九話
「ねぇ、あの人、生徒会に入ったらしいよ」
「うわぁ、ほんとに? なんでまた……」
階段の踊り場で、誰かの声が小さく弾んだ。
驚いているのか、面白がっているのか、判別できない調子。
「だってさ、あの見た目でしょ? なんか……意外じゃない?」
「意外どころじゃないって。先生たち、よく許したよね」
「ね。なんか、裏があるのかなって思っちゃう」
笑い声が、壁に反射して薄く響いている。
どうやら、私が生徒会に入ったということが、他のクラスにも伝わったらしい。
「あ、こっちみた」
「きもっ、見ないでほしいんだけど」
階段の手すり越しに、二人の影が揺れた。笑い声がひとつ混じって、すぐにまた小声に戻る。
私は足を止めなかった。ただ、階段を上がる速度をほんの少しだけ緩めた。そのおかげで、さらに言葉が耳に届いた。
「ねぇ、あれで生徒会とか、絶対無理でしょ」
「だよね。なんか怖いし……関わりたくない」
それらの陰口を聞いて、身体が軽くなったような気がした。
肩に乗っていた何かが、すっと落ちていく。階段の空気が、ようやく馴染みのある温度に戻った。
生徒会室とは違う、なじみのある空気。
中学までは、数えきれないほどあったことだけど、受験や卒業から入学式までの期間のせいで、少しだけ懐かしいなと思ってしまう。
(よかった。進学校でも、人の本質は変わらないんだ)
耳を澄ませながら、私は階段を登って行った。
もちろん、今日も私は金髪にピアスを付けていて、立派な校則違反だ。そのおかげで、注目には事欠かず、教室の前を歩いている時も、誰かの視線が刺さるのはいつものことだった。
(ははっ、これが実家のような安心感って奴かな。本当に、笑ってしまいそう)
そんなことを思いながら、教室のドアを開けた。
すると、私よりも前に来ていたクラスメイト達が、一斉にこちらを見た。睨んでいる者、眉を顰めている者、はては怯えるように見てくる者まで。クラスメイト達の反応は、千差万別で多様性に満ち溢れている。
自分の席がある窓際までの数歩のあいだに、椅子の脚が床を擦る音がいくつか重なる。誰かがペンを置く小さな音もした。誰かが息を呑む音も、誰かが舌打ちをした音も鼓膜に届いた。
でも、私の足取りは自然と軽くなる。通路を進むたび、床がわずかに弾むような感触があり、窓際の席までの距離が、いつもより短く感じられた。
(それにしても、何しようかな)
自分の席に座ったところで、そんな考えが頭をよぎった。
いつもなら、この時点で机に突っ伏しているはずなのに、まぶたは一向に重くならなかった。
頬杖をつくと、腕に伝わる机の冷たさがやけに鮮明で、教室のざらついた空気が、肌の表面をゆっくり撫でて心地よい。
そんな時だった。
「ねえ、行ってよ」
「で、でもぉ……」
「アンタ、風紀委員でしょ。早く」
クラスメイトの話声が、耳に届いた。
その声がした方向に、視線を向けてみる。すると、一人の背の低い少女が、周りの人たちに押されて、私の方へとやって来た。
「あ、あのぉ……ひっ!」
少女と視線を合わせると、肩がぴくりと跳ねた。そのまま固まったように動かなくなり、指先が制服の裾をそっとつまむ。
でも、逃げるわけにはいかなかったのが、ゆっくりと私の方に近づいて来て、とうとう私の席の隣までやって来た。
「す、すみません……その……」
「なに」
「……っ」
思わず低い声が出た。
別に、この子が嫌いなわけじゃないし、怯えられるのは私好みだ。だが、一向に話が進まず、うじうじとしているだけ。こうなってしまうのも、仕方がないだろう。
「……で、何?」
「その……わ、わたしは風紀委員で……校則違反を、伝えようと……」
「へぇ」
案外、勇気あるじゃん。予想外だよ。
彼女は、怯えながらも、私に対して、しっかりと意見を言った。周りの空気に流されるだけの子だと思っていたけど、こういう子なら穢しがいがあるってものじゃない?
「校則違反って、どこか詳しく教えてくれないかな?」
「えっ? そ、それは……金髪と……ピアスが……」
「あー、これは私の地毛なんだよね。ピアスもお母さんの形見で、これを付けていると、寂しさが和らぐんだ」
口にした瞬間、少女の表情が固まった。
まばたきが一度だけ遅れ、視線が揺れる。
「えっ……あ、あの……そ、そうだったんですか……?」
少女の視線が揺れたまま定まらず、まばたきが不規則になる。
喉がひくりと動き、次の言葉を探すように口がわずかに開いては閉じた。
「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫、嘘だから」
「えっ?」
少女は、信じられないものを見たような目で私を見つめたまま、瞬きを忘れていた。口がわずかに開いたまま固まり、声を出そうとしても喉が動くだけで音にならない。
そんな視線を受けて、私は、お腹にゆっくりと熱が集まっていくのを感じた。呼吸がひとつだけ深くなり、胸の奥にじわりと広がる。
「ど、どういう……」
「金髪は、染めた結果だし、ピアスを付けた程度で、寂しさなんて和らぐことは無いよ。ほんと、君は騙されやすいんだね。もしかして、風紀委員になったのも、誰かに騙されたの?」
確か委員決めの時、生徒会と風紀委員が余っていたはずだ。
そして、私が生徒会に入ったということは、最後の最後まで残っていたのは、風紀委員と言うことであり、騙されたのか押し付けられたのかは知らないけれど、無理やりやらされている仕事なのは確かだった。
くすくすと笑い声が聞こえる。
誰にも気づかれないように、周りを探っていくと、先ほどこの少女の側にいた数人が、こっちを見て笑っていた。
どうやら、彼女たちは、この子で遊んでいるようで、歪んだ笑みを少しも隠してなかった。
(これって、発展するといじめになるよね。めんど、生徒会の一員として、何とかしないといけないじゃん)
いじめる側を見るのも、いじめを見て見ぬ人たちを見るのも、心の底から好きだ。それは、人間の悪政という物を、これでもかと言うほど実感できる側であり、私がいじめられても良いと思っているくらいだ。
けれど、私は生徒会に入ってしまっている。だから、これを見て見ぬふりをするのは、それこそ生徒会失格であり、真面目に仕事をするしかない。
(でも、私が止めたとこで、効果は無いんだよな。というか、まだ三日目でこれか。本当にここって進学校なのかな?)
注意程度でいじめが止まるのなら、この世からいじめという物は無くなっている。
それでも、何もしないわけにはいかない。
生徒会の腕章を付けている以上、形だけでも、止めたという事実を残しておかないと、あとで面倒なことになる。
(あ、でも……この事実を他の人に隠して、私好みの方法でいじめを止めるのも良いかもしれない)
「ねぇ、君の名前は?」
「く、楠木 茜です……」
怯えたように名乗ったあと、茜の声はそこで途切れた。
自分の名前を出したことで、逃げ道をひとつ失ったと気づいたように、指先が制服の裾をさらに深くつまむ。
楠木茜。
その名前を頭の中で転がしながら、私は彼女の立ち位置をもう一度確認する。
押しつけられた風紀委員。
周りに笑われ、遊ばれ、誰にも庇われない。そして、私の前に立たされている。
(さて、どう料理しようかな)
生徒会長の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
あの人なら、こんな状況でも穏やかに、正面から向き合うんだろう。私には到底できないやり方で。
だからこそ、私は私のやり方でやるしかない。
「茜ちゃん」
名前を呼ぶと、茜の肩が小さく跳ねた。
その反応を見て、私はゆっくりと笑みを浮かべる。
「昼休み、一緒にご飯食べようよ」




