34話
「じゃ、頑張ってね。また、明日」
「はいはい、そっちも頑張りなよ」
終礼が終わり、風紀委員の仕事がある茜と別れる。
生徒会長の放送の後、罰が悪かったのかクラスメイト達が申し訳なさそうに、されど「そっちにも非はあるでしょ」とでも言いたげな視線を向けていて、クラスの中でさらに浮いてしまった。
それに茜を巻き込んでしまったことは申し訳なく思うけど、私に非なんて無いんだから、そこまで気にする必要は無い。
そう思おうとしても、胸の奥に残ったざらつきは消えなかった。
廊下には、帰り支度をする生徒たちの声が響いている。
笑い声や、部活の話や、今日の授業の愚痴。全部、私には関係のない音だった。
(……ほんと、面倒くさい)
こんな気持ちになるんなら、友達なんかにならなかったら良かった。
鞄を肩にかけて教室を出る。
誰とも目を合わせず、誰とも話さず、ただ歩く。
階段を降りる途中、背中に視線を感じた。
振り返らなくてもわかる嫌な視線。自分は悪くない、否定しなかったアイツが悪い、むしろ上手く隠しただけで、実際はやってたんじゃないの、とかでも思っているのだろう。
生徒会長のような善人がいても、アレが例外なだけで、人間の本質はこんなものだ。
「ま、いいや。だって、最初から期待してなかったんでしょ、私」
自分に言い聞かせるように、独り言を呟く。
その声は、階段の踊り場で吸い込まれるように消えていった。
期待していなかった。最初から、誰にも。そう思っていたはずなのに、胸の奥がじわりと痛む。
廊下に差し込んできた日光が影を作り、私の足元まで伸びてくる。
その影が、妙に細くて、頼りなく見えた。
(……何やってんだろ、私)
自分で自分に呆れるように、心の中で吐き捨てる。
誰にも期待していないと言いながら、ほんの少しでもわかってほしいなんて思っていた自分が、気持ち悪かった。
窓の外では、部活に向かう生徒たちが笑いながら走っていく。
その声が、遠くて、眩しくて、うるさかった。
「どうでもいいや、忘れよう」
どうせ、今から生徒会の仕事をしなくちゃならないんだ。
そっちに集中すれば、こんな気持ちなんて一瞬で忘れてしまうはず……そう思って、私は生徒会室の扉を開いた。
「あ、澪ちゃん。おつかれさま」
生徒会長が、生徒会室に入ってきた私を見て優しく微笑んでくる。
昼の放送のことを誇ることもなく、まるで何もなかったかのように、いつも通りの声で話しかけて来たんだ。
「……授業中は寝てるんで、つかれてませんけど」
(今日は上手く寝れなかったんだけどね……)
生徒会長と一緒に寝れたおかげなのか、今日の私は授業中に寝ることが出来なかった。
眠ろうとして目を瞑っても、睡魔が一向に襲ってこず、ただ無意味な時間だけが流れた。そのせいで、心の底から暇だと感じていたのだが、睡魔が襲ってこないという事実に、心のどこかで感謝していた自分もいた。
だから、どうやって生徒会長に接すればいいのかわからない。
すると――
「黒瀬」
茂木先輩が私に話しかけて来た。
「なんですか、茂木先輩」
眉を潜ませて、茂木先輩を睨む。
いつもなら、この先輩を煽って楽しむのだが、生徒会長のせいでそんな気持ちになれない。
茂木先輩は、私の反応を見て一瞬だけ眉をひそめた。いつものように噛みついてこない私に、違和感を覚えたのだろう。
でも、そんな表情はすぐに消えた。
「すまなかった」
「……え?」
茂木先輩が頭を下げる。
それは、予想もしていなかったことで、思わず目を丸くしてしまう。
「誤魔化してるんじゃないかと疑って、黒瀬に失礼な態度をしたと思う。本当に、申し訳なかった」
「え……きゅ、急にどうしたんですか? 変な物でも食べたんですか?」
意味ががわからない。茂木先輩が謝ってくるなんて……。
助けを求めるように生徒会長を見ると、あの人は優しく微笑んでいるだけで、私を助けようともしてこない。嘘つき、味方じゃないの?
「で、でも、普段の私の行動からして、その疑いは正当なものだったんじゃ……」
あれ? 何を言ってるんだろう、私。
茂木先輩のことをフォローするなんて。
「確かに、黒瀬は校則は破るし、遅刻はするし、性格は悪い」
「……喧嘩売ってます?」
「だが、それは噂を信じる根拠にならない」
茂木先輩は、まっすぐ私を見て言い切った。
その目に、揶揄も皮肉もなかった。ただの事実として、私の悪さを並べたうえで――それでも違う、と断言している。
胸の奥が、変なふうにざわついた。
期待なんて……していないはずなのに。
「絵理ちゃんはね、噂の真実を知って思い詰めてたんだよ。『黒瀬に悪いことをした』って」
「雪乃!?」
「許すも許さないも、澪ちゃんが決めていいけど、ちゃんと向き合ってあげてほしいな」
すると、生徒会長がそんなことを言ってきた。
友人である茂木先輩を助けながらも、選択する権利は私にあると。
「……はぁ、気にしないでいいですよ。私は気にしてませんから」
「だが――」
「それでも気になるのでしたら、二週間分の会計の仕事をやって下さい。その間、私は寝てますから」
「おまえな……いや、いい。私が悪いのだから、その程度の罰は受けいれよう」
茂木先輩は一度だけ眉を顰めたものの、しっかりと私の罰を受けいれて、引き下がった。
これで、二週間分の仕事が無くなった。さいこーだ、寝てしまう。
(……はぁ、つまらない)
もっと張り合いたかったのに、こんな結末になってしまうなんて、本当にあっけない。
これも、生徒会長のせいなのかな。安眠できたのも、噂が解消されたのも、茜が友達になったのも、茂木先輩が謝ってきたのも、全部生徒会長のせいなんだ。そうに決まってる。
「……生徒会長。いや、雪乃先輩」
「ん? どうかしたの?」
私は……生徒会長の近くに行き、小さな声で話しかける。
数メートルの距離ですら届かないほど小さい声なのに、雪乃先輩はそれを逃さなかった。
「その……あの……」
「待ってるからゆっくりしていいよ」
言葉にはしようと思っているんだけど、上手く口が動かない。
頬が熱くなってきたし、背中には汗がにじんできた。喉の奥がひりついて、声が出る直前で止まってしまう。
雪乃先輩は、私のそんな様子を見ても、表情ひとつ変えなかった。
ただ、静かに、落ち着いた目でこちらを見ている。
だから、私はそれを言葉にすることが出来たんだ。
「……ぁりがとうございました」
「え?」
「……夜のこととか、昼のこととか、ありがとうございました」
言った瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
言うつもりなんてなかったのに。こんな言葉、絶対に言いたくなかったのに。
雪乃先輩は、ほんの一瞬だけ目を瞬かせた。
「どういたしまして」
消えそうな声だったのに、雪乃先輩はしっかりと聞き取って、ちゃんと返してくる。
それが余計に胸の奥を温めてきて、思わず顔を背けてしまう。
視界の端で、雪乃先輩がふっと微笑んだのがわかった。
鬱陶しい。笑わないでよ。
「じゃ、生徒会の仕事を始めよっか」
雪乃先輩の一言で、空気があっさりといつもの日常に戻される。
さっきまで胸の奥をぐちゃぐちゃにかき乱してきた張本人が、何事もなかったかのように仕事モードへ切り替えるなんて。
(……ほんと、勝手なんだから)
嫌いだ、雪乃先輩のことなんて。
だって、そうじゃないと、この胸のざわつきが説明できないんだから。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
これで、一章が終わりとなります。
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