八話
「黒瀬ちゃんは、どっちの方向?」
「右です」
「そっか、わたしと同じだね。家まで送っていくよ」
「一人で帰れますので、来なくていいですよ」
クソみたいな会計の仕事が終わり、生徒会みんなは帰路に就いた。どうやら先輩たちは、私たち一年生を家まで送るらしく、私のすぐ側では生徒会長が歩いている。
やっと、生徒会長と離れられると思ったのに、まだ関わることになるなんて、本当についてない。
「会計の仕事はどうだった?」
「大変でした。今時、パソコンじゃなくて、手書きなのは時代遅れすぎです。AIを使えまでとは言いませんが、それくらいはしてもいいでしょうに」
生徒会長に今日の感想を聞かれて、思っていたことを率直に言ってしまう。
けれど、間違ったことは言っていないだろう。この時代に、パソコンではなく手書き、それも自称進学校で。はぁ、本当にあり得ない。
「やっぱり、そうだよね。校長、この場合は理事長かな。生徒会にパソコンの使用許可が下りないか申請してみようかな」
すると、生徒会長は本気でそんなことを言い出した。
「え?」
「だってそうじゃない? 生徒会の人だって生徒の一人なんだし、無駄な時間は削減して、勉学に勤しまないと」
意外だった。
あまりにも、私の嫌味を受け止めてくるから、この人は受け身の人であり、自分から何かをすることは無いと勝手に決めつけていた。
けれど、会長は歩きながら、まるで当たり前のことを言うみたいに続けた。
「生徒会って、学校の代表みたいなものだからね。環境が悪いなら、改善するのはわたしたちの仕事だよ」
その言葉に、思わず足が止まりそうになった。
受け身どころか、この人は自分から動こうとしている。しかも、私の愚痴を改善点として扱って。
「……別に、そこまでしなくてもいいです」
「ううん。黒瀬ちゃんが困ったって思ったなら、それは問題なんだよ。放っておく方が、わたしは嫌だな」
生徒会長は、振り返りもせずに言った。
その背中は細いのに、どこか揺るぎないものを感じさせた。
胸の奥が、またじわりと熱くなる。
(……なんなんだ、この人は)
嫌味も、舌打ちも、冷たい言葉も、全部受け止めて、それでも前に進もうとする。
そんな人間、見たことがない。
「……その理論なら、私の存在は生徒会の邪魔になりますよね」
「えっ、なんで?」
なのに、私の口から出るのは、こんなことばかりだ。
「生徒会は、学校の代表なんでしょう? それなら、金髪にピアスっていう私の格好は、代表に相応しくないじゃないですか。もしかして、遠回しにやめろって言ってます?」
生徒会長は、そんなことを思っていないって、自分が一番わかっている。
わかっているのに、わざと刺すような言い方をしてしまう。だって、こんな人間がいることが許せるはずがない。私のところまで、堕ちてほしいから。
会長は一瞬だけ瞬きをして、すぐに首を横に振った。
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。わたしは、黒瀬ちゃんも、生徒会の一員だと思ってるよ」
本当に意味がわからない。理解が出来ない。
研究所は、この人の頭の中を解剖して調べたほうが良いよ。この世界の全ての人が、生徒会長のような人だったら、きっと争いなんて無くなるんだから。
そんな毒にも近い言葉を思い浮かべているのに、生徒会長は、私の顔を覗き込むようにして、ふっと柔らかく笑った。
「それに、わたしは見た目で人を決めつけたくないんだ。これは、わたしの我儘なんだけど、どう見えるかより、どう生きてるかの方が大事だと思ってるの」
生徒会長は、歩きながら淡々と言った。
慰めでも、綺麗事でもない。ただ、自分の中にある当たり前をそのまま差し出すような声だった。
「金髪でも、ピアスでも、黒瀬ちゃんが今日、ちゃんと仕事をしてくれたことの方が、ずっと意味があるよ」
夕焼けの景色を背に、生徒会長の横顔が淡く染まっていた。
その光のせいなのか、彼女の言葉が、いつもより少しだけ強く胸に残った。
「……なんで、生徒会長はそんな在り方でいられるんですか? 何も知らないってわけじゃないのに」
人はみんな、心の奥底に悪性を持っているんだ。だから、生徒会長も、正直にソレをさらけ出してよ。
見にくくて、醜悪で、世間から見れば、否定されるべきヒトの本能。私は、それに従ってるよ。誰かが不幸になっているのを見れば、心底嬉しいし、誰かが苦しんでいれば、もっと苦しんでほしいって思う。
だから、生徒会長も、私のところまで堕ちてきてよ。
「こんな在り方でいられる理由、か」
生徒会長は、夕焼けの中で足を止めずに言った。
その横顔は、光に溶けるみたいに淡くて、でも、どこか揺るぎない影を持っていた。
「責任、かな」
「責任?」
生徒会長が初めて、ほんの少しだけ歩く速度を落とした。
夕焼けの光が、彼女の横顔の輪郭を柔らかく縁取っている。
「うん。子供の時にね、道に飛び出して、車に引かれそうになったところを、ある人に助けて貰ったんだ。でも、そのせいで、その人は死んでしまって」
生徒会長は、まるで天気の話でもするみたいに淡々と言った。悲しみも、怒りも、後悔も、声の中にはなかった。
「その時は何もわからなかったけど……大きくなるにつれて、だんだん思うようになったんだ」
夕焼けの光が、彼女の横顔を淡く照らす。その影は細いのに、不思議と揺れなかった。
「あの人が守ってくれた命を、わたしはどう使うんだろうって」
「……それで、善人でいようと?」
「善人になろうとしたわけじゃないよ。ただ、誰かを傷つけるような生き方をしたら……助けてくれた人に、申し訳ないなって思うだけ」
生徒会長は、はっきりと言い切った。
その声は淡々としているのに、どこか揺るぎない芯があった。
「そうですか」
それを聞いて、私は歩幅を半歩だけ大きくした。
夕焼けの光で出来た家の影が、私だけを飲み込んで、生徒会長の歩く道だけが、まだ薄く明るかった。
「……立派な話ですね」
声の調子は変えなかった。褒めているのか、突き放しているのか、自分でも判別できないような言い方。
前を歩いているせいで、生徒会長が今どんな顔をしているのかわからない。でも、それでいい。知らなくていい。
知ってしまったら、きっと私は耐えられないから。
そこからは、ただ歩いた。
並んでいるはずなのに、足音の間隔だけが少しずつずれていく。曲がり角をいくつか過ぎても、お互いに口を開かなかった。
家々の窓に灯りがともり始めて、通りの空気がゆっくりと夜に変わっていく。
歩道の端を踏む音と、前を行く靴底の規則的な響きだけが続いた。
「ここです」
マンションなのか、アパートなのかわからない建物の前で足を止めた。
外灯がひとつだけ光っていて、入口だけがぼんやり明るい。
「ここが、黒瀬ちゃんの家なんだね」
「はい。では、さようなら」
軽く頭を下げて、私は建物の入口へ向かった。外灯の下を通ると、足元だけが一瞬明るくなる。
そんな時――
「最後に一個だけ、聞いていい?」
生徒会長が、そんなことを言ってきた。
「別にいですけど、なんですか?」
「ごめんね、本当につまらない質問だから」
生徒会長は、少しだけ息を吸ってから続けた。
「黒瀬ちゃんは、なんで他人に厳しく接するの?」
外灯の下で、生徒会長の声だけが静かに響いた。責めるでもなく、探るでもなく、ただ知りたいだけ。
きっと、この質問に答えなくても、生徒会長は何も言わないだろう。
でも、口が勝手に動いていた。
「……ただの八つ当たりですよ。この世全てが、嫌いですから」




