41話
「黒瀬、テストのことだが……」
「雪乃先輩に話しましたし、しっかりと叱られました」
「そうか、ならいい」
放課後、生徒会室に入ると、茂木先輩に叱られかけた。
どうやら、生徒会のみんなにも、私のカンニング疑惑が知られていたらしいのだが、雪乃先輩のことを口にすれば、何も言われることは無かった。
(信頼されてるんだぁ……私と違って)
それは、雪乃先輩がみんなの信頼を勝ち取っているからなのだろう。
私が何を言っても、嘘だと疑われてしまうのに対して、雪乃先輩が言ったことは、本当のことだと信じられる。
けど、その差は日頃の行動のおかげであり、雪乃先輩が他人に対して真摯に向き合い、人助けを続けていたからこそ得ることが出来た信頼を、私も欲しいとは思えない。
私がわたしである以上、この態度は続けるつもりだし、信頼を一生勝ち取ることが出来ないってわかってるから。
「そう言えば、勉強会をした人たちの成績はどうだったんですか?」
「……同級生を煽るつもりだろ」
「はい、もちろん」
茂木先輩に呆れた視線を向けられて、私は心の底からの笑みを浮かべた。
だって、私は今日返って来たテストの全てが満点だったんだ。だから、どうやっても同級生に負けることはなく、同点である可能性も低いだろう。
(わざわざ雪乃先輩に教えてもらったんだから、きっといい点を取っているよねぇ?)
勉強会が終わり、家に泊りに来た雪乃先輩に勉強を教えてもらったことがある。
もちろん、そこは理解している分野であり、教えて貰わなくても解ける問題だったのだが、雪乃先輩の一人に教える技術が気になったからだ。
その結果、雪乃先輩はかなりわかりやすく説明してくれた。
他人に勉強を教えることについては、私よりもずっと上だと思えるほどであり、そんな教え方を一対二で受けていたのなら、いい点を取っていないと納得できない。
(いや、それは建前か……)
教え方が上手いとか下手だとかは興味が無い。
雪乃先輩に教えてもらっておいて、悪い点を取っていたら、心の奥が燃えるほどの怒りが湧いてくるのだ。
その理由は、私でも理解できないし、興味もない。でも、この怒りぐらいは発散させてもらうよ。
「減るもんじゃないんだから、点数を見るくらい位でしょ」
「桃井、大江、コイツのことは気にしないでいいからな。勉強は自分のペースですればいいし、努力しない奴はその内限界が来るんだから」
茂木先輩は、明らかに他の一年生たちを気遣っており、彼女たちの味方をしている。
ムカつく、別に私より下だったとしても、絶対に煽るってわけでもないのに。……煽るのは、悪い点数を取っていた時だけ。それくらい、わかるでしょ。
桃井と大江は、茂木先輩の言葉を受けて、少しだけ目を合わせた。
口は開かず、目だけで何かを交わし、小さく頷く。言葉にせずとも、意志を伝え合うことが出来る用で、少しだけ感心する。まだ出会ってから一か月くらいしかたって無いのに、そこまで仲良くなるのは凄いことだと思うから。
「……大丈夫です、茂木先輩。他人と勝負することには興味がなくて、今までの自分よりも成長してしているかどうかのほうが気にしていますから」
大江がそんなことを呟き、二人とも今日返してもらった答案用紙を私に見せて来た。
今日返してもらったテストは、数学1、地理、化学、英語A、古文……彼女たちのソレは、七十点を超えるものがほとんど、中には八十点を超える物もあった。
平均点が六十点くらいである以上、その点数は褒められるべき点数なのだろう。
――雪乃先輩に教わっていなければ。
「は? なにこれ?」
気づけば、低い声を出していた。
答案用紙を握っている手に力が入り、くしゃっという音が耳に届き、見下ろすと紙に皺が走っていた。
他人の答案用紙……それも平均を超えている物に皺をつけたのは申し訳ないと思うが、元はと言えば、この程度の点数しか取れなかった二人が悪い。
「……どういうこと?」
「なんで、この程度の点数しか取れてないの? こことか、ただのスペルミスじゃん。雪乃先輩に教わったんだから、真面目に問題を解いてよ」
大江が私のことを睨んできたが、そんな視線はどうでもよかった。
胸の奥で、じりじりとした熱だけが広がっていく。
「は? 私は真面目に解いて、この点数を取ったの。それにこの点数は良い点数でしょ」
「なに良い点数程度で喜んでんの。雪乃先輩に教わったんだから、もっといい点取ってよ」
言った瞬間、大江の顔がぴくりと歪んだ。
「……は? 黒瀬、何様なの」
「何様でもいいよ。事実でしょ?」
自分でも驚くほど冷たい声だった。
胸の奥の熱が、もう止まらなかった。
「七十点で満足してるなら、最初から勉強会なんて行かなきゃよかったじゃん。雪乃先輩の時間、無駄にしただけだよ」
「無駄って……!」
大江が机を叩きそうな勢いで身を乗り出す。
「私だって頑張ったよ! 初めての中間テストだったけど、今までよりかはずっと良くなってるの」
「それがなに? 雪乃先輩の時間を使ってもらって、その結果がこれ? 本気でやったって言えるの? ……ねぇ、ほんとに?」
桃井が唇を噛み、大江が拳を握る。
その反応を見て、胸の奥がさらにざわついた。
(……なんで、こんなに腹が立つの?)
自分でも理由がわからない。
ただ、雪乃先輩の教えが軽く扱われたような気がして、胸が焼けるように熱かった。
「澪ちゃん」
その時、背後から静かな声がした。
「ごめんね、先生に呼ばれててちょっと遅れちゃった」
雪乃先輩が生徒会室に入ってきて、私に優しく話しかけて来た。
目と目が合って、なぜか目を逸らしてしまった。いたずらがバレた子供みたいな、居心地の悪い感覚が私を襲ってくる。
「澪ちゃん、ちょっといい?」
雪乃先輩は、怒っているわけでも、呆れているわけでもなかった。
ただ、私の名前を呼ぶ声が、いつもより少しだけ静かだった。
その静けさが、胸の奥に刺さる。
「……なんですか?」
同級生たちに言った言葉に後悔はない。もう一回同じことがあったとしても、同じことを言うだろう。
でも、それと同時に、今言った言葉が雪乃先輩の喜ばない物だってことも理解している。……むしろ、これは幻滅させてしまう言葉だっただろう。
「それは言ったら駄目だよ。たとえ澪ちゃんが勉強できたとしても、他人の成績だけは口出ししたら駄目なんだよ」
「……わかってますよ、そんなことは」
「うん。澪ちゃんがわかってるのも知ってる」
雪乃先輩は、私の目をまっすぐ見た。
逃げられないのに、優しい目だった。
「でもね、澪ちゃんが……わたしのことを思って言ったのも、ちゃんとわかってるよ」
「……は?」
思わず顔を上げてしまった。
「だって、心配になったんでしょ。わたしの時間、無駄にしてないかなって」
図星すぎて、言葉が喉で止まった。
「大丈夫だよ。わたしはね、大江ちゃんと桃井ちゃんの点数が上がっただけで嬉しいの。七十点でも八十点でも、あの子たちにとっては前より進んだってことだから」
雪乃先輩は、ふっと微笑んだ。
「だから……澪ちゃんが怒る必要なんて、どこにもないんだよ」
違う、そんなんじゃない。私の怒りはもっと理不尽な物だと……今、わかった。
ただ単に、雪乃先輩と勉強会をしていた同級生の二人が羨ましかっただけで、これはただの八つ当たりなんだ。
醜い嫉妬……私が信用したいって思っている人が、他人の方を見ているのが気に入らないだけ。
これは絶対に言えない感情だから、胸に潜ませるしかない。その罪悪感が何より、私の心を絞めつけてくる。
雪乃先輩が、そっと私の肩に触れた。
優しいのに、逃げ場を塞ぐみたいな温度だった。
「もう大丈夫だよ。わたしは怒ってないから」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
怒りでも、嫉妬でも、悔しさでもない。もっと曖昧で、もっと扱いづらい感情が、ゆっくりと沈んでいく。
「……はい」
それだけ言うのが精一杯だった。顔を上げることもできなかった。
雪乃先輩は何も追及しなかった。
ただ、いつもと同じように微笑んで、私の隣に立ってくれた。
その優しさが、余計に苦しかった。
(……ほんと、最悪だ)
胸の奥で小さく呟いて、私はそっと目を伏せた。




