第11話:ハーブの裏に潜む影と、胸キュンハプニングの果てに
目的のハーブ専門店に足を踏み入れた瞬間、エルの魔女としてのスイッチがカチリと音を立てて入った。
「わぁ……すごい……!」
エルは一歩一歩、まるで美術館の絵画を鑑賞するかのように、店内に並ぶ乾燥ハーブや薬草の束を一つずつじっくりと眺めていく。
(図鑑でしか見たことがなかったものばかりだわ! しかも、それがこんな安い金額で売ってるなんて……! 王都すごい……!)
エルにとっては喉から手が出るほど貴重で珍しい魔術・薬学の素材が、この街の人々にとっては日常の買い出し品のように並んでいる。その驚きと興奮で、エルの瞳はキラキラと星のように輝いていた。
そんなエルの様子を、クロエは少し離れた場所から飽きもせず、終始やわらかな眼差しでそっと側に寄り添いながら見守っていた。
(こうして楽しそうにしている姿を見ているだけで、街に連れ出した甲斐があったというものだ……)
夢中でハーブの葉の匂いを嗅いだり、茎の断面をまじまじと観察したりしていたエルだったが、ふと、棚の隅に置かれた一鉢の地味な草木に目を留めた。 その瞬間、彼女の表情からパッと楽しげな色が消え、スッと真剣な魔女の顔に切り替わる。
エルは隣に立つクロエの袖を、キュッと小さな指先でツンツンと引っ張った。
「......〜っ!...どうした?」
急に服を引っ張られたクロエは、そのあまりに可愛い仕草に内心で激しく悶絶しそうになりながらも、必死に顔を引き締め、真面目なトーンを作ってエルと目を合わせた。
「……これ、一般的な薬草に見えますけど、調合の仕方によっては強烈な毒になります。あるいは、特定の魔力を込めて加工すれば、人を呪縛するための呪術にも使えたりします……」
エルのそのひそやかな、しかしはっきりとした指摘を聞いた瞬間、クロエの表情から先ほどまでの穏やかな温もりが一瞬で消え去った。 彼の脳内で、リリアーナを襲ったあの「どす黒い呪いの瘴気」と、王宮の裏でうごめく不穏な影の記憶がガチリと結びつく。
「……店主、少しいいか」
「はっ、何でございましょう!?」
クロエが静かに声をかけると、店の奥から初老の店主が慌てて飛び出してきた。 王都に住む人間で、最強の騎士団長であるクロエの顔を知らない者などいない。店主は目の前に現れた国家の重鎮の圧倒的な気迫に気圧され、額に冷や汗をにじませた。
「こちらは、王都では珍しいものなのか?」
「い、いえ! そちらはごく一般的な薬草でして、街のあちこちで日常的に手に入るものでございますよ?」
「……これを買っていく者は、誰かチェックしているか?」
「は? さすがにただのハーブの買い付けですので、誰が買ったかまでのチェックは……。市民の方も、お城に出入りするご貴族様も、皆様気軽に買いに来られますので……」
店主が恐縮しながら答えると、クロエは険しく美しい眉をぐっと寄せた。
「そうだろうな。……すまない、助かった」
(誰でも気軽に、安価に手に入る……。もし、リリアーナ様を蝕んだあの強力な呪いの触媒が、こうしたありふれた市販の薬草から精製されていたとしたら……?)
店主にお礼を告げながら、クロエの心臓は冷たく、そして激しく警報を鳴らしていた。 煌びやかな王都の表面のすぐ裏側で、誰が、何の目的でこんな危険な術式を組み立てているのか。 エルが何気なく見つけた一つの薬草が、静かに、しかし確実に、王宮を揺るがす闇の核心へと彼らを導き始めていた――。
店に並ぶ商品すべてを細部までチェックし終えたエルは、ふと隣に立つクロエの顔をそっと伺った。
「……あの、大丈夫ですか?」
さっきまでのデート気分はどこへやら、すっかり「王国騎士団長の顔」に戻って鋭い思索にふけっているクロエを見て、エルはこれ以上お出かけを続ける雰囲気ではないと敏感に察していた。せっかくの休日に自分のせいで水を差してしまったのではないかと、どこか申し訳なさそうな目を向ける。
そんなエルの気遣わしげな様子に気づいたクロエは、ハッと我に返ったように表情を和らげ、またあの時と同じように――ふわりとエルの頭に大きな手を置いた。
ポン、と優しく二度。
「気を遣わせたな。すまない。……もう、この店はいいのか?」
「……はい。十分見応えありましたし、行きましょうか」
少しだけ名残惜しそうにしつつも健気にうなずくエルに、クロエは愛おしさが爆発しそうになるのを必死こらえながら頷き返した。
そうしてハーブ専門店を後にした二人が次に向かったのは、石畳の通りを少し奥へ入った、重厚な木製の扉が目を引く一軒の店だった。
「ここは、王宮が特別な許可を出している店だ。他では絶対に入手できない珍しい魔導具がたくさんあるはずだ」
「王宮の特許……!? そんなの絶対面白いものしか置いてないじゃないですか!」
先ほどまでのしんみりした空気が嘘のように、エルの瞳に再びパッと輝きが戻る。 その変異の早さにクスリと笑いながら、クロエが扉を押し開けてエルを中にエスコートした。
一歩足を踏み入れた瞬間、店内は先ほどのハーブ店とは打って変わって、不思議な静けさと無数の魔力の光に満ちていた。 天井から吊るされた星型のランプが青く揺らめき、ガラスケースの中には宙に浮く小瓶や、勝手にページがパラパラと捲れる魔導書、微かに光を放つ鉱石などがずらりと並んでいる。
魔法の使用はできないが(そもそも皆魔力持ちではない)魔力の籠もっている魔道具の使用は認可されている。
「わぁ……! すごい……って、あれ?」
エルは店内を一通り見回すと、だんだん目を丸くし、きょとんとした表情に変わっていった。 宙に浮く小瓶を覗き込み、パラパラと捲れる魔導書を眺め、棚の隅の鉱石をじっと観察して――エルは首を傾げた。
「あの……クロエさん、ここにあるのって……」
「どうした? 気に入ったものがあったか?」
「いえ、そうじゃなくて……。これ、全部うちの小屋の作業場に転がってるやつばかりです。珍しいどころか、いつもすり鉢の横で埃被ってましたよ」
「…………は?」
王宮が特別に許可を出しているという由緒正しき高級魔導具店。そこに並ぶ一級品の品々が、すべて「森の奥のあばら家の日常風景」そのものだったという衝撃の事実。 クロエが絶句していると、カウンターの奥からパタパタと足音が響き、店主が慌てて飛び出してきた。
「なんと!そこのお嬢さん! 今『うちの小屋に転がっている』とおっしゃいましたかな!?」
「えっ、あ、はい。これ、うちの納屋にいくらでもありますけど……」
「なっ、なんだって!? この王国随一の最高級魔導具を『いくらでもある』だと!? 一体お前さんはどこの誰だ!? どんな錬金術の秘密を知っているんだ! 教えてくれ!!」
店主は商売の神様を忘れて研究者の顔になり、目をギラギラと輝かせながらグイグイとものすごい勢いでエルに詰め寄ってきた。 突然の猛烈な圧に気圧されたエルは、「ひっ、来ないでください!」と慌てて後ろへ大きくよろめいてしまう。
「っと……危ない」
だが、後ろに倒れかけたエルの背中を、スッと伸びてきた強くて大きな腕がしっかりと受け止めた。 そのまま引き寄せられるように、エルはクロエの胸板へとスポリと収まる形になってしまう。
(――わっ、近っ……!? またこのパターン……っ!)
至近距離から漂う微かな鉄の香りと、クロエの心臓の鼓動がダイレクトに背中へと伝わってくる。 頭の上からは、冷徹な眼差しで詰め寄ってきた店主を静かに牽制しつつ、エルを支えるクロエの落ち着いた声が降ってきた。
「……店主、これ以上近づくと不敬罪で引っ張るぞ」
「ひぃっ、申し訳ありません騎士団長様ぁぁぁ!」
店主が青い顔をしてサッと退散していく中、エルはクロエの腕の中で真っ赤になりながら、頭を真っ白に染まらせるのだった。
***
露店で焼き立ての甘いお菓子を食べ歩き、珍しい大道芸を眺め、あちこちの店を覗き回って――王都の繁華街をすっかり満喫したエルは、クロエと共に満足げな足取りで王宮へと戻ってきた。
自分の部屋の前までしっかりと送り届けてくれたクロエは、ハーブ専門店での一件を確かめるため、そのまま険しい顔つきで王宮の執務室へと足早に去っていった。デートの余韻はどこへやら、一瞬にして仕事モードの騎士団長に戻るその背中を見送りながら、エルはそっと自室の扉を開けた。
部屋に戻るなり、エルはトランクの中からボロボロに使い込まれた分厚い薬草図鑑を取り出し、机の上のランプの灯りのもとでバサバサとページをめくった。
「……あった」
指先でピタリと押さえたページには、今日あの店で見た地味な草木が、細かな手書きのスケッチとともに描き出されていた。 間違いなく、あれと同じ植物だ。
ページを眺めるエルの瞳から、先ほどまでの街歩きの楽しげな光輝がスッと引いていき、代わりに静かな怒りと深い悲しみが宿っていく。
ハーブや薬草は、エルにとってこの世界で生きていくために必要不可欠な相棒だった。
親の顔も知らず、たった一人で静寂の森に置き去りにされた少女が、猛獣や過酷な自然から身を守り、生き抜くためにどれほど必死でこれらの知識をかき集めたことか。 お腹が痛いときは胃を整える茶を作り、肌が荒れれば軟膏を練り、一人ぼっちの寂しさを紛らわすために様々な効能や美容品に加工する工夫を重ねてきた。
エルにとって薬草とは、命を繋ぎ、暮らしを彩るための「慈しむべきもの」だった。
その大切な植物たちが、誰かの命を奪うための「悪事」に使われている。
(薬と毒は、本当に紙一重なのよ……)
エルは図鑑のページを優しくなぞりながら、唇をキュッと引き結んだ。 薬も毒も、突き詰めれば同じ化学反応の産物だ。少し配合が狂っただけで、傷を癒す薬が致命的な毒に化けることだって珍しくない。エル自身、失敗して自分の手を真っ黒に腫れ上がらせた苦い経験は何度もある。
だが、それらはすべて「技術の誤差」や「不注意」の範疇だ。
(……でも、呪いは違う。呪いは、そんな失敗の副産物なんかじゃない)
呪術とは、純度百パーセントの「人の悪意の塊」だ。 誰かを苦しめたい、引きずり下したい、殺したいというドロドロとした執念だけを原動力にして、他人の命の根っこを力づくで食い荒らす。リリアーナをあんな昏睡状態に追い込んだあの黒い瘴気は、まさにその醜い悪意の結実だった。
(あんな綺麗な人たちを苦しめて、裏でこんな汚い真似をしてる奴は……絶対に許せない)
エルの左耳で、水色のピアスが小さく、けれど燃え盛る炎のように熱く脈立った。 自分の忘却のせいで過去の記憶は霧の彼方へ消えているはずなのに、心の奥底で、正義感とはまた違う――「大切なものを守り抜け」という魂の叫びが、激しく警報を鳴らしている。
エルはバタンと図鑑を力強く閉じると、机から立ち上がった。 ただの引きこもり魔女だと思っていた自分が、今や王宮の陰謀の渦中にいる。
(私にできる方法で、あの悪意を徹底的に叩き出してやるんだから……!)
決意を新たに拳を握りしめるエルの背中に、王都の夜風がそっと吹き抜けていくのだった。




