35話
「澪ちゃんは、これの解き方わかる?」
「ふぁぁ……眠い。ん? どうしたの?」
休み時間、茜が私の席にまでやって来て。授業中にわからなかった問題を聞いてきた。
どうせなら先生に聞けばいいのにとは思うけど、茜のことだから、どうせ聞きやすい人に聞こうとでも思ったんだろう。これだから、人見知りは。
「えっと、これは微分の問題? だったら、この三次方程式を――」
とはいえ、友達が私を頼って来たんだから、少しだけでも答えないといけない。
それに、そこまで難しい問題じゃなかったから、説明することくらいは問題なく出来る。
「はい、これでいい?」
「うん、ありがと。……ほんと、どうやって勉強したら、そこまで頭がよくなったの?」
茜と友達になってから、いろいろなことがバレてしまった。
そのうちの一つに頭が良いことがあり、こうして質問に来ることが多々あった。別にそれは嫌ではないんだけど、こうして誰かに頼られると、肺のあたりがきゅっと縮む。
ただ、それでも茜は私の友達なんだ。だから、無下にすることなんて出来ないし、こうしてしっかり向き合っている。
友達との接し方なんて、私にはさっぱりわからないけど、わからないからこそ楽しめている部分も、ほんのちょっとだけあったから。
「継続的な勉強ってとこもあるけど、自覚することと、段階を踏むことも大切だよ」
「自覚と段階?」
「うん。まずは、自分が何を苦手としているのか、何が出来ないのかを理解する。そこから、苦手なことが出来るようになるまで小さな段階で刻んで、それに適応した努力を続けていくだけ」
時間なんて、大量に余っていた。だから、いろんなことを試せたし、その結果いろんな気付きもあった。
その気付きを得られることは楽しく、私の人生の中で唯一他人に迷惑を掛けない遊びだったと思う。それ以外の楽しさなんて、他人を煽ったり、嫌がらせをしている時くらいにしか感じられなかったんだから。
とはいえ、今までは、それを話す人なんていなかったから、ちょっとだけ虚しさも感じていたのだが。
「ま、簡単に言えば、小さな壁を作って、順番に攻略していくってことだよ。言い方が悪いけど、目標の無い努力なんて、努力と言えないほど効率が悪いんだから」
「そうなんだ、言われてみればそう言う所もあったかも。……あ、一応聞いておくけど、その目標の無い努力をしている人を煽ってたりしてないよね?」
「………………高校では無いよ」
茜の目が、感心から呆れに変わる。
ま、いいじゃんか。昔のことなんだし。それに、他人を煽ることは、気付き以上に楽しいことだったんだから。
「……なに?」
「いや、澪は澪だなって」
「なにそれ、意味わかんない」
茜はよく意味の分からないことを言う。
急に呆れたように笑って、面白そうにしていることがある。その気持ちは、私には全く理解できなくて、ずっと戸惑ってばかりだった。
「だってさ、澪って、こう……変に真面目なのに、変にひねくれてるっていうか」
「褒めてるの? 貶してるの?」
「だから、半分ずつだってば」
はぁ、ほんと意味がわからない。これ以上のことは聞かないでおこう。
「じゃ、寝ていい?」
「待ってよ、休み時間くらいは起きて話そ?」
「……眠いんだけど」
少しでも気を抜くと、瞼が落ちてしまうほど、私は眠かった。
なのに茜は、当然のように私の机の前から動こうとしない。
「夜、睡眠薬とか使わないの?」
「使っても、クソみたいな夢を見るから使わない」
「それは大変だね……。いっそのこと、毎日雪乃先輩に添い寝してもらったら?」
「何でそれを知ってるの!?」
隠していたことを茜が言い当てたせいで、眠気が一気に吹っ飛んでしまった。
夢の内容こそ話していないものの、友達になってから夜に寝れていないことを茜に話した。だから、こうして寝る方法を一緒に考えてくれたりもしているのだが、何故か雪乃先輩とのことまで踏み込んでくるとは思わなかった。
「え? 雪乃先輩が話してくれたよ。あ、夢の内容までは聞いて無いから安心して」
「……なんでばらしてんの、あの馬鹿女」
「こら、そんなこと言っちゃダメでしょ」
「……だって、勝手に言った雪乃先輩が悪いし」
いや、口止めをしていない私が悪いのかもしれないけど、あの日のことを勝手にばらしているとは思わなかった。
もちろん、不特定多数じゃなくて、友達の茜だけなんだろうけど……あの日のことを思い出すと、今でも頬が熱くなるほど思い出したくもない……恥ずかしい記憶なんだ。だから、いくら友達と言えど、勝手に話さないでほしかった。
(あのばか……)
あれ以来、私は雪乃先輩を家に入れていない。
それは、雪乃先輩が避けているわけではなく、私が全力で拒否しているだけなのだが、そのせいで夜は今までと同じようにずっと起きていて、安眠できた試しは無かった。
きっと、雪乃先輩がいてくれたら安眠が出来るんだろうなとは思う。でも、それは私の弱さを雪乃先輩に見せることでもあり、想像するだけで顔のあたりがじわっと熱くなる。
想像するだけでそうなるんだから、実際にされるとどうなるかなんてわかったもんじゃない。
「そんなこと言ったって、中間テスト、どうするの?」
「平均以上は取るから大丈夫。平常点は無いと思うから」
「はぁ、澪なら学年一位狙えると思うんだけどなぁ」
高校一年生、それも一学期中間のテストなんて、ニ十分もあれば平均以上は取れるでしょ。
解き終わった後は寝ればいいだけなんだから、授業よりはキツいものの、気にするくらいの厳しさは無い。……学年一位とかは、そんな称号が無いとアイデンティティを保てない可哀そうな人がとればいいだけだ。
「……何か失礼なこと考えてない?」
「ぜんぜーん。ほら、もう少しで授業始まるよ」
「何か誤魔化された気がする……。はぁ、また次の休み時間に話そっか」
「おやすみー」
茜が席に戻っていき、教室のざわめきが少しずつ薄れていく。黒板の前に先生が入ってきたのを合図に、チャイムが鳴った。
その音を聞いた瞬間、体の力がふっと抜けた。
(……もう無理)
ペンを持ったまま、机に突っ伏す。さっきまで茜に無理やり引き戻されていた意識が、糸が切れたみたいに沈んでいく。
先生の声が遠くで響いている。
何を言っているのかは聞こえているのに、意味として頭に入ってこない。
最後にそんなことを思いながら、意識がふっと途切れた。




