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手探り前向き後ろ向き

 ドクターストップの営業時間中のこと。

 オレと茂美がカウンターでお客さんを待っていると、めずらしく入り口のドアをノックする音が響いた。

「はぁーい! ドクターストップ絶賛営業中よぉ! どうぞ入ってぇ~」

「はい。失礼します」

 二十台後半とおぼしきスーツ姿の男性がひとり、きょろきょろとしながらためらいがちに店内にやってきた。ひどく疲れた顔をしており、少々ほほもこけている。

「ようこそ、ドクターストップへ。さぁさぁお兄さん、どうぞそこにかけて~。疲れた顔して今日はどしたのー? お酒飲む? とりあえずぐいっと飲んどく?」

「あ、いえ、気にしないでください。って言ってもここ、お酒を飲むお店ですよね。じゃあ……あ、でもアルコールはやめてアイスコーヒーを」

「オッケーよー! ノンアルコール大歓迎! 史明、アイスコーヒーおひとつよ~!」

 すぐにアイスコーヒーが用意され、お客さんの前に置かれた。男性はストローに口を当てては離し、どうにも落ち着かない様子である。

 カウンターの下で、茂美の手がオレのスカートを軽く押した。自分に任せろということだろうか。オレは後ろに下がって、ふたりの邪魔にならない距離まで移動する。

「あの、ウワサを聞いてきたのですが、ここのママはどんなひとの悩みごとでも引き受けるって」

「アラアラ何かお悩みがあるのー? 茂美、お客さんのお悩み聞くの大好き、どんどん相談のっちゃうわよ!」

 茂美の言葉を聞いたお客さんが、居ずまいを正して聞いた。

「相談に乗っていただくのって、カウンセリングのようなものなのでしょうか?」

「カウンセリング? うーん。どのようなものなのかしらね~? 茂美そういうの気にしないしぃ。お客さんの思うように受け止めてくれたら、それで茂美は嬉しいかなって」

 男性は茂美の言葉に戸惑うように眉をひそめた。

「ボクの思うようにですか。ボクは悩みを聞くという事で、カウンセリングのサービスがあるのかなって思ってきたのですが」

「なるほど。そんなウワサ立っちゃってるのねぇ。うーん、そうかもしれないし、違うかもしれないわねぇ」

「そうかもしれないし、違うかもしれないって……からかっているんですか?」

 茂美はぶんぶんと激しく頭を左右にふると、ピシッと敬礼をして答えた。

「ノンノンノン! あたしはいたって大真面目よ!」

「それなら、カウンセリングのサービスがあるのかどうか、教えてください!」

「えっとねぇ、あたしはお客さんのものなら悩み事はなんでも聞くし、どんなことだって相談に乗るわ。でもそれをカウンセリングと感じるかどうかって、あなた次第じゃなーい?」

「なんですかそれ? わかるような、わからないような」

 男性は力なく肩を落とした。

 そんな彼の様子を見て、茂美はドクターストップの壁に掛けてある絵を指さした。

「じゃあ、お客さん。あっ、お名前は?」

堂上俊也どうがみ しゅんやです」

「堂上ちゃんね、オーケー。それじゃあ堂上ちゃん、ちょっとあの壁に掛けられている絵を見て欲しいの」

「え? はい。あちらの絵ですね、わかります」

「堂上ちゃんには、あの絵はどう見える?」

「どうって? 地平線から太陽が昇ってきている絵じゃないんですか?」

「そう思うの?」

「違うんですか?」

 オレもふたりとともに壁の絵にじっと目を向ける。

 確かに堂上さんの言う通り、地平線の向こう側から丸いなにか――太陽のようなものが昇り始めているように見えた。

 ただ色彩が独特で、白も赤もオレンジもごちゃ混ぜに使われた色使いはなんとも形容しがたい。これでは夕暮れで日が沈んでいるのか朝焼けで日が昇っているのか、まったく判別がつかなかった。

 堂上さんの返答に、茂美はニッとほほ笑んだ。

「あたしにはね、太陽が海に沈んでいく絵に見えるのよ」

「そうですか。それは、見え方はいろいろあるでしょうけど」

「その通り、わかってるじゃない。物の見え方はひとそれぞれなのよ。正解なんてあって無いようなもの。絵の作者がこれは日の出だといったところで、見たひとが日没に見えたら、そのひとにとっては日没の絵にしかならないワケ」

 堂上さんが首をひねりながら茂美に問いかける。

「この絵には、タイトルは無いんですか? タイトルがあればこの絵が日の出か日没か、どちらを意図したものか、わかるんじゃないですか」

 茂美は両手を広げて大げさにため息をついて首を振って見せる。

 強力な鼻息で、堂上さんの前に置かれたアイスコーヒーのストローが激しくゆれた。

「それは非常に面白くないことよ。うん、とっても良くないわぁ、すんごいバッドなの」

「なんでですか?」

「だってね、堂上ちゃん。もしも絵描きが花の絵を描いたとするわよ。けれども、その絵を見るひとには、残念ながら描いてあるものが花だと伝わらなかった。仕方がないから横に文字で『これは花の絵です』なんて書いたらなんとも滑稽も良い所でしょう。情けなくって涙がでちゃうわぁ」

 堂上さんは茂美の言葉に、考えるように手を口元に当てた。

「それはそうかもしれませんけど。あの、さっきから絵の話ばっかりですが、ボクの質問に答えてください。絵の話とここがどんな場所か、カウンセリングがあるのかどうか、なにか関係あるんですか?」

「一見関係なさそうに見えるでしょ~、で・も・ね。関係あるの。っていうか、絵の見え方もドクターストップの存在も同じイメージなのよ。私が堂上ちゃんの話を聞くわけでしょ。その結果、堂上ちゃんはもしかしたらはカウンセリングを受けた気分になるかもしれない。逆に、ぜんぜんならないかもしれない。だからここがどういう場所かと聞かれれば、ここは女装バー・ドクターストップです、としかいえないのよ。ドクターストップとあたしのお悩み相談をどう思うかは、あなた次第なの」

 茂美の口上に、堂上さんは腑に落ちないという表情を見せる。

「わかるような、わからないような……。とにかく、悩みは聞いてくれるんですよね? 料金とかはどれくらいなのでしょうか?」

「料金ねぇ、お悩み相談に料金設定なんてないけど。いくらにするぅ?」

「いくらにって……あまり高額な金額なら、お断りしたいのですが」

 堂上さんの困惑した顔を見て、茂美が笑う。

「うふふん、わざわざこんな新宿の場末まで話をしに来たのに、今度はお断りときちゃうの~?」

「高額な料金を請求されても困ります。いくらかかるかわからないんじゃ、受けられないのは当たり前じゃないですか!」

「まあまあ、そうかもしれないわね。わからないものってとっても怖いわよね~」

「からかってるんですか!?」

 立ち上がりかけた堂上さんを、茂美の巨大な手が抑えた。

「オッケー、リラ~ックス。リラックスよ堂上ちゃん。少し頭に血がのぼって、ちょうど緊張がほぐれたんじゃない? だって、堂上ちゃんたらここに入ってきた時からカチンコチンなんだもの。せっかちさん。さあ、本題に入りましょ」

「本題?」

「この店に、わざわざ何か悩みを話しにきたんでしょ? そのお悩みを話してみてよ。ただのオネエの人生相談よ、お代のことは気にしないでいいから」

 茂美の落ち着いた声のトーンに、堂上さんは大きく息を吸った。

「お代は、気にしなくていいんですね?」

「ええ、オネエに二言はないわぁ。コーヒー代は貰うけど、お悩み相談はフリープランよ」

 何度かコーヒーをブラックのまま飲み下し、重い口を開く。

「それでは、相談の件ですが……実は、勤めていた会社が先日倒産いたしまして」

「んーっま! 世知辛いわねぇ。堂上ちゃんも大変ね。それで?」

 堂上さんは手のひらを握りしめる。

「ボクは幼いころに両親を亡くして天涯孤独で、ずっと施設で育ってきました。勉強は誰よりもしましたし、人一倍努力してきたつもりです。お金がないなかで国立の大学に入り、そこをトップで卒業して、やっとのことで去年、日本でも有数の大企業に入ったのに! そこが……」

「んーまっ! 不景気ってどこも厳しいのねぇ。堂上ちゃんもせっかく頑張ったのに、やってらんないわよねそんな世の中。それでそれで?」

「もう、どうしていいのか。自分はなんのために勉強して。いや、そもそもなんで今までこんな必死に生きてきたのかもわからなくなって。それで、ここに来ました」

 堂上さんの話を一通り聞き終えると、茂美は野太い首を斜めにひねった。

「それでここに来たの? うーん……」

「何かおかしいですか?」

「つまり堂上ちゃんは、会社の倒産のショックで今まで積み上げてきたものが何もかもわからなくなって、悩みに悩んでここに来たということになるわよね?」

「はい、そういう事ですね」

「光栄なことだわぁ。でもね、あたしにはどーっすることも出来そうにないわぁ」

 さらりと答える茂美に、堂上さんが身を乗り出した。

「あなたはどう思いますか? だって理不尽でしょう!? ボクはこんなに努力してきた! 頑張ってきた! 必死に生きてきたのに、どうしてですか!? なんでボクばかりこんな目にあうんですか!? もう、こんな人生は続けていたって仕方ない、死ぬしかないんだって」

「はぁい落ち着いて~。クールダウーン」

 茂美が両手で堂上さんのほほを撫でながら、ふぅっと息をかける。前髪が揺れて不快そうな表情をした堂上さんに、茂美は指を離してその指を自分の口元にそえた。

「ねぇ堂上ちゃん。あなたには、あたしのことがわかる?」

「急に何を? 今日初めてあったひとのことなんて、わかるわけないじゃないですか」

「あら寂しいっ! それってなんで?」

「なんでって、ボクとあなたは赤の他人だからじゃないですか」

 茂美は指をパチンと鳴らすと「それよ!」と短く叫んだ。

「わかってるじゃなーい。その言葉をそっくりお返しするわ。なんでボクがこんな目に? って聞かれても、あたしは堂上ちゃんじゃない、赤の他人。だから、わからないのよぉ」

「そんな! ママは悩みの相談にのってくれるひとなんじゃないんですか!?」

「それはそうよ。でもね堂上ちゃん。あなたはさ、ああ、辛かったわね! それすんごいかわいそうっ! 諦めないで、次はきっとうまくいくから大丈夫、がんばって! ……なぁんて適当な言葉が欲しいの?」

 ほんの少しの間。

 口を開きかけた堂上さんが、こめかみに手を当てる。

「それは……違います。でも、自分がどうしてこんなに報われないのか、これからどうすればいいのか。その答えが欲しくって」

「答えはもう、あなたのなかに出ているんじゃないかしら?」

 茂美が堂上さんの胸を指さして言った。

「答えが出ていたら、わざわざ相談になんて来ませんよ!」

「堂上ちゃんはもうぜーんぶわからなくなって、人生を続けていても仕方がないのかも――と思っているんでしょ?」

「はい、確かにこのままの人生をどうしたらいいか、わからなくなっています」

「だけどね、堂上ちゃん。あなたはそう思いながらもここにきている。もし本当に人生を続ける気が無ければ、今頃はどこかの高層マンションの屋上にいるかもしれないし、ホームセンターで丈夫そうなロープを買っているかもしれない。大量の薬を求めてドラッグストアに駆け込んだかも。けれど、あなたはそういった事をせずに、きちんと悩みを抱えたままここにきたのよ」

 茂美の指が、コツコツとカウンターをリズミカルにたたく。

「死ぬと言葉だけで言っている、弱虫だとでもいいたいんですか!?」

「とんでもないわ。あなたはここに来るまで沢山の葛藤があったのでしょう。その中には、怖いけど死っていう選択肢も確かに存在しちゃったんだと思うの。けれど、いくつもある選択肢の中から、堂上ちゃんはここに来ることを選んだ。それがどういう意味かわかる?」

 一瞬の沈黙。アイスコーヒーの氷がカラン、と音を立てた。

「……ちょっと、わからないです」

「堂上ちゃんはね、根本的な答えはもう出ているの。『生きる』っていう答えがね。ただ、どうやって生きていくかを迷っている。もっと言えば、どう『自分の力で生きていくのか』を迷っているのよ」

「どうしてそんなことが、ママにわかるんですか?」

 茂美は得意げに、人差し指を上に立てて語りだした。

「まず死ぬつもりなら、こんなにわかりにくい場所まで足を運ばず、さっきも言ったように違う所に向かっているわ。そしてもしも生き方に迷ってそれを誰かにゆだねようとしているのなら、きっと教会なり御寺なりこころのお悩みセンターなり怪しいセミナーなりに駆け込んでいるのよ」

「なんで、教会や御寺なんですか? いきなり出てきた感じですが」

「そこに『絶対的な教え』があるから。人生に悩めば教典を開き、その教えにのっとり動けばいい。そういう場所だからよ。だけど、堂上ちゃんは神頼みなんてしないで自分の意思でこのわかりにくい場所まで来て、ぶつぶつと、まあ弱音を言いにきたわけよ」

 堂上さんが眉をひそめる。

「なんだか、宗教や神様や相談センターを否定しているような言い方ですね」

 茂美は滅相もない、という様子で堂上さんの言葉に大きく手を左右に動かした。

「まさかぁ、とんでもないわよ。あたしってば宗教には敬意を払っているよ。わからないことを『奇跡』とか『教え』と位置づけ、長い歴史の中で数えきれないほどの人間を導いてきた功績は、素晴らしいものだと思うわ。相談センターだって、たくさんの人を救っているしね」

 まあ、今は宗教談義をするつもりはないけどさ。と言って茂美はカウンター裏に置いていた水を飲みほした。

「宗教っていうのはバカに出来ないものよ。想像を絶する年月を息づき、科学が発達した現代でも全く色褪せぬ教えには、学ぶこともきっと多いはずよ」

「学ぶことは多いのに、ボクは宗教に頼ってはいけないのですか?」

「いけなくはないわよ。生き方にこれがいけない、これが良いなんて無いわ。悪いことさえしなければ、法律さえ守っていればこの世の中はフリーダムよ! でも、宗教はきっと今のあなたには向いていないの」

「そう思う理由を教えてください」

 堂上さんはいつの間にかすがるような眼で、茂美を見つめていた。

 すっかりと茂美の話術に入り込んでいるように見える。

 オレはずっと耳を傾けて、ふたりのやり取りに聞き入っていた。

「堂上ちゃんはね、自分の道は自分自身で決めて歩くのが性にあっているのよ。だからこんなわかりにくいところまでやってきているの。宗教は人生の道導べであったり、生き方の地図であるところも多々あるわ。でもね、祈る事が大事な人間もいれば、祈りに使う時間に手足を動かしていたい人間もいるのよ」

「確かにボクは何かに祈ったりする習慣はありません。何に祈っても変わりはしないってくらいに思っています。第一、救ってくれるひとなんて、今までもだれもいなかった」

 茂美はひとつ頷いて、微笑んで見せる。

「大事なことは、祈りを大切にするひとを否定しないことだけれどね。ともかく、何が大事で何が貴重かはひとそれぞれなワケよ。けどまぁ、そのそれぞれの中で堂上ちゃんはそうして自分で考えて歩いていきたいと思っているわけなのよ。自分でも、そう感じるでしょ?」

「はい。今までずっと、そうしてきましたから。自分のことは自分で決めて来ました」

「良い返事だわ。そして、この店までやってきたってことは、その歩みを今になってやめるつもりもないって事なの」

 堂上さんが、大きく息をついて天井を見つめる。

「確かに、ママの言葉を聞いているとそういうことかもしれないって感じますけど」

「じゃあ、なにか違うと思う?」

 堂上さんは何度も首を左右に振った。

「いいえ、わからないです」

「ううん、堂上ちゃんはわかっているのよ。人間はね。わからないものには、何か理由をつけちゃうの。わからないをわからないまま、長く抱えていくことなんて出来ないのよ。そして、わからないを抱えた時に答えを外のだれかに求める人間と、内側――つまり自分自身で見つけようとする人間がいる」

 と言ってもこれはとっても大雑把、かつひどく乱暴なまとめ方ではあるけれどね。と付け足した後、茂美が堂上さんの顔をのぞき込んだ。

「ボクは内側、自分で答えを見つけようとする人間なのですか?」

「あたしはそう思うの。堂上ちゃんは、きっとそうなのだろうって」

「死ぬつもりなら、ここには来ない……。答えは、自分で見つけたい……。わからないものには、理由をつけたい……」

 堂上さんが、茂美の言葉たちをかみしめるように反芻する。

「堂上ちゃんはね。会社が倒産して自分がついていない、とても不幸だと感じたの。だけどそれに納得がいかないのよ。そして突然襲ってきた不幸によって何もかもを諦めるタイプの人間でもなかった。とすると、答えは明白でしょ」

「答えがそんな簡単に出ているのなら、ここには来ていません」

 堂上さんの言葉に、茂美が首をかしげる。

「でも、堂上ちゃんはこれからも生きていくんでしょ?」

「そうですね。生きていきたいと思います。でも会社が潰れて、これからどうやって生きていけばいいか……」

「やぁねぇ。そんなもん、どうにでもなるわよ!」

 茂美がなんてことないというように手をササっと払って見せると、堂上さんが力なく微笑んだ。

「どうにでもなる、ですか。ママは随分と冷たいんですね」

「そんなことはないわよ~。あたしは誰にでも平等に優しいママよ。ただ堂上ちゃんは生きるか死ぬかの答えなんて、もうここに来る前からとっくに出していたからね。生きるか死ぬかを決めたなら、これからの生き方だってちょちょいと決めていけるわよ」

「でも、今の社会はそんな簡単には……」

 言いかけた堂上さんが、自分を納得させるように数度首を縦に振る。

「いや、そうですね。うん。ママの言う通りだ。きっとこれからの生き方も、なんとか自分で決めていくことが出来るんでしょうね」

「でしょ~、そう考えたら、もう万事解決って感じしてきちゃわない?」

 堂上さんが茂美の極端な理論に苦笑する。

「いや、そこまでではないですね。でも、ありがとうございます。なんにもスッキリしないような話だったのに、なんだか気持ちのつかえがとれた気がします」

「スッキリしない話ってことはモヤモヤってことね。オネエにモヤモヤは誉め言葉だわ、ありがとう堂上ちゃん」

「ママは強い人ですね。……それじゃあ、もう行こうかな。あの、御代は?」

 アイスコーヒーを飲みほした堂上さんが、立ち上がって財布を取り出した。

「アイスコーヒー代、五百円になりまーす!」

「これだけ話を聞いてもらって、本当にそれだけで良いんですか?」

「さっきも言った通り、オネエに二言はないわよ~。それに堂上ちゃんは最初から答えをもっていたじゃない。あたしに向かって話そうが、壁に向かって話そうが、きっと答えは同じだったわよ。時間と交通費が申し訳ないくらい」

 おどけて見せる茂美を、堂上さんはまじまじと見つめた。

「ママって、不思議なひとですね」

「そうかしら。まあ、どうしてもお代のことが気になるっていうんならバーンと起業でもして、従業員たっくさん雇って、皆でうちに飲みに来てちょうだい!」

「はははっ、起業ですか。そんな選択肢もあるかな、考えておきますね。それじゃ、これからのことを決めていかなきゃいけないし……失礼します」

「せっかちさんねぇ。なんならもう少し、ゆっくりしていってもいいのよ?」

 堂上さんは首を振り、笑って見せる。

「いえ、今から早速自分の新しい生き方を探しに行きたいので」

「そう。それじゃ、ここにいても仕方がないわね。まさか女装バーに就職しますって言う感じでもないしぃ」

 茂美の言葉にグザリと胸が痛くなる。まんまオレのことじゃねーか。

「はい。本当に、ありがとうございました」

 深々と頭を下げた堂上さんに、茂美が問いかける。

「堂上ちゃん、もしも生き方に迷って答えが出なかったら、ここにまた来る?」

「わからないです。でもこのわからないって思いは、このまま抱えていこうかと思います」

「やっぱりあなたは強いわね」

「それじゃ、五百円……。この度は、お世話になりました」

 もう一度頭を下げた堂上さんが、ドアベルを軽快にならして去っていく。

 オレはドアが閉まったのを確認すると、茂美に話しかけた。

「なぁ、茂美。なんていうか今日は堂上さんにずいぶん遠回りというか、まどろっこしい話し方をしていたけど、どうしてだ?」

「堂上ちゃんが入ってきた時の様子を見てね。ああ、この子には頭の体操が必要だと思ったのよ」

「確かに思いつめた表情をしていたけど、体操って?」

「人間はね、自分のなかで迷えば迷うほど、考えこめば考え込むほど視野が狭くなるの。自分の世界に沈み込んでいってしまうのね。ましてや堂上ちゃんは営業中の店にまでノックして入ってくるような、クソ真面目で慎重な子よ。話を聞いて、きっといきなりの会社の倒産で、頭のなかはがんじがらめになっていると思ったの」

 ドアをノックして一言二言言葉を交わしただけで、茂美はそこまで推察していたのか。

 本当に、相も変わらずとんでもない勘の鋭さである。そこから展開していったあの話術たちも、脱帽ものだ。オレはいつになったら、茂美のようになれるのだろうか。

 羨望の眼差しを向けた先では、茂美が一息でタバコを吸い上げ、大量の煙を噴き出している。

「彰人。多くの人はね、何か悩みに直面したとき、実は自分の中にきちんと答えを持っているの。それでも悩んでしまう。どうしようもないくらい悩みぬいてしまうの。世の中ってやつはグルグルとせわしなく回るから、前向きな人間だって時にはどっちが前かわからなくなって、いつの間にか後ろを向いちゃってるのよ。まったく、人間ってのは不思議なものね」

 茂美は灰と化したタバコを灰皿に押し付け、少し寂しそうに微笑んだ。うっすらと明けてきた白い日差しが、店に立てかけてある絵を照らし出す。

 果たしてあの絵は日の出なのか、日没なのか。

 その答えは、自分のなかの宿題にしよう。

 オレは今日のことを忘れないために、心の中でそう決めたのであった。

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