48話
「一か月後くらいですね。このピアスをつけれるようになるのは」
「それまでは、ファーストピアスってのをつけるの?」
「そうですね。透明でファーストピアスとして使える物を買っておいたんで、一か月くらいはそっちをつけててください」
ピアスを買った後、店を出ると、外の空気が少しだけひんやりしていた。
雪乃先輩は、渡された小さな紙袋を両手で包むように持っている。
(……すみません、雪乃先輩)
一応、ファーストピアスは透明なものにしておいた。
でも、校則でピアスは禁止されていて、しかも生徒会長と言う立場だから、かなり厳しい目を向けられてしまうだろう。
いくら日頃の行いが良かったとしても、悪いことは悪いことであり、先生たちは見逃してくれないだろう。
雑菌とかを考慮されて、一度ファーストピアスをつけてしまえば取り外されないが、内申などに影響を与えられてしまうのは、想像に難くない。
「澪ちゃんは、これから行きたいところある?」
「ピアスが買えたので、後は雪乃先輩が行きたいところに行きたいです」
「……うん、そういうことになるね」
「……ですね」
したいこと、好きな物がほとんどない二人だ。これからどうしようかなんて、特に決まっているわけもない。
ただ、雪乃先輩は紙袋を大事そうに抱えたまま、少しだけ私の方へ身体を寄せてきた。
「……じゃあ、歩こっか。どこでもいいから」
「どこでも、ですか」
「うん。澪ちゃんと一緒なら、どこでもいいよ」
そんなことをさらっと言うから、また心臓が落ち着かなくなる。
でも、否定する言葉は出てこなかった。
「……じゃあ、適当に歩きますか」
「うん。適当に」
日曜日のショッピングモールの中は、人がたくさんいて、他人に少しでも意識を向けると、酔いそうになってしまう。
服屋や靴屋の前を通るたびに、店内から流れてくる音楽や呼び込みの声が耳に刺さる。
人の気配が多すぎて、少しでも意識を向けると、頭の奥がじんわりと重くなる。
(……やっぱり、こういう場所は苦手だ)
そう思っていたはずなのに、隣を歩く雪乃先輩の存在が、不思議とそのざわつきを薄めていく。
「あ、あそこに行こうよ!」
すると、雪乃先輩が少し先にある店を指さした。
そこは……
「駄菓子屋、ですか……?」
「うん、最近行けてなかったから、久しぶりに行こっかなって」
(駄菓子屋か……あまり、いい思い出が無いんだけど)
ちらりと、雪乃先輩の表情を横目で見る。
雪乃先輩にしては珍しい、優しい笑顔と言うよりは、幼い子供が浮かべるような無邪気な笑顔。
きっと、これは雪乃先輩にとっての『したいこと』なんだろう。
「はぁ、わかりましたよ。私もかなり久しぶりなんで、行きましょうか」
いい思い出もあるけれど、悪い思い出もある。
でも、悪い思い出なんて所詮過去の出来事に過ぎない。
それよりも、今の方がずっと大事だ。
笑えはしないだろうけど、雪乃先輩が自分のことで笑ってくれるのなら、駄菓子屋に行き価値はある。
そう思って歩き出すと、雪乃先輩は嬉しそうに小さく息を弾ませた。
「懐かしいなぁ。あ、これおいしかったやつだ」
雪乃先輩は、二十円くらいで売られているヨーグルト風味の駄菓子を持ちながら、懐かしそうに目を細めていた。
それは、私が好んで食べていた駄菓子の一つで、久しく食べていない物でもあった。
「澪ちゃんは、これ食べたことある?」
「まぁ、好きでしたね。駄菓子屋に行ったら、毎回買っていた気がします」
「へー、わたしも同じだったよ」
嘘では……なさそうだ。
私もそうだったけど、どうやら雪乃先輩も幼いころは好物があったらしい。それがいったいどうして、他人を助けることしか考えない馬鹿になったのだろうか?
(まぁ、その気持ちはわからなくはないんだけどね)
昔の私は、今の私よりも雪乃先輩に似ていた。
だから、ほんのちょっとだけ、その気持ちも理解できる。
「そう言えば、これって乳製品を使ってないんだって」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。植物性の油脂と砂糖で作られているんだって」
へぇ、それは知らなかった。
もう味は覚えていないんだけど、見た目で勝手に乳製品を使っていると思っていた。
「ありがとうございます。また一つ、賢くなりました」
「どういたしまして。よし、久しぶりに食べてみよっと。……あ、これも懐かしいなぁ」
雪乃先輩は、駄菓子屋にある色んな品を見て、それらを懐かしみながらカゴに入れていった。
……払うのは私かなぁ。ピアスのせいで、結構財布にダメージが入ったんだけど。
「澪ちゃんは買わないの?」
「あ……そう、ですね。久しぶりに買ってみます」
子供の時に戻ったように笑っている雪乃先輩を見ていると、買わないのと尋ねられてしまった。
別に欲しいわけじゃないけれど、雪乃先輩だけが駄菓子を買うことになると、変に気を使ってきそうだから私も何か買っておくべきだろう。
そう思って、私は周りの駄菓子を漁ってみる。
前に来たのは、もう何年も前だったはずなのに、私の頭は案外記憶力が良かったようで、好きだった駄菓子をすぐに見つけることが出来た。
けれど、そんな時――思い出したくもない物と出会ってしまった。
「――っ」
ソレが目に入った瞬間、心臓がびくっと跳ねてしまった。
指先が冷たくなり、呼吸が一瞬だけ止まる。
『違う、私は何もしてない!』
『嘘を吐くな! 学校が、そう伝えて来たんだから、言い訳をせずに話してみろ!』
耳の奥で、昔の声が弾けた。店内のざわめきとはまったく違う、冷たい音。
視界がぐらりと揺れ、いつの間にか握っていた拳に力が入る。
もう思い出したくもない、私が父親のことをお父さんと呼ばなくなったあの日のこと。
過去のことだと忘れようとしたはずなのに、鮮明に蘇ってしまう。
「澪ちゃん?」
そんな私の様子を見て、雪乃先輩が心配そうに呼び掛けてくる。
でも、今の私では、それに返答することすら出来なかった。
「……」
「どうかしたの? ……ん? これって、水飴?」
雪乃先輩は、私の視線の先を見て、何を見てこうなってしまったのか察してしまった。
……隠していたわけではなんだけど、こうなってしまうともう、説明するしかなさそうだ。
「大丈夫? ちょっと休もうか?」
「いいえ、ちょっと嫌なことを思い出しただけです。……気にしなくて、いいですよ」
「駄目だよ。わたしは澪ちゃんの全てがわかるってわけじゃないけれど、今の澪ちゃんが無理をしていることくらいはわかるんだから」
(そうなるよね……)
隠すことが出来るなんて、これぽっちも思っていなかったけど、やっぱり見破られてしまった。
自分のことに無頓着な分、こうして他人には寄り添ってくれる。でも、その優しさが、今は少しだけ重い。
「ごめんなさい、せっかく楽しんでいたのに、壊してしまって」
「気にしないで。私にとっては、澪ちゃんが笑顔でいられることの方が、ずっと大事だから」
「…そんなこと、言われても困りますよ」
そう返した声は、思っていたよりも弱かった。
雪乃先輩は責めるでもなく、ただ穏やかに微笑む。
「困ってもいいよ。わたしが勝手にそう思ってるだけだから」
その言葉が、胸の奥にじんわりと沈んでいく。
優しさなのに、逃げ場がなくて、苦しくて――でも、少しだけ温かい。
「……外、出ましょう。ここ、ちょっと息苦しいので」
「うん。行こ」
雪乃先輩がカゴに入れていた物を元に戻した後、私達は店を出た。
店を出た瞬間、ひんやりした空気が肺に入り、ようやく呼吸が整ってくれた。
隣を見ると、雪乃先輩は紙袋を抱えたまま、心配そうでもなく、ただ静かに私の方を見ていた。
「澪ちゃんが落ち着くまで、ちょっと座ろっか」
「……はい」
私達は、駄菓子屋の近くにあった椅子に腰を下ろした。
しばらく何も話さずに座っていると、胸のざわつきがゆっくりと静まっていく。
隣では雪乃先輩が、ただ同じ景色を見てくれていた。そのおかげで、この最悪な気分から、すぐに逃れることが出来たんだ。




