62話
「私は……」
うまく、言葉が続かなかった。
雪乃先輩への気持ちを、どのような単語で表せばいいのかわかっている。でも、私の気持ちは世間一般のそれとは違って、もっと醜くて醜悪な物。それを表す言葉が無いから、出来るだけ近い単語で表してるだけで、その言葉の本来の意味ほど美しい物じゃない。
もしかしたら、茜はこの醜い気持ちを知っても、受け入れてくれるかもしれない。
けれど、それが何だと言うのか。受け入れて貰えたとしても、これが気持ち悪いことには変わらない。
「私は……」
茜は黙って、続きを待ち続けてくれている。私がどんなに詰まっていても、急かさずに、そっと私の隣で待っててくれる。
本当にありがたい。友達ってのは、こういうモノなのかな。
「ゆっくりでいいよ。何時間でも待てるから」
「……ありがと。でも大丈夫。ちゃんと言うよ」
大きく息を吸って、肺の中を冷たい空気で満たす。
身体の中に伝わる冷たさが、私の気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。
逃げ続けていた心が、ようやく言葉を探し始める。
……いいや、その必要は無かった。もう言葉は見つかってる、足りないのは……勇気だけ。
そして、その最後の人ピースも、茜のおかげで手に入れられた。
「私ね……雪乃先輩のことが好きかもしれない」
「いいこ――」
「でも、これは茜が想像しているような好きじゃないんだ」
茜の目が見開かれた。だよね、気持ちはわかるよ。
だって、自分でさえ何を言っているのか理解していないんだから。
「どういうこと?」
「私の好きはね……私の物にしたいとか、私のことだけを見させたいとか。独占欲みたいなものだけなんだよ。付き合いたいとか、デートをしたとかは、一切思ってない」
言い切った瞬間、空気がひやりとした。
自分の口から出た言葉が、あまりにも醜くて、自分で自分に引いてしまうほどだった。
(……ほら、気持ち悪いでしょ)
茜の顔を見るのが怖くて、視線を落とす。
こんな好き、おかしいに決まってるでしょ。恋なんて呼べるはずがない。
憧れでも、尊敬でも、優しい気持ちでもない。私の好きは、もっと濁っていて、もっと歪んでいて、胸の奥に沈んだ泥みたいに、触れたら濁りが広がるだけのもの。
どちらかと言えば、嫉妬とか、束縛とか、監禁のような、相手の迷惑をかけてしまうような好き。
なのに、私はソレで雪乃先輩のことを縛りたくないって思ってる。……そうしてしまうと、私が好きになった、雪乃先輩の良さを殺してしまうから。
「そっか」
茜は、私の話を聞いて、嫌な顔もせず、そっと受け止めてくれた。
私の好きを否定したりせず、かといって肯定してくれるわけでもない。
その対応は、とてもありがたかった。中途半端な肯定は、今の私にとって、一番残酷なものだから。
だって、この気持ちを肯定されてしまったら、本当に私はどうしようもない人間になってしまう。それは……好きな人でさえ、傷つけせてしまう、そんな最低な人間に。
「澪ちゃんは、どうしたいの?」
茜は、静かに問いかける。
私の心を理解するために、なにも見逃さないように。
「……わからない。自分でも、自分がどうしたいのかわからない。付き合いたいとか、そう言うのは無いし、ただ……永遠に私だけを見てほしい」
「うん」
「でも、それじゃあ駄目なんだよ。私が好きになった雪乃先輩は、いろんな人を助けるって生き方をしている雪乃先輩なんだから」
ほんと、矛盾してる。他の誰かを見るくらいなら、私だけを見てほしいし、他人を救うことよりも、自分のことを優先してほしい。
でも、私が雪乃先輩を好きになったのは、雪乃先輩が周りの人を助けようとしていたから。私の欲望通りに雪乃先輩を変えてしまうと、今までの、私が好きになった雪乃先輩がいなくなってしまう。
(……なら、どうしろっていうの、こんなの)
胸の中がぐちゃぐちゃで、螺旋のように渦巻いている。
この感情に正解なんて無く、どうやっても満たされることは無い。
「大変だね」
茜は、夜空を見上げたまま、そう呟いた。まるで、そこに答えがあるかのように。
こんな矛盾だらけの私を馬鹿にせず、笑い飛ばさず、重いとも面倒とも言わずに――ただまっすぐに向き合ってくれた。
「そう、だね……。うん、大変なんだよ」
「それにしても、まさか澪が誰かを好きになるなんてね。最初に会った時のこと、覚えてる?」
「うん。あの時の私は、茜のことを不良にして遊ぼうかなって思ってた」
「ははっ、悪い子だね。澪は」
茜は、その小柄な体を丸めて、心底面白そうに笑っている。
初めて会った時は、ずっと私に怯えてて、中学生と思えてしまうほどだったのに、今ではこうも強かだ。……私もだけど、人間って変わってしまうモノなんだね。
(……茜は、どうすればいいって思ってるんだろう?)
私の中では、どうすればいいのか思いつかない。でも、茜になら、思いつくんじゃないだろうか。
そんな自分勝手な期待を、私は胸の奥でそっと抱いてしまった。
茜なら、何か答えを持っているんじゃないか――そんなふうに思ってしまうくらいには、私は茜に頼ってしまっている。
でも茜は、私の期待に気づいたように、ふっと笑って、夜空に視線を戻した。
「ねぇ……」
「わたしは答えなんて知らないよ」
「……!」
友達とは言え、所詮は他人。
なのに、茜は私の心を見透かしてくる。
「嬉しいよ、澪がわたしに頼って来てくれるなんて。あの時、いじめから助けてくれた時の恩、そしてわたしと友達になってくれた恩、それを返すことが出来るからね。でも、わたしじゃ力不足。背中を押すことくらいは出来るかもしれないけど、どこに行けばいいのかはわからないんだ」
「……よく、相談してって言えたね」
私らしい皮肉。相談に乗ってくれている茜にまで、私はつい言ってしまう。
そんな私が、本当に嫌いだ。
私の皮肉を受けて、茜は一瞬だけ目を丸くした。
でもすぐに、ふっと笑って、肩をすくめた。
「そうだね。けど、相談ってそんなものじゃない?」
「そんなもの?」
「うん。結局、自分のことを決めるのは自分。だから、相談に必要なのは答えじゃなくて背中を押すこと。ほら、いじめの時も、澪は私に決定権をくれたでしょ?」
そう言えば、私はそんなことをしていた。
茜のいじめを解決しようとしていた時、私は望んでいる方向に誘導こそはしていたけど、最終的には茜自身が決めるように仕向けていた。
巡り巡って、私が為したことが、私に帰ってくる。
そんな因果みたいなものを、茜の言葉の中に感じてしまった。
(でも、それなら……)
私が為した悪意も、巡り巡って、私に帰ってくるんじゃないだろうか?
「……そっか、そうかもしれないね」
「うん。それでね、澪は自分だけを見てほしいの? それとも、雪乃先輩の中で一番になりたいの?」
「同じじゃないの、それ」
「違うよ。一番になるってのは、いろんなものを見た中で、一番になるってことだから」
茜は、私が目標を見つける手助けをしてくれている。
でも――無意識のうちに、勝手に口が動いていた。
「無理だよ」
冷たくて、固くて、どうしようもない諦観が、そこにはあった。
「だって、私が雪乃先輩の一番に慣れるわけないじゃん。私に良いところなんて一つも無くて、悪いとこだけで埋まってる。それに、こんな私が雪乃先輩の隣にいるのは相応しくない」
「でも――!」
「でもじゃない! 今日の生徒会で、善行ってものをしようとしたんだよ! でも、それをしたら、どうしようもない違和感が、ずっと心の中に引っ掛かった。今日明日は、善行をすることに耐えられるかもしれない。でも、明後日、それよりも先? きっと、私は……善行をすることに耐えられない」
「そんな私は、雪乃先輩の隣にいるべきじゃない」
夜風が吹き抜ける。
茜は、すぐには何も言わなかった。
たぶんだけど、私が雪乃先輩にピアスを送ったのは、これを無意識のうちに感じてしまっていたからだ。
ずっと一緒に居たいけど、いつか私から離れなければならない。だから、一生残る傷として、私の存在を雪乃先輩に刻もうとした。
(……そうだ。最初から気づいてたんだ)
雪乃先輩の隣にいる資格なんてない。善行を続けられるような人間じゃない。綺麗な気持ちで好きになったわけでもない。
だから――せめて傷だけでも残したかった。
「そんなことないって言わないんだ」
「……」
「ほら、茜も理解してるんでしょ。私はどうしようもない人だって」
どこか自暴自棄になりながら、私は口を動かしていた。
こんな悪意仕方人に向けられない救いようもない人間は、誰かを好きになる資格なんてあるはずもないじゃないか。
そんな当たり前のことは、茜だって理解し――
「違うよ!」
茜が空から視線を外し、私の目を強く射抜いた。
その両手も、私の手を強く掴み、痛いくなっても離さない。
「ぃって。急になに?」
「違う、違うよ……澪は間違ってる」
「何が違うの? 言ってみてよ」
茜は、私を逃がさないように、指先に力を籠める。
目には涙が浮かんでいて、強いのに、出会った時の茜を連想してしまう。
そして、澪は……目を揺らさず、けれど涙で瞳を潤ませながら、口を開いた。
「だって、澪は――良い子だから」
私が最も嫌いな言葉を、あの茜が告げてしまった。




