57話
「へぇ。そんなことがあったんだ」
「ほんと、めんどくさいよね」
次の日の昼休み、私はいつも通りの校舎裏で、いつもと同じように茜と昼食を食べていた。
ただ、珍しいというわけではないけれど、今ここに居るのは私達だけで、雪乃先輩はここに来ていなかった。
「遠藤先輩だっけ? その人から見れば、澪のことは嫌いになるかもね」
「だろうね。嫌々ルールに従ってるのに、私は思いっきり無視してるから。でも、私は嫌われる方が好きだから、それでいいんだけどね」
本音。何も嘘は吐いていない。
私は他人に嫌われる方が好きだし、嫌われている状態こそ、あるべき姿だと思っている。
例外と言えば、雪乃先輩や茜くらいな物であり、彼女たちに嫌われることだけは、何があっても避けたかった。
「ぶれないね……。でも、珍しくない? 澪が、他の人たちの言い合いを気にするなんて」
確かに……そうかもしれない。
私が他人の言い争いを気にするなんて、それを見て楽しむ時しかないはずなのに。
「……なんでだろうね? 自分でも分からないや」
何かが引っ掛かっているせいで、先輩たちの言い争いを、心から楽しむことが出来ていなかった。
こんなの、私らしくない。私はもっと、最低な人であるべきなのに。
ふと、茜の方を見た。
彼女は、何故か私の方を見て微笑んでいて、目が合った瞬間、ほんの少しだけ首を傾けた。
「……なに、その顔」
「別に。ただ、澪ってわかりやすいなって思って」
わかりやすい? 何それ、どういうこと?
何を言っているのか、さっぱりわからない。
「だって、先輩たちの言い争いを見て、雪乃先輩が悲しんでいることが気に食わないんでしょ。ほんと、雪乃先輩のことが好きなんだね」
「………………………………………………………………」
何も、言うことが出来なかった。
喉の奥がひゅっと狭くなる。言葉を探そうとしても、指先の感覚ばかりが妙に鮮明で、箸を持つ手がわずかに止まる。
「図星なんだ」
「は? そ、そんなわけないでしょ! 私はただ、あの人が私のこと以外で苦しんでほしくないだけ! あの人が苦しむのなら、それは私が原因であってほしいって思うのが当然じゃない!?」
「それはそれで、十分好きだと思うけど……」
茜は呆れたようにため息をついた。
何それ、私の何処に呆れる要素があると言うのか。
(あぁもう!)
胸の奥が一気に熱くなる。言い返そうとして口を開いたのに、喉がひゅっと詰まって、声にならない。
だから、やっと口から出たのは、ただただ話を逸らそうとするだけの、どうしようもない言い訳だった。
「そんなことより、茜は風紀委員でどうなの? ほら、私だけ話すのは不公平じゃん」
自分でも分かるくらい、声が不自然に明るい。
語尾が浮いていて、落ち着きがない。
そのせいで、茜は一瞬だけ瞬きをして、それからゆっくりと笑った。
「話、そらそうとしてるでしょ」
「してない」
「まぁ、いいけど。最近は、どこかの誰かさんを何とかしてって先輩に言われてるよ。どこかの、金髪でピアスをつけてる人をね」
「………………誠に申し訳ございませんでした」
藪蛇だった。
茜はわざとらしく肩をすくめて、ため息をひとつ。
「結構大変なんだよー。風紀委員の先輩たちから、澪のことを庇うの」
「うっ」
「それに、わたしは小柄だから舐められやすいし……本当に感謝してね」
どうやら、頭が上がらない人物は、雪乃先輩以外にもいたようだ。
いじめから止めさせたことを考慮したとしても、私には返しきることが出来ない借りがある。
茜は小柄な体で胸を張ってみせる。
「ほんとだよ。わたし、澪の味方してるんだから」
「……はい」
素直に返事が出てしまった自分に、少しだけ腹が立つ。
でも、言い返す材料なんてどこにもない。
(ほんと、周りに恵まれてるな)
茜や雪乃先輩を見ていると、ついそんなことを思ってしまう。
茜は、私の初めての友達だし、雪乃先輩は私と一緒に居てくれる人。中学生の時の私では、一生得るはずもないと思っていた人たちが、もう二人も出来てしまった。
この二人に、私はあり得ないほど幸せにしてもらってる。だから、感謝してもしきれない。
でも、他人に嫌がらせをすることしか知らない私では、感謝を伝える方法がわからない。
箸を動かしながら、胸の奥がじわりと重くなる。
言葉にすれば軽くなるはずなのに、どうしても口にできない。
「……澪?」
茜が覗き込むように顔を寄せてきた。
その距離の近さに、思わず視線をそらす。
「なに、急に静かになって」
「別に。なんでもない」
即答したのに、声が少しだけ掠れていた。
茜はそれに気づいたのか気づかないふりなのか、ふっと目を細める。
「澪が嫌がるってわかってるから、わたしも雪乃先輩もすべては言わないけど、澪はもうちょっと自分勝手になっていいと思うよ」
「どういうこと?」
「わたしが言うのはここまで。だって、言ったら澪は絶対に怒るから」
怒るからって……私が澪に怒るなんて、よっぽどのことが無い限り、そんなことは起きないはずだ。
それは茜もわかっているはずだけど、それでもこんなことを言うなんて……いったい、どんなことを言おうとしていたのか。
「まぁいいや。そんなことを考えるより、弁当を食べよ」
「そうだね。澪は絶対に自覚しないんだろうし」
「何か言った?」
「なにも」
茜はそう言って、またお弁当に視線を戻した。
その横顔は、どこか含みのある笑い方をしていて、余計に落ち着かない。
箸を動かしながら、胸の奥がざわつく。言葉にできない何かが、ずっと引っかかったままだ。
風が吹いて、校舎裏の空気が少しだけ揺れる。
その中で、茜はぽつりと呟くように言った。
「……澪はさ。自覚しないままの方が、きっと幸せなんだろうね」
「……は?」
「なんでもない」
またそれだ。問い詰めようとしたのに、喉がひゅっと詰まって声にならない。
茜はただ静かに笑って、箸を進める。
その笑い方が優しすぎて、胸の奥がまた熱くなる。
私は視線を落とし、弁当の端をつついた。
どこか居心地が悪くて、でも茜から離れるという選択肢は存在しなかったから。




