第12話:王宮に走る緊張と、暇を持て余す魔女の日常
ハーブ専門店での一件で確信を得たクロエは、その足で王太子の執務室へと向かっていた。
王都の闇に潜む呪いの出所をシルフへ迅速に報告するためだったが、扉の前に立った彼は、どこか緊張した面持ちで軽く扉を二回叩いた。
「入れ」
低く落ち着いたシルフの許可の声を確認し、クロエが重厚な木製の扉を押し開けて足を踏み入れる。
――その瞬間、クロエの足がピタリと止まった。
「失礼……いたします」
部屋の奥、いつもなら分厚い書類の山に囲まれて一人でガリガリと執務に励んでいるはずの王太子の机の前に、見慣れた、しかしここ数日は絶対にいるはずのない人物の姿があったのだ。
淡い光を通す大きな窓辺のソファに腰掛けていたのは、つい先日までベッドの上で死の淵をさまよっていたはずの婚約者――リリアーナその人だった。
まだ少し顔色は白いものの、他人の手を借りずとも自分の意思でしっかりと上体を起こし、穏やかな笑みを浮かべて紅茶のカップに手を伸ばしている。
「殿下、失礼いたします。……それに、リリアーナ様。もう一人で起き上がれるほどにご回復なされたのですね」
クロエが驚きを隠しきれない声で尋ねると、リリアーナはふわりと優しい微笑みを浮かべてカップをソーサーに置いた。
「えぇ、おかげさまで……。本当に、あの森から来てくださった魔女様のおかげです」
その声にはまだ病み上がり特の微かなかすれがあったものの、かつての生気を完全に失っていた人形のような状態とは比べものにならないほど、確かな命の力が戻っていた。
リリアーナは柔らかく目を細めると、すぐさまクロエの背後や部屋の隅へと視線を巡らせ、少しだけそわそわとした様子で尋ねた。
「あの……クロエ様。エル様はご一緒ではないのですか? エル様はお部屋にいらっしゃいますか?」
「はい。先ほど、街の散策から戻ってきて部屋へ送り届けてきました」
クロエが淡々と答えると、リリアーナは「よかったです……!」と胸に手を当てて心底安心したように息を吐き出した。
(リリアーナ様が目を覚ましたとなれば、呪いの出所や黒幕について、彼女自身から何か新しい証言が引き出せるかもしれない……)
クロエは兜の緒を締める思いでスッと姿勢を正すと、シルフとリリアーナに向かって、街のハーブ店で得た不穏な仮説と、王都の闇に蠢く呪いの触媒についての報告を切り出すのだった。
「……そのようなことが」
クロエからのハーブ店に関する報告を聞き終えたシルフは、一段と眉間の皺を深く刻み込み、腕を組んで難しそうに唸った。 原料の一つが判別できたとはいえ、それが街のどこでも手に入るありふれた薬草である以上、購入者の足取りを追うのは至難の業だ。買い手などいくらでもいるし、一般市民を装って買い集められればそれまでである。
さらに、シルフの脳裏をよぎった最悪の可能性が、室内の空気を一段と冷たくさせた。
「もし、その購入者が城内……あるいは頻繁に城へ出入りが可能な者の仕業だとしたら。リリアーナを狙ったのと同じ手口で、今度はエル殿の命にまで危害が及ぶ可能性があるな」
「……そうですね。今のところ、この国で唯一のあの呪いを治療できる人間ですものね……」
リリアーナはそこまで呟くと、ふっと視線を落とし、疲労の色が滲む痛々しい表情を浮かべて小さく息をついた。わずかに動くだけでもまだ体力が削られるのだろう。
その変化にいち早く気づいたシルフは、すぐさま部屋の隅に控えていた侍女を呼び寄せ、彼女を大切に支えさせながら自室のベッドへと戻るよう促した。 重い扉が閉まり、再び執務室にシルフとクロエの二人が残される。 シルフは険しい顔のまま、ずしりと重いため息を吐き出した。
「エル殿はご自身にも危険が迫っていることを、正確に把握しているのか?」
「……おそらく、そこまでの自覚はないかと」
クロエが苦々しげに答えると、シルフは頭を抱えたくなったようにこめかみを指で押さえた。 どれほど王宮の精鋭たちを総動員して周囲を厳重な護衛で固めようとも、肝心の本人に「私、今めちゃくちゃヤバいテロリストの標的になってるのかも!」という危機意識が一切なければ、不意を突かれたときに守りきるのも難しくなってくる。なにせ、その魔女様は今日も今日とて「王都のハーブ店、品揃え最高!」と目を輝かせていた天然なのだから。
(あの無防備な様子では、もし万が一のことがあったら……!)
クロエの中で、冷徹な騎士団長としての理性がガラガラと音を立てて崩れ、一人の男としての強烈な焦燥と独占欲が泡のように沸き上がってくる。
「……彼女の護衛、一層厳重にします。たとえ一歩も部屋から出さないことになろうとも、俺が絶対に守り抜きます」
「頼む、クロエ。……だが、あまり彼女を縛りすぎないようにな。あの魔女殿、案外気難しいところがありそうだからな」
シルフの苦笑いを交えた忠告に、クロエは「心得ています」と短く力強く頷くと、エルが待つ自室へと早足で向かうのだった。
***
「ん?」
廊下をトコトコと歩いていたエルは、ふと違和感を覚えて足を止めた。 なんだか最近、自分の両サイドをまるで要人警護のようなガタイのいい屈強な男たちが、一定の距離を保ったままぴったりとマークして歩いている気がするのだ。
(えっ? 私、いつの間にか王宮の不審者リストのトップにでもランクインしたの……?)
恐る恐るチラリと右隣の男を見上げてみると、男はビクッと肩を揺らし、ものすごい勢いでソロリと目を逸らした。 じゃあ反対側ならと、左隣の男を見上げてみても、やはり全く同じように「私はただの風景ですが何か?」という無機質な虚空を見つめる反応が返ってくる。
「あの……私、何かすごく警戒されてますか?」
勇気を出して直球で問いかけてみるも、屈強な護衛たちは口をへの字に結んだまま一言も発しない。訓練されたプロの衛兵として「魔女殿の質問には一切応じるな」と厳命されているのだろうが、エルからすれば不気味さ百パーセントである。
そんなエルの小さな疑問とプチ恐怖をすっきりと解決してくれるように、前方からずんずんと真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる一人の男がいた。
「エル、今からリリアーナ様の治療か?」
シルバーの髪を揺らしながらスッと歩み寄ってきたのは、他でもないクロエだった。
「あ、クロエさん。……はい、今から昨日の続きの浄化をするところです」
「そうか。では、それが終わったら少し時間をくれないか?」
「いいですよ。だいたい暇してるので」
二つ返事で即答するエル。
それもそのはずである。王都の街へ連れて出してもらったのは嬉しかったが、それも束の間。城に戻れば「要保護対象の魔女様」という名目で、あちこち行動を制限されているのだ。
ハーブ専門店で面白いものこそ見つけたものの、森の自分の家にいたときのように、窓辺でスパイスを煮込んだり、新しい毒消しの実験を盛大にやらかしたり、壁一面に怪しげな魔法陣を描いたりなんてことは、城のセキュリティと侍女たちの厳しい目があるため絶対に許されない。 結局のところ、今エルが部屋で作れるものと言えば、せいぜい初心者向けの簡単な傷薬くらいのものだった。
(すり鉢ですら「魔女様にお怪我をさせては大変です!」って取り上げられそうになるし……誰でも作れるような普通の軟膏しか作れないなんて、私の錬金術キャリアが腐っちゃうわよ!)
暇を持て余してすっかり干からびてい引きこもり魔女の切実な内情など露知らず、クロエは「話したいことがある」と真剣な表情を浮かべるのだった。




