46話
「うどん、好きになれそうだった?」
「好きになれそうでした」
「そっか。わたしも、好きに――」
「ごめんなさい、嘘です」
「…………ハメた?」
うどん屋で昼食をとった後、私達はそんな会話をしていた。
相変わらず、雪乃先輩は私に合わせようとして、好きでもない食べ物を好きになれそうとか言ってくる。
雪乃先輩は他人に合わせすぎなんだ。他人に合わせることが悪いことだとは言えないけど、あまりにも他人に合わせすぎていると、心の底から信用することが出来ない。
特に、雪乃先輩は、自分の意志とかもあるのに、一人で完結するようなことになると空っぽになってしまうから、余計に不安になる。
「本当に、私に合わせるのをやめてください。今まで、どうやって生きて来たんですか?」
「好きな物も特にないけど、嫌いな物も無いからね。同じものを好きだと言えば、何とかなってたんだよ」
「終わってるよ、この人……」
予想はしていたけど、やっぱりいろいろ終わってるよ。
他人のことを助けることばかり考えて、自分のことを何一つ気にしていない。そのせいで、自分という物が空っぽだから、他人のために、ここまで動けるんだ。
そして、そういう人は……他人の命を助けるために、自分の命を捨てられる。
(お母さん、みたいに……)
胸の奥が、きゅっと縮む。
思い出したくもない記憶が、勝手に浮かび上がってくる。
「そう言えば、澪ちゃんが言ってた、買いたい物って何なの?」
けれど、雪乃先輩は、私の気持ちなんて気にせずに笑いかけてくる。
優しくて、温かくて……閉じ込めてしまいたいほど、心にしみてくる。
「別に何でもいいじゃないですか」
「でも、今日って澪ちゃんの家に泊まる日でしょ」
「それが何か?」
雪乃先輩は、何を言っているのだろうか?
話の流れが、全く読めない。
「ということは、晩御飯を作るのってわたしだよね」
「そうですけど」
「でも、澪ちゃんって料理をあまりしないから、冷蔵庫の中が空っぽじゃんか」
「それがどういう……あ、そういうことですか」
なるほど、やっと意味が分かった。
私の家の冷蔵庫の中が空だから、スーパーで食材を買う必要がある。ただ、それを買ってしまうと、私の買いたい物を買う時に、食材が邪魔になってしまう。
だから、今のうちに買っておこうというわけだ。
(別に……それでも、いいんだけど)
そもそも、最後に買う意味はない。
ただ最後に買おうとしてたのは、恥ずかしくて先延ばしにしていただけなんだから。
「わかりましたよ。なら、忘れないように、今のうちに買いに行きましょうか。……正直、こっちの方がメインでしたし」
私は、雪乃先輩の手を掴んで、そのまま歩き出した。
「えっ、ちょ、澪ちゃん?」
「早く行きますよ。時間が無駄です」
恥ずかしいことなんだから、一瞬で終わらせたい。
そう思って、まるで競歩のように早歩きで、私達は目的地へと向かって行った。
「ま、待ってよ!」
「走ってないので、別にいいじゃないですか」
後ろから雪乃先輩が声を掛けてくるが、私は振り返らずに足を進めていった。
振り返ってしまったら、熱くなった頬を見られてしまうことが分かっていたから。
私達は、ショッピングモールの中にあるアクセサリーショップの目の前に立っていた。
「ここが、澪ちゃんが行きたかった店なの?」
「そうですけど、何か文句あるんですか?」
言い返した瞬間、雪乃先輩の表情がわずかに揺れた。
その視線の先には、ガラス越しに見える――細いチェーンに小さな宝石がついた、明らかに安くはないアクセサリーたち。
それらは、照明の光を反射して、白く輝いていた。
「ここ、結構高いとこなんじゃ……」
「どうせ、ショッピングモールの中にある程度の店なんだし、私服でも大丈夫だと思いますよ」
「すごく失礼なこと言ってるね……」
事実でしょ。
そんなことを思いながら、雪乃先輩の手を引っ張って中に入る。
アクセサリーショップの中は、外の喧騒とは違って、やけに静かだった。
白い照明がガラスケースを照らし、どれもこれも特別な物みたいに見える。
(ふーん、こんな感じなんだ)
私は、こういう所に一回も来たことが無かったから、少しだけ新鮮だった。
アクセサリーなんて、お母さんの形見一つで十分だし、そもそもアクセサリーを付ける価値を感じていないんだから。
「新しいピアスが欲しいの?」
すると、雪乃先輩が的はずれなことを言ってきた。
「いりませんよ、そんなもの」
「そうなの? ピアス一つしか持って無かったから、他のも欲しいのかなって思ったんだけど」
「これって、母の形見だからつけてるだけで、他のピアスだったら、つける意味が無くなるんですよ」
雪乃先輩が、目を丸くした。
そう言えば、ピアスのことは言ってなかったんだっけ? ま、どっちでもいいか。そんなことは。
「それなら、何でここに来たの……?」
雪乃先輩が、訝しげに眉を寄せる。
当然だ。アクセサリーを買う気がないのに、アクセサリーショップに来る理由なんて普通はない。
でも、私が欲しいのは――私のじゃない。
「雪乃先輩のピアスを買いたいんですよ」
「え? わたしの?」
雪乃先輩の目が、さらに大きくなる。
本当に予想していなかったみたいだ。
「そうですけど。何か問題ありますか」
「問題っていうか……なんで?」
雪乃先輩が首を傾げてくる。
ピアスを買ってもらうことを嫌がっている様子は無いが、それでも私の気持ちは全く理解できていないようだ。
まぁ……それは仕方がないことか。
いくら雪乃先輩だとしても、私の本心は理解できないだろう。
「……だって、形に残るじゃないですか」
「どういうこと?」
察しが悪いなぁ、もう。
言葉にしようとしたら、頬が熱くなってくるんだから、私の口から話させないでよ。
「つまり、その……」
「いいよ、ゆっくりで」
「……雪乃先輩にピアスをあげたら、私がいたってことを刻めるじゃないですか」
ピアスをつけててもそうだし、ピアスが無くても、耳たぶに出来た穴が、私がいたってことを示してくれる。
そして、その印があれば、雪乃先輩が私を忘れることなんて出来なくなるし、私のモノだってことを知らしめることが出来る。
(取られたくないし、話したくないんだよね……ほんと、見苦しい)
雪乃先輩は、初めて会った時から、私に寄り添ってくれた『信じたい』人なんだ。
誰かに取られたくないし、私から離れていくことも許せない。
でも、雪乃先輩が私の思い通りになる人なら、私はここまで『信じたい』と思えなかった。
だから、この醜い嫉妬を、『印』と言う形で妥協したんだ。
「ピアスをずっとつけて、ピアスをつけていることに気付く度に、私のことを思いだしてください」
言い切った瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。
自分でも、どこまで言うつもりだったのか分からない。
雪乃先輩は、しばらく何も言わなかった。
ただ、目を瞬かせて、私の顔をじっと見ていた。
「……ごめんなさい、迷惑ですよね。こんな感情」
目を伏せる。これは、迷惑なことで、いけないことだとはわかっているけれど、やめる気にはなれなかった。
今までは、一人だったから一人で生きることが出来ていた。でも、雪乃先輩と茜の温かさを知ってしまったから、もうあのころの私に戻れない。
「わかったよ。わたしに似合いそうな物を選んでくれない? 澪ちゃんが選んでくれたピアスをつけたいから」
目を伏せると、何故か心臓がぎゅっと縮まって、視界が歪んでいった。
でも、それを見た雪乃先輩が、頭を優しく撫でてくれて、心が少しずつほどけていく。
「いいんですか? 少なくとも、ファーストピアスをつけてる間は、校則違反することになりますけど」
「あー、そうだよね。でも、今ってまだ六月でしょ。生徒の前に立つ予定は無いし、今までは優等生だから何とかなるよ」
「……ありがとうございます」
私の我儘で、雪乃先輩がかなり迷惑を被っているのは分かっている。
それでも、手放したくなかった。
「迷惑なんて思ってないよ」
雪乃先輩が、当たり前みたいに言った。
その声は軽いのに、変に胸に残る。
「だって、澪ちゃんが選んでくれるんでしょ。そんなの、嬉しいに決まってるじゃん」
「……そういうこと言わないでください」
「なんで?」
「……もっと、一緒に居たくなるので」
私が雪乃先輩の側にいる資格がないことなんてわかってる。
けれど、こうして私は自分の心を優先してしまってるんだ。このまま関わって行けば、引き返せない場所にまで行ってしまう。
「そう? 良いことだと思うけど」
「私にとっては良くないことなんです。…………ほら、ピアスを探しますよ」
話を切り上げるように言うと、雪乃先輩は小さく笑って、私の横に並んだ。
その距離が近くて、また胸がざわつく。
「うん。澪ちゃんが選んでくれるのならね」
その一言で、逃げ場がなくなった気がした。
でも、不思議と嫌じゃなかったんだ。




