38話
「もしかして常識が無いんですか? 泊まるのなら数日前から言ってくれないと」
「ごめんね、でも今回は泊まるのに必要な物は持ってきたから」
あの後、私は雪乃先輩の勢いを止めることが出来ず、家の中に侵入されてしまった。
こうなったら仕方がない。嫌だけど、雪乃先輩を家に泊めないと。
「はぁ、それでどんな要件で家に泊ろうとしたんですか? せめて、納得出来る返答はしてくださいよ」
雪乃先輩のことを睨みつけながら問い詰める。
今日は、前みたいに途中で逃げ出したわけでもないし、学校で何か問題を起こしたわけでもない。
なのに、わざわざ家に泊ろうとするなんて、道理に合わないじゃないか。……もし、その理由が納得できない物なら、宿泊費を取ってやる。一日三十万円、よしそうしよう。
そんなことおを思いながら雪乃先輩のことをじっと見ていると、雪乃先輩は少しだけ首を傾げて、まるで当たり前のことを言うみたいに口を開いた。
「だって、澪ちゃんは最近寝れてないんでしょ?」
「……」
何も言うことが出来なかった。
この人は、たったそれだけの理由で、私の家に泊ろうとしているのだ。実際、雪乃先輩が一緒に寝てくれた日以降は、悪夢が再発して夜中に寝ることが出来ていない。
でも、それが雪乃先輩に何の関係がある?
今までもずっと、この悪夢を避けて生きてきた。夜に寝れないくらいで困ってなんかいない。雪乃先輩の優しさは、ただのおせっかいで何の価値もない行動だ。そんな理由で泊まるのなら、さっさと追い出してあげる。
「それがどうしたんですか? こんなの、いつものことです」
「駄目だよ。夜はしっかり寝ないと」
「確かに、成長ホルモンが分――」
「そうじゃなくて、夜にずっと起きてるの。寂しいでしょ?」
寂しい? そんな感情、一回も持ち合わせたことなんて無い。
だって私は、今まで一人で生きて来た。だから、一人の夜なんて数えきれないほど経験してきたし、もうなんとも思わなくなっている。
雪乃先輩の言葉は見当違いだ。雪乃先輩が優しいってことは十分理解しているけど、その身勝手な優しさに付き合う必要は無い。
そう思って口を開いた。
出来るだけ傷つけてやろうと、酷い言葉を思い浮かべて。
でも、口から出たのは、そのどれとも違う言葉だった。
「なんで……そう思ったんですか?」
「澪ちゃんのことだから、本当は寂しいと思っているけれど、無理やりそこから目を逸らしてないかなって」
「……そんなこと、ありませんよ」
寂しくない。そう、断言できる……はずだ。
なのに、身体が言うことを聞かず、何も言うことが出来ない。
(……裏切り者)
私の身体なんだから、私の意志に従ってよ。
雪乃先輩を家から追い出して、一人で夜を過ごすことが私の望みなのに。
「だからさ、泊っていい?」
「はぁ、勝手にしてください」
けれど、私は雪乃先輩を止められなかった。
私の返事を聞くと、雪乃先輩は笑みを浮かべて、私に近づいてきた。
「ありがとね、澪ちゃん」
貌が近い。雪乃先輩の整った顔が、すぐそばまで迫ってきて、思わず目を逸らしてしまう。
なぜか頬が熱くなってしまい、居心地が悪い。これも全部、雪乃先輩のせいだ。
「……裏切ったくせに」
思わず、そんな言葉が口から洩れた。
「え……?」
雪乃先輩の目が見開かれる。
きっと、こんなことを言われると思っていなかったのだろう。そう自信が持てるほど、雪乃先輩は私に対して真摯に向き合い、私の味方であり続けた。
……きっと、これは私の醜い感情だ。雪乃先輩と出会ってから生まれた、あってはいけない感情。
「だって、勉強会に行こうとしてるじゃないですか……。生徒会のみんなと」
文句があるのなら、自分もそれに参加すればいい。そんなことは百も承知だ。
でも、それに耐えれる自信が無い。雪乃先輩が私以外の誰かと話しているだけで、胸が掻き乱される。
もし、私が誰かと対立した時、その対立した相手が雪乃先輩と親しかったら、そっち側に着くんじゃないかと常に思ってしまうからだ。
もちろん、私に文句を言う資格なんて無いことはわかっている。でも、雪乃先輩は私の味方であるべきなんだから、私だけをずっと見ればいい。
「……ごめん、なさい。無茶苦茶なこと、言ってますよね」
けれど、雪乃先輩は人間だ。私にも茜のような友達がいるように、雪乃先輩にも友達がたくさんいるだろう。
そして、その中には……私よりも大切な人がごまんといるはずだ。
(もっと、性格が良かったらなぁ……)
もし、私が昔の私のような性格をしていたのなら、もっと雪乃先輩に好かれていたのだろう。かつての私は、雪乃先輩のように優しかったから。
でも、もうその時に戻ることは出来ない。コップからこぼれた水が戻らぬように、裏切りのせいで壊れた心は戻らない。
きっと私は、ずっと一人なんだ。誰かと仲良くできても、誰かの一番になることは出来ない。
優しい私は、その優しさのせいで、何をしたって良い人物になり、悪い私は、その悪さがゆえに、誰も近づいてこない。
そう思うと胸がぎゅっと握り絞められて、私は膝を抱えて座った。
「めんどくさいですよね……私」
茜だって、そのうち私よりも大切な人が出来るはずだ。
だって、今までの経験がそれを証明している。父親は、私を憎んだ。クラスメイト達は、私をいじめの標的にした。先生たちは、私を見捨てた。
そして母は――私を庇って死んだ
誰も私を大切にしてくれないし、大切にしてくれた人はどこか遠くへ行ってしまう。
どうせ、雪乃先輩や茜だってそうだ。私のことを気に掛けてくれるのは今だけで、どうせどこかに行ってしまう。
それがわかっているから、私はこの人たちのことを心の底から信じれない。
「確かに、そうかもしれないね」
雪乃先輩は私の横にやって来て、ゆっくりと座った。
私の言葉を否定せず、むしろ肯定するみたいに。
私は顔を上げられなかった。
膝に置いた手が、じわりと汗ばんでいく。
「でもね、澪ちゃん。めんどくさいくらいがちょうどいいんだよ」
「え……」
「澪ちゃんは真面目過ぎるの。自分が本当に欲しい物を胸の奥底に追いやって、そんなのいらないって自分で自分に言い聞かせちゃうところがある」
嘘だ……そんなの、あるわけない。
「ね、一個考えてたことがあるんだ」
「……なんですか?」
雪乃先輩は、少しだけ視線を落として、言葉を選ぶように息を吸った。
「これから、少なくとも一週間に一度はここに泊ろうかなって思ってるんだ。それに、定期テストの時は毎日」
「は……?」
何を言っているの? イッシュウカンニイチドハトマル? 日本語のはずなのに、まるで別の言語のように頭の中に入ってこない。
頭が真っ白になって、言葉がどこにも見つからなかった。
雪乃先輩は、そんな私の反応を気にする様子もなく、当たり前みたいに続ける。
「澪ちゃんは、まだ一人で寝れないんでしょ? だから、一緒に寝ることで、悪夢から少しでも逃れられないかなって」
「そんなこと、私は一度も願っていません!」
「嫌なら嫌って言っていいよ。今日は泊まらせてもらうけど、もう二度とここに泊らないって誓うから」
嫌です、もう二度とここに来ないでください。
そう言おうとして、口を開いた。
でも、口からは声が出ず、ぱくぱくと口を動かすだけで、音にならない。
(なんで? どうして?)
嫌だとか、泊るなとか、頭の中ではそんな言葉が思い浮かぶのに、口に出すことが出来ないなんて。
こんなの、まるで本心では一緒にいてほしいと思ってるみたいじゃんか。
「そっか、ならこれからもここに泊ることにするよ」
「か、勘違いしないでください! 私は一緒にいてほしいだなんて、思ってなくて――」
「わかってるよ。でもね、一個だけ覚えてほしいことがあるんだ」
雪乃先輩は私の両手を掴んで、目を合わせてくる。
その目には、逃げ道を塞ぐような強さと、どこまでも優しい光が宿っていた。
「わたしはね、澪ちゃんの信用を得られるような魔法の言葉を知らない。でも、その代わり行動で示そうとしているんだ。言葉にはできない分、行動で……」
雪乃先輩は、私の両手を包み込むように握った。
強くない。でも、離れられない。
「だから、わたしを避けないでほしい。不安に思うのは理解できるけど、わたしとちゃんと向きあって」
私は、ただ黙っていた。
否定も肯定もできないまま、雪乃先輩の手を握り返すこともできず、でも――振り払うこともできなかった。
「わたしは、澪ちゃんのことを絶対に見捨てないから」




