56話
「はい、今日はこれでおしまい。みんな、おつかれさま」
帰宅を促すチャイムが鳴り、雪乃先輩が生徒会の仕事の終わりを告げた。
七時間目まであった授業に加え、生徒会の仕事の数々、仕事には慣れたとはいえ、疲れないとは言い切ることが出来ず、私達は一斉に体を伸ばして疲れをとろうとする。
「雪乃先輩、生徒会って毎日こんな感じなんですか?」
「まぁ、そんな感じかな。秋は体育祭や文化祭でもっと忙しいし、冬は引き継ぎもあるからもっと忙しくなるけど」
「えぇ、大丈夫かな?」
桃井が不安そうに、眉を寄せる。もしかしたら、彼女は生徒会に入ったことを後悔しているのかもしれない。
でも、それはもうどうすることも出来ないことだった。一応、雪乃先輩に頼めば生徒会をやめることが出来るかもしれないが、やめたところで他の部活に入るには遅すぎる時期。
(まぁ、今さら逃げ道なんて無いよね)
桃井は自分の指先をいじりながら、まだ不安そうにしている。
大江は横で小さく頷いているけれど、慰めになっているかどうかは微妙だった。
「今日はこれで終わるけど……何か質問はある?」
雪乃先輩がそう言うと、生徒会室の空気が少しだけ緩んだ。
桃井は指先をいじったまま、ちらりと周りを見回す。
「えっと……その……大丈夫です。たぶん」
声は小さいが、無理に笑おうとしているのが分かった。
大江は横で小さく頷いている。
「うん、分からないことがあったら、いつでも聞いてね。桃井ちゃんも大江ちゃんも」
雪乃先輩は、二人に向けて柔らかく微笑む。
その笑顔だけで、桃井の肩の力が少し抜けた。
「帰るよ。勉強したいし」
「あ、うん。ごめんね、待たせちゃって」
茂木先輩がそんなことを言って、荷物を持って生徒会室から出る。
「あ、ならわたしも帰るね」
「うん、また明日」
遠藤先輩も荷物をまとめて、生徒会室を出ていった。
扉が閉まる音がして、室内には一年生二人と私と雪乃先輩だけが残る。
桃井と大江は、先輩たちの背中を見送ってから、ほっとしたように顔を見合わせた。
緊張が解けたのが分かる。
「……じゃあ、私たちも帰ろっか」
雪乃先輩がそう言うと、二人は小さく頷いて鞄を持ち上げた。
その横顔を見ると、ちょっとだけ悲しんでいるように見え、胸の奥がわずかにざらついた。
理由は分からない。ただ、そう見えた。
「……」
でも、私にはどうすることも出来ない。
他人に嫌がらせをすることしか能がない私には、誰かに寄り添うってことは出来ないんだ。
「お疲れ様です。雪乃先輩」
「さようなら」
「うん、お疲れ様」
桃井と大江も、生徒会室から出ていった。
扉が閉まると、室内は急に静かになった。
残っているのは、私と雪乃先輩だけ。居心地の悪い沈黙が、生徒会室の中を包んだ。
「わたしたちも帰ろっか」
「……はい」
雪乃先輩が部屋の電気を消し、生徒会室の光が、外から差し込んでいる夕暮れの光だけになる。
白い壁も、綺麗なテーブルも、全部オレンジに染め上げられ、いつもとは違う静けさが生徒会室に落ちていた。
人がいなくなるだけで、こんなにも空気が変わるものなのかと、どうでもいいことを考える。
私も、雪乃先輩も、何一つ話さずに生徒会室から出て、ガチャリと小さな音を立てて、鍵を閉める。
その時の雪乃先輩は、ほんの一瞬だけ手を止めていた。
夕日の光が廊下に差し込み、鍵を持つ指先を薄く照らす。
その横顔は、いつもの柔らかさとは違って、どこか遠くを見ているようだった。
「自分のせいだって思ってるんですか?」
気づけば、そんなことを口にしていた。
「えっ」
「もし、あの二人が言い争った切っ掛けが雪乃先輩のピアスだったとしたら、それは私の責任です。勝手に奪わないでください」
「いや、これはわたしたち上級生の責任で……」
「あれ? 私から責任を奪うんですか? 酷いですね、雪乃先輩は私から何も奪わないって思ってたのに」
そう言うと、雪乃先輩は目を伏せた。
きっと、私の意図を理解したのだろう。雪乃先輩は優しいから、他人のことばっかり考えてる。もちろん、それは雪乃先輩の美徳だと思うけど、変に責任を感じてほしくなかったんだ。
「あの二人のことで、悩んでいるんですか?」
「……うん。あの二人、最近は衝突してなかったけど、一年生の時はよくぶつかってたから、その時に戻っちゃったんじゃないかなって」
(一年生の時に戻った? てことは、あの二人って仲が悪かったのかな)
別に興味が無かったことだったけど、あまりにも雪乃先輩が悩んでいたから、少しだけ思考を進めてしまった。
はぁ、あの二人に土下座をさせたい。雪乃先輩から笑顔をとらないでよ。それは……私の好きな物の一つなんだからさ。
「あの二人、仲が悪かったんですか?」
「うん……絵理ちゃんはまじめだったからね。一年生の時の美紀ちゃんは、今の澪ちゃんほどではないけど、問題児側ではあったから、なおさら」
「自然に私を問題児だと言わないでください」
まったく、私の何処が問題児だと言うのか。……はいはい悪かったですよ。問題児だって自覚はありますよ。
そんなことより、私ほどじゃないけど、遠藤先輩が問題児だって? なにそれ、よく私に注意できたね。遠藤先輩のくせに。
「美紀ちゃんはね、基本的に校則が嫌いなんだよ」
「え、生徒会なのに?」
「生徒会なのに、金髪でピアスをつけている人よりかはマシだと思うけど……まぁ、それは置いといて、美紀ちゃんは『もっとおしゃれをしたい』とか、『もっと制服を可愛くしたい』とか、そんなことを考えてる人だったの」
少し釘を刺されてしまったけど、雪乃先輩は私が校則を破っている理由を知っているから、あまり注意する気は無いようで、遠藤先輩に関する話が続いていった。
「美紀ちゃんはね、制服のスカートを短くしたり、カーディガンを派手にしたり……そういうのが好きだったの。だから、絵理ちゃんとはよくぶつかってたんだよ」
「へぇ……意外ですね。遠藤先輩って、もっとちゃんとしてる人だと思ってました」
「ちゃんとしてる人だとは思うよ。ルールで禁止されてるなら、ルールを変えてやろう。そんな考えで、生徒会に入って来たくらいだから」
確かに、積極的にルールを破っている私に比べたら、比べ物にならないほどちゃんとしている。
というか、遠藤先輩が私を嫌っているのってそう言う所かもしれない。自分はしぶしぶルールに従っているのに、後輩はルールを無視してたから……。
(……まぁ、分からなくもないけど)
そういう気持ちも分からなくはない。
でも、それは的外れだ。私は嫌がらせをしたいからルールを破っているのであって、遠藤先輩のようにしたいことがルールに接触しているわけじゃない。
まぁ、それでも、私に対して怒りを向けるのは正しいことだと思うけどね。
「それに対して、絵理ちゃんはルールに従うことを重視してたから……相性がとっても悪くて、毎日のように喧嘩して、先輩たちを困らせてたんだ」
「あー、茂木先輩って頭が固いから……」
「言い換えれば、真面目ってことになるから、悪いところってわけじゃないんだけどね」
雪乃先輩はそう言って、少しだけ肩をすくめた。
その横顔は、夕日の色を吸い込んで、いつもより淡く見える。
「でも、ここ数カ月は何とかなってたんだ。たぶん、美紀ちゃんが新入生の方を優先してたから。でも、わたしがピアスをつけ始めたせいで、校則を変えられるかもって思わせちゃったのかもしれない」
「……なるほど」
言われてみれば、確かにそうだ。
遠藤先輩は変えたい側の人間だ。
そこに、よりにもよって生徒会長がピアスをつけて現れたら――期待するのも無理はない。
「だから、今日みたいにぶつかってるのを見ると……ちょっと怖くなるんだよ。また一年生の時みたいに戻っちゃうんじゃないかって」
雪乃先輩の声は、夕日の中で少しだけ揺れていた。
(……戻る、ね)
胸の奥がざらつく。
理由は分からない。ただ、雪乃先輩が自分を責めているのを見ると、どうしようもなく気分が悪くなる。
「戻りませんよ」
「え……?」
「だって、あの二人、雪乃先輩のこと好きじゃないですか。茂木先輩も遠藤先輩も。だから、勝手に仲直りしますよ」
私が問題を起こした時に、雪乃先輩は毎回私のことを庇ってくれた。
すると、あの二人は雪乃先輩のことを信用して、追及をやめてくれた。それはきっと、雪乃先輩のことを信頼してしているからだ。
だから、きっと大丈夫。
あの二人は、雪乃先輩のことを大事に思っていて、心配をかけることは避けようとするはずだ。
「ふふっ、そうかな?」
雪乃先輩は、少しだけ目を丸くした。
そのあと、ゆっくりと笑った。
「そうですよ。雪乃先輩は、あの二人の喧嘩を仲裁し続けていたんでしょう? なら、あの二人は雪乃先輩に感謝しているし、これ以上迷惑をかけたくないって思っているはずです。……私だって、そうですし」
頬が熱くなる気配がして、言葉尻が小さくなった。
自分で言っておいて、胸の奥がざわつく。こんなこと、わざわざ口に出す必要なんてなかったのに。
雪乃先輩は、立ち止まりそうなほどゆっくりと瞬きをした。
夕日の光が横顔を照らし、表情が読み取りづらくなる。
「だから、雪乃先輩は笑ってください。あの二人も、きっと雪乃先輩に笑顔でいてほしいって思ってるはずですから」
言い終えた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
自分で言っておいて、どうしてこんなことを言ったのか分からない。夕日のせいにできるほど、軽い言葉でもなかった。
雪乃先輩は、ほんの一瞬だけ立ち止まった。
夕日の光が横顔を照らし、まつげの影が長く落ちる。
「本当に、そうなのかな?」
「……そうですよ、きっと」
雪乃先輩が優しく笑う。その顔を見て、少しだけ目を逸らしてしまう。
だって、頬が熱くなってしまっていることを自覚してしまったから。
「ありがとう、澪ちゃん」
「……感謝しなくていいですよ」
声がわずかに掠れて、自分でも驚く。鞄の持ち手を指先でいじってしまうのを止められない。
雪乃先輩は、それ以上何も言わずに、ただ隣で歩幅を合わせてくれた。夕日の中で伸びた影が、静かに重なったり離れたりする。
そのたびに、頬の熱はなかなか引かなかった。




