第10話:デート崩壊の危機と、見えない尻尾の騎士団長
エスコートという言葉の響きはどこへやら、今の二人はどう見ても「職務質問を振り切って逃走する怪しい容疑者と、それをガッチリ連行する有能な捜査官」にしか見えなかった。
白亜の回廊をすごい勢いで通り過ぎていくその姿は王宮内でかなり目立っており、すれ違う近衛兵や侍女たちは「……団長殿、デートの気合いが空回って連れ去り事件みたいになっておられるぞ」「あれは職務質問か……?」と、物陰から生温かい目で見守っていた。
だが、当の本人たちは周囲の視線に全く気づいていない。
クロエは「早く街へ連れ出して美味しいお菓子を食べさせてやらねば」という謎の使命感で頭がいっぱいで、エルはエルで「クロエさんの手、大きい……って、待って歩くの早すぎませんか死ぬんですけど!」とパニックを起こしており、ひたすら無言のまま馬車を目指して早足で突っ切っていく。
普段、森の奥でちまちまと薬草をすり潰し、たまにふもとの村までトコトコ歩くだけのインドア生活を送っているエルにとって、王国最強騎士団長のガチの徒歩スピードについていくのは過酷な修行でしかなかった。
(は……はやっ……! 足の回転速度が私の限界を超えてるんですけど……! もっと、もっとゆっくり歩いてください……!)
そう言いたくても、喉まで出かかった言葉はすべて荒い息に掻き消され、肺が酸欠で悲鳴を上げている。 視界がだんだん白んできたその瞬間、エルは「このままでは私のライフがゼロになる」と本能的に察知し、意を決してクロエに繋がれていた手をぐっと力任せに引き寄せた。
「っ……!」
不意に後ろから引っ張られた格好になったクロエは、ハッと足を止めて振り返った。 そこにいたのは、肩で大きく息を荒げ、顔を真っ赤にして膝に手をつき、まるで水揚げされたばかりのマグロのように瀕死の状態になっているエルだった。
その時になって初めて、クロエは自分のペースで彼女を引っ張り回してしまっていたことに気づいた。
(しまった……! いつも軍馬や部下を率いている時の癖で、無意識にいつもの行軍ペースになっていた……!)
さっきまで「スマートに王都をエスコートする完璧な騎士」を目指していたはずの自分が、まさかの「デート相手を早歩きで肉体的拷問にかけていた鬼上司」になっていたという衝撃の事実。クロエの脳内で全俺が盛だいに土下座した。
「す、すまない、エル……! 歩くのが早すぎたな、気づかなくて……!」
いつもは氷のように冷静な騎士団長様が、目の前でゼーゼーと言っている少女を前にして、文字通りオロオロと両手をどうしていいか分からずにパニックを起こしている。
「……。」
荒い息を整えながら、エルは恨めしそうな、それでいてどこか気の抜けた目をクロエに向けた。 言葉が出ない代わりに、その潤んだ瞳が「あなたねぇ……」とすべてを物語っていた。
「……全然楽しくない。部屋に戻ろうかな」
エルがぷいとそっぽを向いて、ぼそっと呟いた。 本当に小さな声だったはずなのに、天井の高い静まり返った王宮のエントランスホールでは、その一言がやけに鮮明に響き渡っていた。
その瞬間。クロエの背後から、目に見えないガーンという大きな擬音が見えるほどのショックを隠せない表情が浮かび上がった。
あんなに意気込んで完璧なデートプランを組み立てていたのに、スタート地点の廊下ですでに「楽しくないから帰る」宣言である。王国最強の剣士も、これには精神的致命傷を負ったようだった。
そして、この歴史的瞬間をホールの一部始終で目撃してしまった数名の近衛兵や侍女たちは――。
(ま、マジか……!?)(あのクロエ団長が、あんなにオロオロしてる……!)(大スクープだ……!)
それぞれ気まずそうに目を泳がせつつも、この後の展開が気になって仕方がなく、誰もその場から一歩も動こうとせず全力で気配を消していた。周囲の空気の密度が異常に高くなっている。
「エル……すまなかった。俺が悪かった。これからはちゃんとペースに気をつけるから、部屋へ戻るなんて言わないでくれ……!」
......えーーー!!?
今度はホールにいた人々の心の声が、あまりの衝撃に一斉に代弁されて聞こえてきそうなほどだった。 あの無表情で氷のようだったクロエ団長が、子犬のように切なげな目で必死に謝っている。周囲のギャラリーたちは「魔女殿の反応は一体どう出るんだ……!?」と、それぞれの期待と好奇心の視線を一心にエルへと向けていた。
だが、そんな周囲の熱視線やロイヤルギャラリーの思惑など、エル本人は全く気づいていなかった。 息がようやく落ち着いてきてもなお、ぷくーっと頬を膨らませて全力で不貞腐れていたのだ。
「王都のエスコートって、みんなこんな感じなんですか? だったら王都なんて、空気が冷たくて足が痛いだけで、何も楽しくないです!」
「そうじゃないんだ……! 出かけることに集中しすぎて、歩くペースをすっかり失念していた……。ただ、早くエルに王都の色んな楽しいものを教えてあげたくて、つい気がはやってしまったんだ……」
しょんぼりとしおれる大型犬のようなクロエの姿を見て、エルのささくれ立っていた不貞腐れモードも、ほんの少しだけトーンダウンした。
「楽しいもの……って、本当にあるんですか?」
疑わしそうに上目遣いで尋ねるエルに、クロエの瞳にピカリと一筋の希望の光が戻った。
「……ッある! たくさんある! 王都の通りにはハーブの専門店もあるし、珍しい薬を外国から取り寄せている魔道具屋もあるぞ!」
「なっ……! ハーブ!?外国からの取り寄せ……!?」
その瞬間、エルの脳内で「王都=地獄の拷問マラソンコース」から「王都=超絶気になる怪しい研究素材の宝庫」へと、劇的な評価の逆転現象が起きたのだった。
「それを最初に言ってくださいよ! じゃあ、早く行きますよ!」
さっきまでの不貞腐れモードはどこへやら、耳寄りな情報を聞きつけた引きこもり魔女のフットワークの軽さは異常だった。 エルはクルリと振り返ると、今度は逆にクロエの手を引く勢いで、スタスタと馬車の方へ駆け出していく。
そのあまりの露骨なテンションの変わりように、遠巻きに一部始終を観察していたギャラリーたちは一斉に遠い目で黄昏れた。
(……なんか、今あの厳めしい団長の後ろ姿に、ブンブン振られてる大型犬の尻尾が見えた気がするんだけど……)
(いや、見えた。絶対に見えた。……俺たち、任務のせいでいよいよ幻覚まで見えるほど疲れてんのかな……)
ホール中にいた全員の心の声が、完璧なまでにシンクロした瞬間だった。
***
―――やがて、二人の乗った馬車は賑やかな王都の中心街へと到着した。
さっきの「連行ダッシュ事件」の反省を完全に活かし、今度はしっかりと並んで、ゆっくりと石畳の街路樹の下を歩く二人。
「わぁ……すごい……!」
エルはキョロキョロと首を忙しなく動かし、道行く露店や色鮮やかな看板を物珍しそうに見上げていた。 いつも薬草と壁しか見ていない森の生活に比べ、王都の華やかな繁華街は、まるで絵本の世界に飛び込んだかのようなエンターテインメントの宝庫だった。
焼き立ての香ばしいパンの匂いや、スパイスの効いた肉料理の香りが鼻腔をくすぐり、色とりどりのドレスを着た貴族や、威勢のいい商人たちの声が活気よく飛び交っている。
「どうだ、楽しんでもらえているか?」
少しだけ歩幅を合わせてくれるクロエを見上げ、エルは満面の笑みでこくこくと頷いた。
「すごく楽しいです! 見るもの全部珍しくて、目が回りそう……!」
その無邪気ではしゃぐ姿を隣で見つめながら、クロエは(あぁ、連れ出して本当に良かった……)と、心の中で盛大にガッツポーズをキメていた。さっきの廊下での絶望が嘘のように、今の彼の背中には文字通りの「見えない尻尾」が幸せそうに揺れているのだった。




