16話
「アンタ、何なの?」
昼休み、誰もいない屋上で、私は茜をいじめている連中に呼び出されていた。
もちろん、カメラが見つかったからではない。ただ、いつもは授業中も休み時間も寝ている私が、ある日突然、茜と一緒に休み時間を過ごし始めたことで、彼女たちが茜をいじめるチャンスを潰していたからだ。
ここにいるのは、五人のクラスメイト達。今日、学校を休んでいる人はいなかったから、きっとこの五人が茜のことをいじめているのだろう。
「黒瀬 澪、生徒会の会計。知ってると思ってたけど、知らなかったんだ。記憶力、無いんだね」
「そういうことじゃないんだけど」
奥にいた一人が、苛立ったように声を上げる。
「最近さ、楠木とずっと一緒にいるじゃん。昼休みも、放課後も。邪魔だから、さっさと消えてくれない?」
(いじめって、そこまでの熱量を持ってやるような物なのかな?)
そんな疑問を胸の中に押し込んで、私は冷めた目で彼女たちを見渡した。
彼女たちは、群れたことによって自信を得ているようで、私に対して大口を叩くことが出来ているのだ。
(それ、ほんと面白いなぁ)
けれど、私にとっては、それはご褒美に近かった。
群れることでしか強くなれない人間が、自分より弱い誰かを囲んで声を荒げる――その構図が、どうしようもなく滑稽で、どうしようもなく、私の好みに刺さる。
五人の視線が、私ひとりに向けられている。怒りと焦りと、わずかな不安が混ざった目。
その全部が、風よりも先に肌に触れた。
「で? 邪魔って、具体的に何のこと?」
「言われなくても分かるでしょ!」
「ごめんねぇ。頭が悪いから、全く分からないやぁ」
ほんと、言葉にしてくれないとわからないよ。
親友でも、恋人でも、家族でも、言葉なしで通じ合うことなんて出来ない。
なのに、私と彼女たちが話すのは今日が初めて。言葉なしで意志を伝え合うなんて、できるはずがない。
彼女たちは、群れたことで自信を得ているようで、その自信が、薄い膜みたいに張りつめているのがわかった。
触れればすぐ破れそうな、軽い強がり。人間って、本当に愚かだね。まぁ、それがいいんだけど。
「ふざけないでよ! 次は、アンタを標的にしたって良いんだよ!」
「ごめんごめん。でもさ、君たちが茜をいじめていることを、生徒会に報告もしてないし、先生にも言ってないけど。これ、どういう意味かわかってる?」
一瞬、空気が固まる。
「……脅してるわけ?」
「いいや。事実を言ってるだけ」
五人のうちの一人が、明らかに焦りの色を見せた。いじめを先生に報告すれば、どうなるのかなんて、ちゃんと理解しているのだろう。
そして、この脅しがある以上、彼女たちは、私に危害を加えることが出来ない。
まぁ、いじめを見て見ぬふりをする先生は、この世に存在するし、ちゃんとこの目で見て来たんだけどね。
「別にさ」
私は続ける。
「今まで通りにしてればいいじゃん。私が茜と一緒にいるだけで困るなら、それはそっちの問題でしょ。私を巻き込まないでくれない?」
とはいえ、いじめが起きた時に、先生がちゃんと動いてくれるかは五分五分と言ったところ。
だからこそ、これからの立ち回りで、茜がどうなるのか決まってしまう。
(……まあ、私がいる限り、簡単には触れさせないけど)
胸の奥で、ゆっくりと熱が広がる。
風よりも冷たい視線を向けているのに、内側だけが静かに温度を上げていく。
「アンタ、何が目的なわけ?」
「めんどくさいことに関わりたくないだけだよ」
私は両手をポケットに入れたまま、肩をすくめた。
その仕草だけで、五人のうち二人がわずかに身じろぎする。
「ほら、茜の側にいるだけで、彼女はいじめられることを私以外に言わずに済むでしょ。生徒会で面倒な仕事が増えることもなくなるし」
五人の表情が一瞬で揺れた。
怒りとも、焦りとも、理解ともつかないその揺れが、また胸の奥をぞくりと撫でていく。
「だから、私にとっても都合がいいの。君たちがどう思おうと、関係ないけどね」
風が金網を揺らした。
誰も言い返さない。誰も前に出てこない。
不気味な沈黙が、私たちを包んでいく。
「で、どうするの? これからも、茜のことをいじめるの?」
その言葉に、五人の顔が一瞬だけ強張った。
けれど、それは罪悪感ではない。面倒なことになりそうという種類の反応。
「……いじめって言い方、やめてくれない?」
ひとりが眉をひそめて言った。その声には、悪びれた色なんてひとつもない。
「そうそう。あの子が勝手に落ち込んでるだけでしょ。私たち、別に悪いことしてないし」
「むしろ、あの子が空気読めないのが悪いんじゃん」
「風紀委員になったからって、でかい顔をしているのが悪いんでしょ」
言葉が次々に出てくる。
誰も止めない。誰もこれはまずいと思っていない。
(……うん、そういうのを待ってた)
私はポケットの中のスマホに軽く指を触れた。
画面は暗いまま。けれど、必要なものはすでにそこにある。
「へぇ。いじめてないんだ?」
「してないよ。だって、あの子が調子に乗ってるから、ちょっと言ってるだけでしょ」
「そうそう。注意してあげてるだけ。むしろ感謝してほしいくらいだし」
「靴箱にゴミを入れたり、私物を盗むのも?」
「そうだよ。だって、言葉で言っても理解してなかったんだから」
(ほんと、いじめる側の心理ってこんな感じなんだよね)
先生や世間の目に触れると、不味いことになるということは理解している。
けれど、その原因は、すべていじめられている側にあり、自分たちに非は存在しないと、本気で思っているんだ。
けれど、人間ってのはこういう生き物なんだ。本質はどうしようもなく身勝手で、自分の都合のいいように世界を塗り替える。
五人の顔には、罪悪感なんてひとかけらもなかった。
あるのはただ自分たちは正しいという、薄っぺらい確信だけ。人間のそういう所は、本当に愛おしいと思えるよ。
「そっか、これからも続けるつもりなの? さらに良くするつもり?」
「うん。だって、あの子ほんとに分かってないし。ちょっとくらい強めに言わないと、また同じことするし」
「そうそう。あの子のためにもなるんだって。私たちが言わなかったら、誰が言うの?」
「むしろ、最近はちょっと甘かったかもね。もっとちゃんとしないと」
(これで、十分……かな)
五人の言葉を終わったのを見て、私は階段の方へと歩き始めた。
「もう、私に用はないでしょ。またね」
五人は、私のことを止めない。彼女たちから見れば、私なんて関わる価値もない人物であり、害を与えてこないのなら、関わるだけ無駄な人物だったからだ。
しかも、放っておいたら何もしないにも関わらず、少しでも嫌がらせをすれば、生徒会の力を使う可能性があると言う地雷っぷり。人間は、自分よりも弱い人間にしかいじめをしないのだから、彼女たちが私に手出しをしないのは当然のことだったのだ。
別に、それが悪いことだと言うつもりはない。勝てる相手にしか戦わない。これは立派な生存戦略の一つだからだ。
でもね、それをするならば、相手の力量はちゃんと見たほうが良いと思うよ。
「良いのゲットっと」
五人の前から姿を消し、階段を下りている最中、私は自分のスマホを少しばかり操作して、とある音声ファイルを開く。
すると――
『へぇ。いじめてないんだ?』
『してないよ。だって、あの子が調子に乗ってるから、ちょっと言ってるだけでしょ』
『そうそう。注意してあげてるだけ。むしろ感謝してほしいくらいだし』
『靴箱にゴミを入れたり、私物を盗むのも?』
『そうだよ。だって、言葉で言っても理解してなかったんだから』
スマホから無機質な声が流れ出す。
それらの声は、屋上の風よりも冷たく、けれど、妙に生々しい。
(この音声、どうやって使おうかなぁ?)
そう思うと、胸の奥の熱が、またゆっくりと広がった。
別に、今すぐ何かをするつもりはない。脅す気も、追い詰める気も、正義を振りかざす気もない。
ただ――彼女たちが自分で口にした言葉が、こうして形になって残っているという事実だけで、十分だった。
私はスマホの画面を閉じ、ポケットに戻した。
周りには、誰もいなくて、この音声を聞いたのは私だけ。
「さて、と」
私は制服の裾を軽く払って、軽い足取りで廊下を歩く。昼休みの終わりを告げるチャイムが、校舎のどこかで鳴り始める。
(使うかどうかは……その時になってからでいいや)
決めつける必要なんてない。
選択肢があるという事実だけで十分だった。
私は階段を降りながら、ポケットの中のスマホの重さを、指先で確かめた。
(茜の顔、どんなふううに変わるのかな?)
その小さな興味だけを胸に、私は静かに教室へと戻って行く。




