53話
雪乃Side
「寝ますよ、いい加減」
「えー、もっと話そうよ」
「明日は学校なんですから、早く寝てください」
澪ちゃんが寝ようとしていたから、私は思わず引き留めてしまった。
だって、せっかく一緒にご飯を作って、一緒に食べて、こんなふうに同じ部屋で過ごして――その時間が終わってしまうのが、少しだけ惜しかったから。
けれど、澪ちゃんはそう思っていないようで、わたしの言葉を無視して部屋の電気を消してしまった。
これは、わたしが澪ちゃんの家に泊まるたびにしているやり取りではあったけれど……ちょっとだけ悲しくなってしまう。部屋や暗くなるたびに、澪ちゃんと離れてしまったように感じてしまうから。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ、澪ちゃん」
澪ちゃんは布団に入り、背中をこちらに向けた。
その小さな背中が、暗闇の中でゆっくり沈んでいく。
シングルベッドで寝ているせいで、わたしたちの距離は近く、手を伸ばさなくても、その背中に触れることは出来るし、呼吸の音だって聞こえる。
なのに、心の距離はあまり縮まってなくて、澪ちゃんはいつまでたってもこっちを向いてくれない。
「もう寝ちゃった?」
澪ちゃんは、日頃の睡眠不足がたたっているのか、わたしと一緒に布団に入るとすぐに眠ってしまい、何をしても起きなくなってしまう。
でも、わたしはそれで満足している。一緒に寝れている、その事実だけで、雀の涙……いや、蟻の一歩ほどの距離でも、近づいてるって思えるから。
暗闇の中で、背中越しに聞こえる呼吸がゆっくりと深くなる。
そのリズムが、わたしにはとても心地よかった。
(ピアスかぁ)
澪ちゃんが付けてくれた、透明なファーストピアスを触ってみる。
今まで、わたしの身体に存在していなかった異物……でも、その存在に違和感はなくて、触れるたびに心が温かいものに包まれていく。
(お揃いだね、種類は違うけど)
冷たくて、固くて、小さくて……でも、それがわたしたちの関係の楔となってくれる。
まだ、触れたら壊れてしまいそうなほど脆い関係だけど、今日の出来事で、ほんのちょっとだけ固まってきた気がする。
「わたしたちの関係って何なんだろうね?」
返ってくるのは、静かな寝息だけ。
でも、澪ちゃんが起きていたとしても、何も返ってこなかったことだけはわかる。
先輩と後輩? 友人? 親友?
いや、そのどれとも違う……日本語に存在しないような奇妙な関係。言葉にしてしまったら崩れてしまいそうで、かといって言葉にしなかったら消えてしまいそうな儚くて、頼りなくて、でも確かにここにあるもの。
こんなことを言っても、澪ちゃんは嘘だって思うに決まってる。
でも、わたしは……この関係のことが好きになってしまった。
澪ちゃんの言う通り、わたしはわたしで完結することに対して、好きを見い出せない。
わたしが好きな物は、他人の笑顔だったり、人助けだったり、誰かの役に立てた瞬間だったり――つまり、わたしの好きはいつだって他者を通してしか存在できない。
何故なら……わたしは、わたしのことを好きになれないから。
幼少期、わたしが道路に飛び出したところを見知らぬ大人に助けられた。そのおかげで、わたしは生き延びることが出来たけれど、その大人は死んでしまった。
だから、わたしはわたしのことを一生許せない。わたしには、返すことのできないほどの罪があって、幸せになる資格なんて無いと思っているから。
(空っぽなんだよね、わたし)
絵理と話している時も、美紀と話している時も、クラスメイトや後輩、先輩と話している時も、彼女たちの笑顔が好きだから、彼女たちを喜ばせるわたしを演じているだけであって、本当のわたしなんて、どこにもいない。
そのせいで、相手から好意を向けられているとわかっていても、それを上手く受け取ることが出来ない。
その好意は、わたしではないわたしに向けられているだけで、わたしに向けられているものではないから。
でも……
(たぶん、同じだから……なのかな)
澪ちゃんからの好意は、素直に受け止められた。
もちろん、澪ちゃんはそれを表に出さない。自分勝手で、我儘な所があって、隙を見つけたらわたしを傷つけようとするし、素直に感謝されることなんて滅多にない。
けれど、ちょっとした瞬間に、隠しきれなかった好意が漏れ出してしまうことがある。
それは、とても小さくて、見逃してしまいそうになるけれど、わたしの心には届いてくれる。
それはきっと、澪ちゃんもわたしと同じだったからだ。
方向性は違うけれど、罪悪感のせいで自分を好きになれなくて、偽りの自分を演じてしまっている。違うのは、わたしは善人を演じてて、澪ちゃんは悪人を演じてるだけ。根本的には、同じ穴の貉だ。
「もうちょっと前に会えたのなら、きっと親友になることだって出来たのに」
わたしと同じように苦しんでいて、わたしに対して好意を向けてくれている。
ただの傷の舐め合いだってことはわかっているけれど、それでも――。
(それでも、嬉しいんだよ)
澪ちゃんの好意は、わたしに向けられたものだ。演じているわたしじゃなくて、空っぽのわたしに向けられたもの。
ずっと、本物のわたしを見ようとしてくれて、どんなに隠そうとしても、踏み込んでくれる。
それがどれほど、ありがたかったか。
でも、どうしようもなく出会いが遅すぎた。
わたしは周りに恵まれていたから、幸せに生きることが出来ていたけれど、澪ちゃんはその間に傷つきすぎた。
だから、少しずつしか仲良くなれなくて、ちょっとでも間違えると壊れてしまう関係しか保てない。
(……それでも、わたしはこの関係が好き)
暗闇の中で、澪ちゃんの寝息が静かに響く。その音が、わたしの胸の奥にゆっくりと染み込んでいく。
澪ちゃんは、わたしが一歩近づけば半歩下がる。わたしが手を伸ばせば、触れる直前で逃げてしまう。
でも、完全には離れていかない。
その微妙な距離が、もどかしくて、愛しくて、苦しい。
(もっと早く出会えていたら……)
今まで、もしもを考えるのは嫌いだった。
もしもって考えるのは、罪から目を逸らしてしまっているような気がして、より胸が重くなる。
けれど、今では……もしもを考えるのは、わたしたちにとっての救いになるような気がして、ふとした瞬間に考えてしまうほど好きになってしまった。
(きっと、これがわたしの人生の意味だったんだ)
澪ちゃんを幸せにする。それがきっと、わたしが生き残った意味。
わたしじゃなくても、澪ちゃんを幸せにすることが出来る人はいるんだと思う。だから、わたし自身に価値は感じてない。
でも、今この瞬間に澪ちゃんの隣にいるのはわたしであって、わたしが澪ちゃんを救うことには意味がある。
これは、我儘な贖罪で、どうしようもないほど身勝手で愚かな行為だけど、どんな愚行から生まれたとしても、結果として誰かが救われるのなら、それはきっと善行という物になる。
「大丈夫、わたしはずっと側にいるからね」
澪ちゃんの背中に優しく触れる。
温かくて、指先がじんわりと溶けていくようで――その温かさで、胸の奥の決意が静かに固まっていく。
空っぽのわたしを、少しずつ埋めていくように。




