36話
「はいはーい、みんなちゅーもーく!」
放課後、生徒会室で雪乃先輩が急に声を張り上げた。
また変なことを言い始めるなんて、ついに狂ってしまったのかな? あ、でも私に優しく接するぐらいなんだから、元から狂ってたか。
「なに? さっさと仕事して」
「絵理ちゃんはもうちょっとくらい余裕を作ったほうが良いと思うよ?」
「余裕なんていらない」
雪乃先輩と茂木先輩が、仲良く話している。雪乃先輩の表情には笑顔が浮かんでいて、思わず目を逸らしてしまう。
胸の奥がもやもやして、なんでかわからないけど腹が立ってきた。話しても無いのに、こんな気分にさせてくるなんて、やっぱり雪乃先輩は最低だ。
「えー、余裕があったほうがもっと可愛くなるのに。あ、もちろん今も可愛いいよ」
「うるさい、可愛さなんていらないでしょ」
「可愛くなるのに理由なんていらないよ。ほら、笑ってみて」
雪乃先輩と茂木先輩がいちゃつき始める。
それを見て、私は目を閉じて、頭の中で数式を作り、暗算を始めた。この二人の会話なんて聞く価値も無く、会計の仕事をしていたほうが結粋な時間を過ごすことが出来る。
だから、目を閉じるのも、耳に意識を向けないのも効率を求めた末の判断だ。
私情なんて、決して含まれていない。
「そんなことより、要件は何なの?」
すると、遠藤先輩が続きを促した。
彼女は私よりも長く雪乃先輩と接していたからか、雪乃先輩の扱い方を理解していて、脱線していた話を元に戻してくれた。
でも、素直に感謝することは出来ない。
「あ、ごめんごめん。要件ってのは一週間後の中間テストのこと」
「テストですか?」
桃井が首を傾げている。
ま、その気持ちは理解できる。生徒会に関することだと思っていたのに、中間テストという学業のことを言われるとは思ってもいなかったからだ。
けれど、学業は生徒の本分だ。
生徒会の仕事よりかは、そっちの方を重視するべきであり、雪乃先輩は改めてそのことを言おうとしているのだろう。
「そうそう、中間テストのこと。部活もなんだけど、テスト週間の間は、生徒会の仕事はお休み。その代わり、いい成績を取ってきてね」
「その程度のことのために、仕事の手を止めさせたんですか?」
「もちろん、それだけじゃないよ。むしろ、ここからが本題」
「……話が長い」
私が少しだけ文句を言ったが、雪乃先輩は顔色一つ変えずに続けていった。
相変わらず、雪乃先輩は私の嫌味を嫌がる気配を出さない。なんで、これに耐えられるのかな? もしかして、人間とは違う生物なんじゃないの?
「テスト週間の間、みんなで勉強会みたいなものをしないかなって思ったの。ほら、一年生たちは高校のテストなんて初めてでしょ。だから、先輩であるわたしの経験が役に立たないかなって」
「それはありがたいんですけど……雪乃先輩の迷惑になりませんか?」
大江が恐る恐る尋ねた。
当然だ。中間テストは全学年にあり、雪乃先輩も自分の勉強をしなければならない。
普通なら、後輩の面倒なんて見ている余裕はないはずだ。
けれど雪乃先輩は、まるで心配する必要なんてないと言わんばかり に笑った。
「迷惑じゃないよ。むしろ、みんなの力になれるなら嬉しいくらい。それに、普段から勉強をしているから、直前に勉強しなくても点を取れるから心配しないで」
(さっすが優等生だね。雪乃先輩は)
誰よりも家で勉強している私のことを棚に上げ、雪乃先輩の日頃の習慣を認めた。
ほんとムカつく。優しいし、面倒見がいいし、家事も出来て、毎日家で勉強してるときた。ちょっとくらい欠点があっても良くないかな?
「そ、それじゃ、わたしは参加したいです」
「私も……」
桃井と大江が、遠慮がちに、でもどこか嬉しそうに手を挙げた。
その素直さが、胸の奥をざらりと撫でていく。
(……なんでそんな簡単に乗るの)
別に悪いことじゃない。むしろ普通の一年生なら、先輩が勉強を見てくれると言えば喜ぶのが自然だ。
でも、私の中で何かがきゅっと縮む。
「雪乃、それ一人でやるつもりなの?」
「うん、そうだけど」
「なら、私も手伝うよ。雪乃よりも教えるのが上手い自信があるし」
「それならわたしも手伝うよ。雪乃や絵理ほど教えるのが得意じゃないけどね」
茂木先輩や遠藤先輩も当然のように名乗りを上げた。
これで、私以外の全員が、その勉強会らしきものに参加するとことが決まった。
けれど、私はソレに参加する気分にならず、何も言わなかった。
「澪ちゃんはどうする?」
ただ、それを雪乃先輩が見逃すわけもなく、ちゃんと私も誘ってくる。
しかし、いくら雪乃先輩が誘ってこようとも、私の気分を変えることは出来やしない。
「参加しませんよ、家でゆっくり寝ときます」
「黒瀬、どうせ授業で寝ているんだから、これを機に勉強したら?」
「別にいいじゃないですか。自分のことは自分で何とかします」
茂木先輩が私の意見を聞いて眉を顰めたが、それ以上は何も言ってこなかった。
注意されている内はまだ見捨てられていない。取り返しのつかないのは、注意されなくなった時だと言うけれど、今の私は後者なんだろう。
でも、ソレの何が悪い?
たとえ、他者に見捨てられようとも、私は一人で生きて来たんだ。だから、私の人生には何の影響も与えない!
……それに、どうやっても見捨ててくれない、馬鹿みたいな優しい人もいるんだし。
「そっか、澪ちゃんは参加しないんだね。全員が揃ったら嬉しいんだけどなぁ」
「そうですか。私には関係ありませんけど」
「じゃあ、日時や場所については、後で連絡するね。まずは生徒会の仕事を終わらせよっか」
雪乃先輩が話を切り上げ、生徒会の仕事が再開する。
もう終わった話だから、誰も勉強会について口にせず、パソコンを打つ音と、ペンで文字を書く音だけが生徒会室の中に響いていく。
けれど、私の心の中は全く違った。
なんだかわからないもやもやしたものが、心の中で暴れまわり、耳を塞ぎたくなるほどやかましい。
原因は何なのか、この気持ちの正体が何なのか、それはさっぱりわからない。
(……裏切り者)
なんでこんな言葉が思い浮かんだのかもわからない。
だから、何とか口に出すのを抑え込めたのだが、出来るものなら今すぐに雪乃先輩を罵ってやりたい。
きっと、こんな気分になったのは雪乃先輩のせいなんだ。
もう、本当にやめてほしい。知らない感情を、私に与えないでくれ。
「はぁ、めんどくさい」
「めんどくさい? ちゃんとやりないよ」
「はいはい、わかってますよ。茂木先輩。……アイスでも奢ってくれると、より集中出来るんですけど」
「ふざけたことを言ってる暇があるのなら、仕事を増やしたあげるよ」
「ちっ」
そんな気持ちを振り切るように、私は会計の仕事に打ち込んだ。
数字や表が、乱れた心から意識を離してくれる。
無機質な作業に沈んでいけば、さっきまで胸の奥で暴れていたものも、少しずつ形を失っていく。
――少なくとも、今だけは。




