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史明の使命は洒落にならない

 午前九時三十分。

 店のシャッターを閉めて、洗い物も片付いた。

 拾われたオレのドクターストップでの一日は、あっという間に終わりを告げる。


 馴染んだ夜の世界と、初めて触れた夜の優しさ。

 慣れ親しんだ接客業と、初体験の女装とメイク。

 曖昧さと豪快さと暖かさに翻弄された時間が、今終わろうとしている。

「お疲れ、あがっていいわよ」

 ぼんやりとカウンターの前に立っていたオレに、茂美が言う。

「あの、オレ……」

「何よ。ああそうそう、コスプレ衣装はちゃんと置いていきなさいよね!」

「言われなくても持ってかねーよ! そうじゃなくって」

 照れや恥ずかしさ、断られるかもという不安に声も緊張してしまう。

 でも、きっと――。オレが前に進むためにこの店でもっと多くの事を学ぶべきなんだ。

 だから、オレは言わなきゃいけない。

「オレ、ここで働き……」

 ガシャン!

 オレの言葉を遮るように、店のシャッターが乱暴な音を立てた。ガタガタとシャッターを外から持ちあげる音が店のなかに響く。

 何事かと身構るオレの前で、店のドアが物凄い勢いで空いた。

「あはーん! フランソワ疲れちゃったぁ~! お疲れプリン★ソファー貸して!」

 突然の野太いカマ声と、茂美に勝るとも劣らない堂々とした体躯。

 その巨体にどう押し込んだのかわからない、ピチピチの露出の多いサロペット。

 そこから垣間見える、てかもろに見えるはりさけそうな胸筋から伸びる丸太のような二の腕。ぼさぼさの髪は虹のように極彩色に染められている。

 ……なんだこのクレイジーファッションモンスターは!?

「フランソワ、せめて裏口から入って来なさいよ」

「やーん、めんどい! みゃは!」

 モンスターが茂美にウインクする。目じりのシワが若干年齢を感じさせた。

 決して若くないぞ、このモンスター。

「めんどい! じゃないの! あんたそれでもう四回うちのシャッター壊してるでしょ!」

「しーらない」

 妙に幼い口調がこの髭面モンスターにある種の可愛さを……与えるわけがなく、うん、率直に言ってキモイ。

「こ、こいつは?」

「フランソワ明子。少し離れた場所にあるなんでもありのごった煮バー『プリティ★動物園』のスタッフだが、たまにうちを手伝うこともある」

「ほ、ほほう……」

 オレにはどう見ても邪魔しに来ているようにしか見えない。

 古賀の説明を聞いているオレの目の前では、茂美とフランソワが睨みあっていた。

「知らないじゃないのよ、この筋肉ダルマがぁ~!」

「あれぇ? 胸元茂むなもと しげるがなに調子乗っちゃってるワケ~? あは、今日も茂ってるのねぇ、む・な・げ」

「ちなみに胸元茂は茂美の本名……げぼぉ!?」

 解説途中の古賀が、飛んできた巨大灰皿によって地面に沈む。

 死ぬぞ、おい。

「その名を呼ばないで頂戴! あたしを呼ぶ時は高貴に! エリザベス茂美とお呼び! いいこと? こぉの藤沢昭雄ふじさわ あきお!」

 このモンスターは藤沢昭雄というらしい。本名が若干オレに似てる、つらい。

「ん~っま! 私を呼ぶ時は優雅に! フランソワ明子とお呼びなさい!」

 詰め寄る二人のムキムキオネエ。激しくぶつかり合う腕はカマぜり合い、もといつばぜり合いの如し。

 なんという地獄絵図だ。

「なぁにが優雅によ? 筋肉モンスターが!」

「化粧ゴリラのどこが高貴だってぇ?」

 一瞬の間をおいて、ふたつの巨大な影の目がギラりと光った。

「ウォホッ!」

「ヒュッフゥ!」

 拳を繰り出すエリザベスゴリラ。

 その腕をかいくぐるようにしてカウンターを見舞うフランソワモンスター。

 人外の雄叫びとともに開始された、異種異形格闘技戦。

「はい、そこまでー」

 ぶつかり合う拳が互いに弾き合う。その空いたふたりの隙間に、いつの間にか起き上がった古賀が入り込んだ。

 交差させた両腕にはアイスピックが握られ、その切先はふたりの喉元に向いている。

 この人外魔境を瞬く間に制するとは……。古賀、お前いったい何者だ。

「茂美、いいから先にあがれ。フランソワ、寝るならそこのソファーでな」

「OK、あとよろしくね、史明」

「やぁん古賀きゅん激しぃ! フランソワこわぁい……から、寝る!」

 制された茂美が背を向け、フランソワはソファーにダイブしていびきをかきはじめる。


 古賀史明、涼しい顔で二頭の凶暴な生き物を自在に操るとは……。

 現代の曲芸師、いや魔物使いのような男である。

 歩き出した茂美に、オレは慌てて声をかけた。

「茂美、待ってくれ! オレ……」

「明日からもここで働くんでしょ。それなら史明に色々教わっといてね。それと」

 茂美はあまりにもあっさりとそう言って、オレの胸に手を伸ばす。

 さっき胸ポケットに入れた伴子のくれたお金を、目にも止まらぬ速さで抜き取った。

「出てっても行き倒れないように、餞別のつもりであげたんだからね、これ」

 ああ……オレの五万円から、数枚の札が抜かれてゆく。

「うちで面倒見るなら、必要以上にあげなくていいわよね? ほい。じゃあまた夜にね」

 戻ってきたのは一万五千円。

「なんというパワーダウン……って、あれ?」

 伴子は全部万札を置いていったと聞いたけど、五千円?

 首を傾げるオレをよそに、茂美はさっさと店の外に消えていった。

 茂美の巨体から発される独特の地響きのようなハイヒールの音が遠ざかっていく。

 しかし、この五千円は……?

「それな、野木さんの置いていった五千円だ。茂美がこっそりお前の給料に足しておいたんだよ」

 古賀がオレの手元の寂しくなった二枚の札を見て、笑っていった。

「茂美はな、ああ見えてお前のことだいぶ心配してたんだ。出ていくなら出来る限りの金を持たせたかったみたいだぜ」

「……茂美」

 予想だにしなかった心遣いに、胸の奥が熱くなる。

「だからお前がここで働きたいって言って、ほんとは安心したんだろうなぁ。茂美はさ」

 そういいながら奥の戸棚の引き出しを開き、数枚の書類を取り出す古賀。

 その一枚をオレに差し出し、カウンターを指差した。

「入店用の書類だ。簡単に、名前と携帯の連絡先だけでいいから書いておいてくれ」

 そう言って自分もカウンターに腰かけ、何やら複数の書類を素早く片づけていく。

「古賀は何書いてるんだ?」

 ちらりとのぞき込んだ書類は、難しそうな漢字がびっしりと埋まっていた。

「衛生管理責任の書類に、防火管理の書類、税金関係と給与関係、それから……」

「おい、それ全部お前がやるのか!?」

「ああ。茂美は固い書類は読めん」

 こともなげに言いながら、手馴れた様子で書類を書き込み片づけていく。

 ずっと思っていたが、こいつは一体何者なのだろうか。

 素早く書類を処理していく一方で、空いた左腕をオレのスカートの奥の太ももに這わせる謎のイケメン、古賀。

 っていうか 待って。それ以上奥はやめて。


結局、太ももを触られて落ち着かないオレが入店の書類を書き終える頃には、古賀はその数倍の量の書類の山を書き終えていた。

「なあ、ひとつ聞いていいか?」

「ふわぁ……。何?」

 大きくあくびをしながら、古賀が眠そうに返事をした。

「お前は、どうしてドクターストップにいるんだ? なんで、ここまでするんだ?」

「それ、質問がふたつになってるぞ」

「細かい事はいいから! なぁ、なんでだよ ?普通にこう、希望して入った感じなのか?」

 オレが問い詰めると、古賀はふぅっとひとつ息を吐いて、カウンターに肘を乗せた。

「オレもな、彰人と同じクチだ」

「っていうと?」

「自分のまわりっつーか、オレを取り巻く世の中がどーにもなんなくなって、嫌になってヤケを起こしてあてどなくさまよって、挙句の果てに道端でぶっ倒れた。んで、そこを茂美に拾われたってわけさ」

 古賀は顔も良ければ頭もいい。

 そして仕事といい書類の処理の仕方といい、どれをとっても非常に手際も良かった。やることは常にスマートだ。さっきの書類を片付けていく様を見ても、いかにも出来る男という感じがする。

 そんな古賀でもオレなんかのように、何もかもどうにもならなくなる事があるのだろうか。

「まあ……オレはちょっと、遅かったけどな」

「何が?」

「茂美に出会うのが、かな。もっと早く会っていればオレは――。おっと、湿っぽいはいいや。やめておこう」

「おい! 途中まで話しておいてそれかよ!」

 身を乗り出して抗議するオレに、古賀はにやりと笑って見せた。

 オレを迎え撃つように古賀も身を乗り出した。

 いやあのちょっと……顔が、近い……。

「どうでもいいだろ、オレのことなんて。それとも、オレのことがどうしても気になっちゃう?」

「っ!? お前なぁ、混ぜっ返すなよ!」

「なあ、どうなの彰人? お前がオレのことが気になってしょうがないっていうんなら、奥でいくらでも手取り足取りその他もろもろ取りながら教えて……」

「アパラパー!」

 古賀が言い寄ってきた刹那、店に謎の雄叫びが響く。

「うおっ!?」

 のけぞって音の出所に目をやったオレの視線の先で、ソファーで寝ていたフランソワが転げ落ちている。それでもたくましいイビキは止まらず、目覚めた様子はない。

「フランソワは寝相が悪い」

「悪いってレベルじゃねーよ!」

「ふっ、まあいいさ。オレも疲れた、今日は帰って休もう。店で借りてるアパートが一軒あるから、案内する。ついて来いよ」

 笑った古賀が立ち上がり、転げ落ちたフランソワに毛布をかけてオレを呼んだ。それにしてもこのフランソワというモンスター、最初から最後までオレのことは何も気に留めなかったな。よほど眠かったのだろうか。

 改めて店の戸締りをして、裏口から外に歩き出す古賀。

 こいつがいるからこそ、茂美はドクターストップで自由に自分の目指す接客を出来るのかもしれない。

 何でもかんでもスマートにこなし、細部に目が行き届き心配りの出来る男、古賀史明。

 さあ行くか、と言って歩き出した古賀の足が、不意に止まった。

「そうだ。ひとつだけ、彰人に今のうちに聞いておくことがあったわ」

 真面目な顔で振り返る古賀。

 そして、その手に握られたスマートフォンの画面を、すっとオレに差し出した。

「軍服ワンピースとチャイナロリータ。お前の店のコスチューム、どっちがいい?」

「選択肢マニアック過ぎるだろ!」

 そう言いながらも、結局は画面をマジマジと覗きこんでしまうオレがいる。

 だって、どっちもかわいいんだもん。

 朝日というには遅い陽射しが、目に眩しい。

 こうしてオレは慌ただしく、女装バードクターストップへの入店が決まった。

 オレの新しい日々が、始まろうとしていた。

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