19話
「これっていつ終わります? 授業始まりません?」
「うーん、わたしはそうなってもいいけど、黒瀬ちゃんは授業を受けなくても大丈夫なの?」
「どうせ寝るので大丈夫です」
「……二人とも、授業は真面目に受けてね」
あの後、私は事態に気づいた生徒会長に、生徒会室へと連れ去られていた。
そこには、担任の先生である笹見先生もいて、取り調べでも受けているように感じられた。
「受けなくてもわかるし」
「わたしは予習してるので」
「そう言うことを言ってるんじゃないし、花咲さんも乗らないで」
やれやれ、これだから先生は面白くないんだ。生徒が冗談を言っているのなら、それに乗ってくれないと。
とはいえ、ふざけられるのはこれまでかな。ここからは、真面目に話さないと。
「で、何のようですか? 早く教室に戻って寝たいんですけど」
「あのね……はぁ、今はいいや。本題に入るよ。あのいじめの写真について、知ってることを教えてくれない?」
私は椅子の背にもたれ、天井を一度だけ見上げた。
生徒会室の空気は、校庭のざわめきとは違って、やけに静かだった。
「黒瀬さん、ふざけないでね」
笹見先生の声は、いつもの明るさが抜け落ちていた。
それだけで、彼女がいじめという問題に、どれほど真剣に向き合っているのか理解できる。
「いじめって、何のことですかー」
「ふざけないでって、さっき言って――」
「わかってますよ、これのことですよね」
私は、ポケットからUSBメモリを取り出して、笹見先生に見せつけた。
「この中に、あの写真の加工前と、いじめていた生徒の音声データが入っています」
「なら、それを……」
「ただ、取引しませんか?」
笹見先生の表情が一瞬で固まった。
驚愕や困惑、さらには焦りのようなものまで、ありとあらゆる感情が一気に浮かんでは消えていく。
「……取引って、どういう意味?」
声は震えていないのに、言葉の端だけがわずかに揺れていた。
「そのままの意味ですよ。これを先生に渡す代わりに、少しだけ私の望みを叶えてほしいだけです」
もし、茜が生徒会の一員としての私に頼っていたら、こうしなかっただろう。
でも、現実は生徒会にいじめのことは何も言わずに、私だけに助けを求めた。つまり、これは黒瀬 澪という個人に対しての頼み事だ。だから、対価を求めたって良い。
「フェアじゃないと思うんですよね。カメラに音声、それに印刷まで私がしたんですよ。それなのに、私のメリットは楽しめるだけ、本当に割に合わない」
「割に合わないって……」
「それに、そこまで難しいことは頼みません。私の望みは、金髪とピアスの許可が欲しいだけです」
もちろん、許可が無くても、この格好を止めるつもりはない。
だが、許可さえあれば、いちいち注意されることも無くなるし、何より自分だけが許されているという優越感を感じることができる。
それに加えて、許可をするかどうかという先生の、葛藤すらも眺めることができるのなら、それこそこの交渉をしない理由なんて無くなったしまう。
「そんなふざけたこと、許可するわけないでしょ!」
「えー、先生はいじめていた生徒を野放しにするんですかぁ?」
「そんなわけないでしょ! さっさとそのデータを渡して!」
なるほど、笹見先生は取引に応じず、このUSBメモリだけを奪おうとしているのか。
あり得ないほど強欲だね、社会というものを舐めすぎだよ。
「校則の中で、これを渡すことを強制するものはなかったはずですけど」
「これは校則とかじゃなくて、常識なの。わかるでしょ」
「へー、常識なんですね。知りませんでした」
校則じゃなくて常識なのか。なら、それに強制力は無いよね。校則はルールだけど、常識はたたの通念なのだから。
それに、先生は一つ、勘違いをしている。
「せんせー、いつまでも生徒よりも上だとは思わない方がいいですよ」
「何を言って……まさかっ」
いじめの証拠となるデータが入っているUSBメモリを両手で持つ。
そして、その左右から力を込めて、物理的に壊そうとする。
「あ、言い忘れていましたけど、データはこのUSBメモリにしか入っていないんで」
「待って! もうちょっと話し合おうよ! ほら、雪乃ちゃんも何か言って!」
笹見先生が、おとなしく私たちのやりとりを見ていた生徒会長に話を振った。
こうなることを予想していたのか、生徒会長は驚いた様子を見せず、静かに口を開いた。
「わたしは、黒瀬ちゃんの取引に応じるべきだと思いますよ」
「えっ……」
「金髪などを許可しても、誰も危害を与えられることはありませんが、いじめの方はより酷くなる可能性がありますので」
生徒会長は、何故か私の味方をし、笹見先生の方へ向き直った。
その横顔は、いつもの柔らかさを残しつつも、どこか冷静な線が一本通っていた。
「で、でも、校則なんだし、花咲さんも何か言ってよ」
「黒瀬ちゃん、そのUSB渡してくれない?」
「無理です」
「とういうことなので、わたしは力になれません」
どうやら、生徒会長は私の性格のことをきちんと理解していて、この取引に応じないとUSBが手に入らないことを分かっているらしい。
その証拠に、生徒会長は笹見先生の方へ向き直り、淡々と告げた。
「……手伝ってくれない?」
「手伝いたいのは思っていますけど、わたしでは力になれないので」
「せいとかいちょーも出来ないことってあるんですね」
「人間、一人で出来ることなんて、微々たるものなんだから、わたしだって出来たいことだらけだよ」
その言葉は、慰めでも謙遜でもなかった。
ただの事実として言っている。だからこそ、笹見先生の焦りが際立つ。
「で、でも……校則が……」
「このままだと、証拠がなくなりますよー」
「わかった、わかったから、それを渡してくれない!?」
「はいどーぞ、よくできましたね」
やっと折れた笹見先生に、いじめの証拠が入っているUSBメモリを渡す。
先生は震える指でそれを受け取り、まるで爆発物でも扱うように慎重に握りしめた。
「……これ、本当に……全部、入ってるのよね?」
「もちろん。加工前の写真と、音声データ。あ、でも壊したら二度と手に入りませんよ。バックアップは無いので」
「ひっ……!」
笹見先生の肩がびくりと跳ねた。
その反応があまりにも分かりやすくて、私は思わず笑いそうになる。
「あ、そうそう『わかった、わかったから、それを渡してくれない!?』ほら、先生の音声も取っていますから、責任は先生がとってくださいね」
「うぅ、よかったのかなぁ? これで……」
「ま、まぁ、わたしに出来ることがあれば、何でもしますから」
生徒会長が笹見先生を励ましているが、そうしたところでしばらくの間は落ち着けそうにない。
「教室に戻っていいですか?」
「……いいよ」
「わかりました。では、さよなら」
椅子から立ち上がり、生徒会室から出ようとする。
ただ、一瞬だけ疑問が浮かんできて、つい問いかけてしまった。
「生徒会長」
「なに? 黒瀬ちゃん」
「なんで、私よりだったんですか?」
私の予想では、生徒会長は先生の味方をすると思っていた。
なのに、実際の行動は、私の味方。驚愕、までとはいかなかったけど、少しだけ驚いてしまったのは確かだった。
「黒瀬ちゃんの味方になった理由?」
「……はい」
「簡単なことだよ。理由のない善意が出来る人も凄いと思うけど、理由のある善意しか出来ない人も尊敬できるし、手伝いたいなって思えるからね」
「……ちっ」
聞かなきゃ良かった。こんなこと。
私は足早に生徒会室の扉へ向かった。背中に雪乃の気配を感じたけれど、振り返らなかった。
扉を開けて廊下に出た瞬間、胸の奥に残ったざらつきだけが、しつこくついてきた。
(だから、嫌いなんだよ。生徒会長のような人は)
私はそのまま、何も考えないふりをして歩き出した。




