33話
「噂を放置してていいの?」
「どうせ飽きるよ、ああいう人達は」
昼休み、私と茜は校舎裏で弁当を食べていた。
友達になったからなのか、茜は敬語を使わなくなったし、怯えた様子もなくなって、思っていることを率直に言ってくるようになった。
もちろん、私以外には人見知りを発揮しているが。
「そんなものなの? 噂って」
「あれ? 茜は経験ないの?」
「……わたしは物とか悪口とかが基本だったから」
「へー、大変だったね」
悪口はともかく、いじめの手段が、私物の方にまで及んでいたのは、心の底から同情する。
噂や悪口は無視したらいいんだけど、私物の方は無視することが出来ない。筆記用具ならまだ何とかなるが、靴などを隠された場合は、それを避けることなんて出来ず、真っ向から向かい合うしかない。
それがしんどかったかなんて、想像するまでもない。
「ま、どうでもいいか。いじめのことなんて話してたら、ご飯が不味くなちゃうよ」
「それはそうだね。わたしも食べよう」
そうして、私達は弁当を食べていった。一人暮らし私だけでなく、ネグレクトを受けている茜もコンビニの弁当だった。
私と同じように、十分のお金は貰っているらしいのだが、コンビニの弁当ばっかり食べているのはどうなのかと思ってしまう。
それがブーメランとなって、私に帰ってくることなんて、百も承知していることだけど。
そうして、私達は中身のない雑談をしながら弁当を食べていった。
私の言葉は、どれも棘があって、客観的に見るとかなり酷いことも言っていたのだが、茜はそれを気にするそぶりも見せず、ただ柔らかく笑っていた。頭を診てもらったほうが良いと思う。
そんな時だった。
校舎のスピーカーが、突然キンッと小さく鳴った。昼休みのざわめきとは違う、機械の冷たい音。
それを聞いて、茜がびくっと肩を揺らす。
「……放送?」
「さあ。こんな時間に?」
次の瞬間、校舎全体に響くようなノイズが走り、スピーカーから聞きなれた声が聞こえた。
『あー、あー、聞こえますか?』
「生徒会長?」
スピーカーから聞こえたのは、生徒会長の声だった。
いつもの落ち着いた声より、ほんの少しだけ楽しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。
茜が不安そうに私を見る。
私は弁当の箸を止めたまま、ため息を飲み込んだ。
(……なんであの人が放送使ってんの)
一応、生徒会の仕事はすべて把握している。
だから、生徒会長がわざわざ放送するような仕事がないことなってわかっているし、生徒会長は家で放送を使うことを一度も示唆しなかった。
「何の要件なんだろう?」
「生徒会じゃなくて、二年生向けとかじゃない? 知らないけど」
そう言いながらも、胸の奥がざわつく。
けれど、そんな気持ちを気にせずに、スピーカーから、また生徒会長の声が落ちてきた。
『えー……お昼休み中に失礼します。ちょっとだけ、お知らせがあります。生徒会一年生、黒瀬 澪の噂についてです』
「――っ」
心臓が跳ねて、箸で持っていた唐揚げを落としてしまう。
落ちた唐揚げは地面をコロコロと転がっていき、土の上で止まった。
茜が息を呑む音が、やけに大きく聞こえる。
「……澪?」
呼ばれているのに、返事ができなかった。
喉がひりついて、呼吸が浅くなる。
今日、生徒会長は私よりも早く家から出ていた。
その時「ちょっとした用があるから」と言っていて、私は特に気にしなかった。
けれど、思い返せば、朝早くに家を出る必要がある生徒会の仕事なんて無い。
なのにそうしたってことは――
(まさか……)
脳裏にありえない可能性が思い浮かぶ。
あり得ない。だって、それについては、まだ生徒会長に離していないはずだ。
でも、それ以外の可能性が思い浮かばない。
(いや、待って……朝、生徒会長の方が早く起きてた。だから、やろうと思えば――)
私の家の中を、漁ることが出来るはずだ。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。呼吸が浅くなり、視界の端がじわりと滲む。
茜が心配そうに覗き込む。
「……澪? どうしたの……?」
答えられない。
喉がひりついて、声にならない。
その間にも、スピーカーからは淡々とした声が続いていた。
『私は、黒瀬さんが当時通っていた学校に連絡を取り、その噂が本当のことか、確認してきました』
(……やっぱりだ)
あり得ない。あり得ないはずなのに、頭の中で否定が弱々しく崩れていく。
朝、生徒会長は私より早く起きていた。家を出る必要のない時間に、わざわざ外へ出ていった。
そんなことをする必要なんて、そもそもないはずだ。
噂なんて、放っておけば、その内消えてしまうもの。そんな物のために、生徒会長がわざわざ動く必要なんてない。
なのに、あの人は私のために動いてくれたんだ。
『確かに、学校の器物が破壊されたことはあったそうです。ですが、それは黒瀬さんではなく、別の生徒が壊したと証明されており、黒瀬さんは壊れた器物の第一発見者だっただけです」
そんなこと、しなくてもよかったのに……。
『ですので、勝手な憶測で、デマを流さないでください。今時、インターネットなどでも問題になっているように、事実無根の噂は人を深く傷つけます。黒瀬さんに限らず、誰に対しても同じです。では、失礼します。昼食の邪魔をして、申し訳ございませんでした』
そうして、スピーカーがカチリと小さく鳴り、放送は途切れた。
校舎裏に、急に静けさが落ちる。風のせいで、木の葉が擦れる音が耳に届き、温かい日の光が身体に差し込んで来る。
けれど、私の心の中は、景色とまったく違っていた。
胸の奥が、ぎゅっと縮んだまま戻らない。
呼吸が浅くて、肺の奥まで空気が入っていかない。落ちた唐揚げが、砂の上で冷たく転がっているのが、やけに鮮明に見えた。
「……意味が分からないよ」
私の口から、小さな音が零れ落ちる。
それは、風でかき消されてしまいそうなほど弱く、頼りなかった。
でも、それは茜に届いてしまっていた。
「わたしは、雪乃先輩の気持ちがわかるなぁ」
「え?」
私が全く理解できていないのに、茜はソレに気付いている。
それが信じられなくて、思わず茜の顔を見た。
茜は、いつものように怯えているわけでも、無邪気に笑っているわけでもなかった。
ただ、少しだけ困ったように眉を下げて、私の目をまっすぐ見ていた。
「だって、澪の悪口を聞くと、腹が立っちゃうから。自覚してないかもしれないけど、澪のいいところってたくさんあるんだよ。だから、それを知らない人たちに、悪口なんて言わせたくないの。もちろん、悪いところもたくさんあるんだけどね」
茜はそこで、ふっと息をついた。
まるで、それ以上言うと私が壊れてしまうと分かっているみたいに、言葉をそっと置いた。
胸の奥が、またぎゅっと縮む。
褒められたわけでもないのに、否定されたわけでもないのに、どうしようもなく落ち着かない。
「……そういうの、言わなくていいよ」
ようやく絞り出した声は、ひどくかすれていた。
茜は首を横に振る。
「言いたいから言ってるだけだよ。澪がどう思うかは……澪の自由だから」
それ以上、茜は何も言わなかった。
ただ、私の隣に座ったまま、風に揺れる木の影をぼんやり見ていた。
昼休みの光は暖かいのに、私の胸の奥だけが、まだ冷たかった。




