23話
それは、突然だった。
「ねぇ知ってる? 生徒会の一年の話――」
(なんだ? 急に)
生活指導週間が終った次の日。学校に行くと、生徒たちが昇降口の前で固まって、ひそひそと声を潜めていた。
誰かが名前を出すたびに、周りがざわつく。
「中学校の時に、学校の器物を壊していたらしいよ。それも、一つ二つじゃなくて、たくさん」
「うわぁ、やっぱしそんな感じだったの? 前からそうだと思ってたよ」
「そんな奴が、生徒会に所属してるの? ホントに大丈夫?」
彼女たちは、まるで誰かの不幸を拾い集めるみたいに、声を潜めながらも楽しそうに話していた。
「しかもさ、壊した理由がムカついたからなんだって」
「やば……」
「関わりたくないよね、そういうの」
(しょうもない。よく、噂程度でここまで話せるね)
何故かわからないけど、人間という生き物は、真偽不明の噂という物が大好きらしい。
どこから手に入れたのかわからない中学の私に関する噂を、まるで自分が見てきたかのように語り合っている。
けど、それらの声は、私の心まで届かなかった。
ゴミみたいな噂など、中学の時に数えきれないほど浴びされてきた。だからこそ、その程度のことで私の心は揺らぐほど弱くなく、ただのノイズとしてしか認識できない。
(まぁ、生徒会や茜には迷惑がかかるかもしれないけどね……。いや、それを気にするのは、私らしくないか)
ただ、私個人は何とも思っていなくても、私の周りにいる生徒会のメンバーや茜にも変な噂が広がる可能性は否定できない。
でも、茜は私と関わる理由なんて無いんだから、私から離れればいいだけだし、生徒会は……普段の行動で見返せばいいだけだ。私が何かする必要なんて何処にもない。
「あっ……ねぇねぇ、昨日のドラマを見た?」
「み、見たよ。あの俳優の演技凄かったよね!」
「ほんと、カッコいいよねぇ」
噂について話していた生徒たちは、やっと私に気付いたのか、話題を急激に切り替えていた。
視線は靴箱の影や掲示板の方へ、逃げるように逸らされており、私と関わることは避けたいようだった。
(……そんなに関わりたくないのなら、最初から話さなきゃいいのに)
私は靴箱の扉を静かに閉め、何も聞こえなかったふりで歩き出した。
向こうからは何もしてこないのなら、私から何かをする必要なんてない。ああいう奴らは、一度関わってしまうと、ねちねちと嫌がらせしてきて、かなりめんどくさいことになるのだ。
そんなことになってしまったら、休み時間に安眠することが出来なくなってしまい、貴重な睡眠時間をさらに減らしてしまうだろう。
そうなるくらいなら、最初っから関わらない方が、時間的にも、体力的にもかなりマシであり、一番効率的なのだ。
「うわっ、アイツが来た。にげよにげよ」
「なんであんなやつがこの学校に来たの。退学になればいいのに」
だから、教室に着くまでに散々浴びされるノイズも、反応せずに受け流したんだ。
「く、黒瀬さん」
「なんで、茜は関わろうとしたの?」
昼休み、私はいつもの校舎裏で、茜と弁当を食べていた。
彼女は、私の噂に気付いても私から離れようとせず、むしろ距離を詰めるように、弁当箱を胸の前でぎゅっと抱えたまま、私の隣に座っていた。
ただ、こうなるまでに何もなかったわけではない。何しろ、茜が朝に噂について気付いた時……クラスのみんなに向かって、大声で叫んだんだ。
『み、みんな! 黒瀬さんはそういう人じゃ――』
『――っ。茜、こっちに来て!』
その時のことが、鮮明に脳裏に浮かび上がる。
彼女は、頼んでもいないのに、私の噂を解消しようとして、みんなの前で大声を出したんだ。そんなの、彼女の性格から見れば、苦手なことのはずなのに。
でも、そんなことをしてしまったら、今までの努力が無駄になってしまう。
他人の噂を好むような奴らは、それに水を差してくるような人間を嫌い、その人間が自分よりも弱そうな奴らなら、いじめという手段で排除しようとしてくるのだ。
そんなこと、茜も理解しているはずであり、私にはそこまでして救う価値が無いことだってわかっているはずだ。
「で、でも――」
「でもじゃない。私がわざわざいじめを解消してあげたのに、その努力を無駄にしたいの? それとも、茜はいじめられて興奮するタイプ?」
そんなことをして、私が喜ぶとでも思ったのか。無条件な優しさを受け取れるほど、私は出来た人間じゃないし、何よりそんなものを受け取るくらいなら死んだほうがマシだ。
「ち、ちがう……」
茜の目から涙がこぼれ、頬を伝って落ちていく。肩も小刻みに震え、弁当箱を抱える指先まで力が入らなくなっていた。
けれど、そんなことで私は茜に優しく接することはしない。当然だ、泣けば何でも解決するほど、この正解は甘くない。むしろ、涙を流してしまえば、そこをとことん突き詰められる。
(何が涙は血より重いだ。泣いたことで何か役に立ったことが一度でもあったか)
「わ、わたし……黒瀬さんが、困ってるの、いやで……」
「私は全く困ってない。勝手に決めつけないで。それとも、他人にいいことをして、気持ちよくなりたかったの? 傲慢だね」
今の茜を見ていると、はらわたが煮えくり返りそうになるほど熱くなってしまう。
その熱は、茜に向いているようで、実際にはどこにも行き場がなく、胸の奥でぐらぐらと渦を巻いていた。
「そ、それは……ごめん、なさい……」
「謝罪なんてこれっぽっちも価値が無いから。消えて」
「え……?」
「消えてって言ったのが聞こえなかったの?」
茜の呼吸が一瞬止まった。目を大きく見開いたまま、涙の粒だけがぽたりと落ちる。
弁当箱を抱える腕がさらに弱くなり、膝の上でかすかに揺れた。
声を出そうとしても喉が塞がっているのか、空気だけが震えて漏れる。
「……っ」
茜は立ち上がろうとした。でも、足に力が入らず、ほんの少しよろける。
けれど、私は手を貸さなかった。それを見ているだけで、心配するそぶりも見せず、かといって笑うわけでもない。ただただ、彼女がいつ目の前から消えるのか待っているだけであり、茜の影が昼の光の中で小さく揺れた。
「……ごめ、なさい……」
その言葉を最後に、茜は私の側から離れていった。私のことを振り返りもせず、出来るだけ早く足早に。
そうだ、それでいいんだ。目障りなんだから、視界から消えてくれ。
……
……
「……寝よ」
弁当を食べようとしたが、食欲が完全に消えていた。箸を持つ指先に力が入らず、弁当箱の蓋を閉める音だけがやけに大きく響く。
校舎裏のベンチに横になり、腕で目元を隠す。
昼の光がまぶた越しに滲んで、さっきの茜の涙が、なぜか頭の中から離れなかった。
(……うるさいな)
ちゅんちゅんちゅんちゅん、鳥のさえずりが私の心をさらに乱してくる。
普段なら、ただの音として流れていくはずなのに、今日はやけに耳に刺さった。
(……静かにしてよ)
腕で目元を押さえる力が、少しだけ強くなる。
光を遮っても、鳥の声は止まらない。さっきまでの茜の震えた声と混ざって、頭の中でぐちゃぐちゃに響く。
私は腕をどけ、空を見上げた。
雲ひとつない青空が広がっていて、その明るさが、妙に腹立たしかった。
(……ほんと、うるさい)
鳥の声も、風の音も、そして何より――頭の中に残り続ける、茜の涙が。




