63話
「……なにを、言っているの?」
私の口から出た言葉は、酷く震えていて茜に届いたか怪しかった。
良い子……そんなわけない。他人を煽り、傷つけ、嫌な思いにさせるのを好む私が、良い子だなんてあり得ない。
なのに――
「そうだよ。澪は良い子だから、そこまで自分のことを過小評価しないで」
なのに、茜は真っすぐと私の瞳を見つめながら、そんなふざけたことを言いきってしまった。
私が良い子だなんてあり得ないのに、私がそう言われることを心底嫌っていると、知っているはずなのに。
「ふざけないで! 何? 嫌がらせでもしたいの⁉ 何が相談だ……私で憂さ晴らしでもしたいわけ?」
「違う! これは、わたしがずっと思ってたこと! 澪は言われたくないかもしれないけど、もう目を逸らさないで」
ずっと思ってた……? へぇ、茜は私に対してそんなことを思ってたんだ。
嫌味? 同情? 憐れみ?
そんなものを向けられるくらいなら、いっそ突き放してくれた方が楽だ。
「……ふざけないでよ」
茜に握られた手に、無意識のうちに力が入っていた。
茜が痛そうに顔を歪ませたが、その手の力を抜くことは出来ない。
「ただ無関係な人に、理不尽な八つ当たりを続けてる、どうしようもない人間だよ! 雪乃先輩に好かれるはずもない、ちっぽけで種悪な人。勝手な同情で、良い子だなんて言わないでよ!」
この世界を憎む気持ちを他人にぶつけて生きている。雪乃先輩のように、周りの人を助けるんじゃなくて、周りの人を傷つけていくゴミみたいな生き方で。
そんな私が、良い子だなんて言われる資格はない。それに、言われたいとも思わない。
だって、私が良い子だった時は、何もかも奪われたんだから。
「違うよ。怖いかもしれないけど、それは違うんだよ」
なのに、茜は悲しそうに目を伏せて、でも強く私の手を握って、私を逃してくれない。
何をしたいのか、何を思ってるのか知らないけど、さっさと手を離してよ。茜なんて、もう友達じゃ……
「じゃあ、なんでわたしを助けてくれたの⁉」
その言葉で、息が詰まった。
茜は、泣きそうな顔で、でも必死に私を見つめて、どうしようもないほど、肩が震えていた。
なんで……そんなものは自分でも説明できない。
しいて言うのなら、茜で楽しみたかったからだが、それだけが理由だとは言い切ることが出来ないから。
「それ、は……」
「わたしを助けてくれたことだけじゃない。勉強を教えてくれたことも、昼休みに一緒にご飯を食べてくれることも、嫌そうな顔をするけれど休み時間に話してくれることも……そしてなにより、わたしと友達でいてくれることも、その全部をわたしは心の底から感謝してるんだよ」
何を言うべきなのかわからなくて、言葉が何も出てこなかった。
その全部は、ただの気まぐれなんかじゃなくて、私の意志でしてしまったこと。自他ともに認める悪人なのに、やってしまった善行の数々。
これに関しては、言い訳をすることすら出来ないし、否定しようとすればするほど、喉が締めつけられて声が出なくなる。
そんな私を見て、茜は――泣きそうな顔のまま、でも逃げずに言葉を続けた。
「澪は勘違いをしているよ。澪には良いところが数えきれないほどある。それは、雪乃先輩だって……いや、雪乃先輩の方がわかってる。だから、自信を持ってよ。一緒に居る資格がないとか、私は悪人だとか、もう二度と言わないで」
茜の目が、街灯の光を受けて揺れていた。
彼女の思いなど、私には汲み取ることなどできない。……出来ないはずなのに、私はそこから目を逸らすことが出来なかった。
「……そんなわけ、ない」
「ううん。澪は自覚してないだけで、いろんな人を救ってる。わたしだってそう。それに、雪乃先輩のことも、無意識のうちに救おうとしてるんじゃない? ちゃんと、自分自身に問いかけてみて」
茜の言葉は、鋭く胸に突き刺さった。
私がずっと目を逸らし続けたもの。そんなものはない、私は悪人なんだと、自分に言い聞かせていた理由。
(ちが、う……違うって、言わなきゃ)
頭はすべきことを理解しているのに、身体が言うことを聞いてくれない。
まるで、支えを失った人形のように、身体から力が抜けていってしまう。
雪乃先輩には、自分のことを優先してほしかった。……それは、他人を優先し続ける人生なんて、雪乃先輩の幸せにならないって思ったから。
雪乃先輩とずっと一緒に居たかった。……もちろん、自分自身の欲望もあるけれど、雪乃先輩が相談してくれるような、親密な関係になりたかったから。
雪乃先輩には、笑顔でいてほしかった。……その笑顔を見るのが好きだったし、何より私なんかに寄り添ってくれた人には、その分の幸福があるべきだと思うから。
私が雪乃先輩に向ける感情には、独占欲のようなどす黒い感情もある。
けれど、そのどす黒い感情の奥に、もっと別のものが確かに存在していた。
私が持つべき物じゃない、他人の幸福を願う気持ちが。
「ち……が……」
「本当に? 本当にそう言ってるの?」
最近の先輩たちの衝突で、雪乃先輩が悲しんでいた。だから、私は先輩たちの怒りを私に向けることで解決しようとした。
生徒会の雰囲気が悪くなった時、私が雰囲気を良くしようとして動いたこともある。
「それに、澪は授業はともかく、生徒会の仕事は真面目にしているよね。遅刻はしているらしいけど、仕事の期限は絶対に守っているし、家でも少しやってたりするんじゃないの?」
「それ、は……寝れないから時間があっただけで……」
「本当に? もし澪が毎日しっかりと寝れたとしたら、澪は仕事をサボるのかな? わたしには、そう思えないけど」
サボる、間違いなくサボる。そう言おうとしているのに、口は動かない。
「それに、生徒会の先輩たちに敬語で話したり、呼ぶときにちゃんと先輩ってつけていたり、感謝する時にはちゃんと感謝できるような人が、良い人じゃないわけないよ」
「うる、さい……」
頭がぐらりと揺れた。茜が言葉を紡いていくたびに、知りたくもない事実に近づいている気がして。
(私は、私は……)
良い子でいると辛いことしかなかったから、悪い子になって少しでも幸せになろうとした。
だから、他人を傷つけることを躊躇わないし、それで罪悪感なんて感じない……はずだ。
なのに、まだ良心が残ってたって?
そんなはず、ない。そう言い切りたいのに――喉が、まるで誰かに掴まれたみたいに動かない。
「何より――」
やめて、やめて。
もう何も、言わないで。
「わたしはね、黒瀬 澪って言う人と友達になりたいと思ったから、友達になったの。性格は悪いけど、優しいとこがあって、不器用でも助けてくれる、そんな澪が好きだから。……だからさ、自分を嫌わないで。澪は、わたしが心の底から尊敬している人だから」
気づけば、私の目から涙かこぼれていた。
ぽたり、と落ちたその一滴が、私の腕に触れた時、胸の奥がぐしゃりと潰れたように痛くなった。
(なんで……なんで泣いてるの、私)
泣く理由なんてない。泣く資格なんてもっとない。
私は悪人で、他人を傷つけて、自分の黒さを武器にして生きてきたはずなのに。
尊敬していると言われたことが、何よりもうれしい。
「なんで……駄目な人でしょ。私は」
否定してほしくて、すがるように茜に問いかけた。
なのに、返ってきたのは、否定じゃなくて……どうしようもない肯定だった。
「そうかもしれないね。でも、この心は本物なんだよ。わたしの最初の友達、たった一人の大親友、澪に出会えたことに感謝してる」
父親にも、小中のクラスメイトにも、学校の先生にも、ボランティアをしている時だって、何故一人でボランティアをしているのか不気味に思われるだけで、感謝なんてされたことが無かった。
だから、自分は立派な人じゃないって思ってた。雪乃先輩がありがとうって言ってくることがあったけど、アレは誰に対しても優しい雪乃先輩だから言えたことで、それ以外の人からは感謝されないと思ってた。
なのに、感謝してるなんて言葉を、こんなふうに真正面から向けられるなんて、思ってもみなかった。
「だから、わたしは言うよ。澪は立派な人だから、もう自分を罰しなくていい。したいことだってすればいいし、自分の望みを言ったって良い」
「でも、私は……いろんな人に迷惑をかけてるし、これからも迷惑をかけ続けるんだよ。だから……」
「わたしだって、いろんな人に迷惑をかけてる。澪はそれが人よりちょっと多いだけ。だからね――」
「好きと言う気持ちを、手に入れていいんだよ」




