当たりにした瞬間、部屋の空気が一瞬にして絶対零度の氷点下へと叩き落とされた。
「……リリアーナ様」
低く、地を這うような、この世の終わりを告げるかのような冷徹な声。 振り返ったクロエの顔は、氷の彫刻のように冷酷に引き結ばれていた。何よりその透き通る水色の瞳の奥で、青白い激怒の炎がメラメラと音を立てて燃え盛っている。
(ひっ……!)
さすがのリリアーナも、王国最強の騎士団長が本気でブチギレた時の殺気には耐えられず、ビクッと激しく肩を跳ね上げてピタリと動きを止めた。 いつもは温厚で礼儀正しいクロエがここまで怒っているのは、他でもない――「自分が命がけで守り、やっとの思いで王宮に連れてきて手厚く扱っている最愛の魔女(かつ命の恩人)」を、病み上がりアピールもそこそこに爆速ダッシュで肉体的拷問にかけたからに他ならない。
「……病み上がりの体にムチを打って走り回るのは自由ですが、なぜ我が国の至宝である魔女殿を、そんな瀕死のゾンビ状態にするまで引きずり回したのですか」
(...いつの間に私は至宝にランクアップしたんですか?)
誰にも届かないエルの心の声。魔女の立ち位置がどんどん変化してきているらしい。
クロエの低い声のプレッシャーに、リリアーナは冷や汗をダラダラと流しながら、半泣き状態で必死に両手をぶんぶんと振った。
「ち、違いますのクロエ様! 誤解ですわ! 私だってもっと優しくエスコートしたかったのですけれど、エル様が……エル様が『この病気が治ったらすぐ森へ帰る』って仰ったものですから……!」
「……は?」
その瞬間、執務室内の空気がさらに5度ほど下がった。 クロエと、机の奥で書類を持ったまま固まっていたシルフの動きが、完全にピタリと停止する。
「森へ……帰る?」
クロエが凍りついた声で繰り返すと、リリアーナは必死にこくこくと頷いた。
「そうなのですわ! せっかく エル様がいらしてくださったのに、完治したらすぐにお暇してしまうなんてそんなの絶対にあってはなりませんわ! だから、お二人になんとかして『エル様をこのまま王宮に引き止めて!』と直訴しなきゃって思って、つい足が勝手に……!」
お姫様の必死の弁解を聞きながら、エルはぼんやりと開いた口で「えっ、私そんな大罪を犯したの?」と、酸素の足りない頭でぼんやりと考えていた。




