14話
「で、どうしたいの? 時間は有限なんだから、さっさと言ってよ」
「うぅ……どうして、こんなことに……」
「さぁ? 運が良かったからじゃない?」
茜が目に涙を浮かべながら見上げてくるが、そんなことは気にしない。
自己犠牲をする生物がいないように、人間は自分の欲望に忠実であるべきなんだ。
「わ、わたしは……いじめが無くなったら、それで……」
「そっか、なら退学させるために証拠を集めないとね。大丈夫、安心して。無かったら捏造するだけだから」
「ま、待って!」
私が、本気でそんなことを言うと、茜が大声を出して止めて来た。
茜は優しいね。いじめてくる奴らに、情けを掛けるなんて、私なら絶対にしないことだよ。……まぁ、誰かを退学にさせるのは、想像できないほど大変なのだろうから、そうする必要が無くなったのはありがたい。
(でも、それはそれで大変なんだよね)
退学させずにいじめを無くす。これは、本当に大変なことなんだ。
ちょっとでも隙を見せると、彼女たちは自分たちが被害者のようなふりをして、周囲を味方につける。かといって、それをされないように、弱めの仕返しをしたら、いじめが酷くなるだけで何も改善されない。
この調整は、私でも完璧に出来るとは言えない。
でも、茜がそうしたいって言うんだったら、仕方がないよね。
「じゃあ、どうしたいの? 具体的に言ってね」
「う、うん」
だが、返答はすぐに返って来なかった。茜は、うつむいて、手を膝の上でぎゅっと握りしめたまま動かない。
喉が上下する。
息を吸おうとして、うまく吸えずに、ひゅっと細い音が漏れた。
「わ、たし……は……」
言葉の形になりかけて、すぐに崩れる。まつげが震え、視線は地面に縫い付けられたまま。
風が吹き、低木の影が揺れた。その揺れに合わせて、茜の肩が小さく揺れる。
「言ってごらん」
私は急かすでもなく、優しくするでもなく、ただ淡々と促した。
「仕返し、とかじゃなくて……」
「うん」
「あの人たちと、関わりたくない」
涙ぐんだ声であっても、決して大きな声と言えなかったとしても、その茜の言葉は、強い拒絶が含まれていた。
「へぇ」
私は、ほんの少しだけ目を細めた。
驚いたわけでも、感心したわけでもない。ただ、茜の口から出た拒絶という本音を、興味深く眺めただけ。
「いいじゃん。なら、契約成立かな。君の望み、叶えてあげる」
そうして、私は茜の共犯者になった。
もちろん、茜は率先して仕返しをしようとしているわけではない。でも、関わりたくないという願いを叶えるのには、それしか方法が無いんだ。
それに、仕返しっていうのは、本当に好みのものだから、手伝う対価として、ちょっとくらい味わってもよくない?
その罰は、私が全部背負えばいいだけなんだから。
「じゃ、明日から一緒にしようか。いじめる人たちが、もう二度と茜と関わりたくないと思えるように」
「……と言うことがあっただけです」
日が暮れて、人けのない帰宅路の公園で、私は今日起きたことを説明していた。
アンケートに書かれていたこと、茜のいじめ、そして……その解決方法まで全部。
それは、説明しないとフェアじゃないと思ったからだ。
「そっか、黒瀬ちゃんはその解決策を選んだんだね」
生徒会長は、私の隣でベンチに腰掛けていた。
街灯の光がまだ完全には届かない位置で、彼女の横顔は薄暗い影の中に沈んでいる。
人の気配がほとんどない帰宅路の公園。
風が通るたび、木々の葉がかすかに揺れ、その音だけが静かに響いていた。
「はい。その方が、好みだったんで」
「わざわざ教えてくれて、ありがとうね」
「……あの時、助けてくれたので」
茜のアンケートを見た後、私は生徒会室から出て行こうとした。
それは本来なら許されない行動のはずだ。当然、茂木先輩や遠藤先輩に止められたし、桃井や大江もいい顔をしていなかった。
けれど、そんな時に生徒会長は、私が外に出ようとしていることを、理由も聞かずに許してくれたのだ。
だからこそ、私は茜のところに行くことが出来たし、あの約束をすることが出来た。そのことを考えれば、生徒会長には理由と結果を報告するのは当然のことだろう。
そうでもしないと、恩をあだで返すことになってしまう。
「では、お疲れ様です」
でも、こんなことをするのは、私らしくない。だから、すぐに話を断ち切って、ベンチから立ち上がった。
けれど――
「ちょっと待って。もう少し話そうよ」
生徒会長は、私のことを止めて来た。
「なんでですか? 話すべきことは話しました」
「もうちょっと話したかったから。黒瀬ちゃんは、好みだからって言ってたけど、好みを優先する理由を教えてくれない?」
生徒会長の声は、責めるでもなく、探るでもなく、ただ静かだった。その静けさが、夜の空気と混ざって、妙に逃げ場を奪ってくる。
私は、立ち上がった姿勢のまま、しばらく動けなかった。
好み。
軽く言ったつもりの言葉が、思った以上に重く響いている。
「……別に、深い理由なんてありませんよ」
そう言ってみても、声の奥にわずかな揺れが残った。
自分でも気づくくらいの、小さな揺れ。
「そうかな?」
「ええ……無償の善意なんて、裏切られるだけですから」
私が好みを優先する理由なんて、それしかない。
私は茜を手伝う、茜は私に『楽しさ』を提供する。それで十分だし、それ以上を求めるつもりもない。
「そっか」
生徒会長は、少しだけ目を細めた。
街灯の光が届かない位置にいるせいで表情は読めないのに、その沈黙だけが、妙に胸の奥に引っかかった。
「黒瀬ちゃんは、そう思うんだね」
「当たり前でしょう。それとも、善意は回り巡って自分のためになるとでも、本気で思っているんですか? それなら、失望しました。生徒会長がそんな考えの人だったとは、思っていませんでしたよ」
ここは、譲れない一線だ。
この線を越えられるのは、私自身だけで、他の誰にも触れさせるつもりはない。
生徒会長は、しばらく黙っていた。
夜風が吹き、木々の影が揺れる。その揺れに合わせて、彼女の髪がかすかに揺れた。
「ごめんね、今の言葉が黒瀬ちゃんを傷つけたのなら謝るよ。けどね、わたしは善意が巡るとか気にしてないんだよ」
「……じゃあ、人間は良いことをする生き物だって思ってるんですか? その幻想に溺れながら死んでください」
「ううん、そうじゃない。善意って、結局は自己満足なんだ。わたしだって、他人に良く接しているのは、ただの自己満足。でも、それでいいんだよ」
その言葉は、夜の空気みたいに静かで、どこにも棘がなかった。
だからこそ、胸の奥にじわりと広がる違和感が消えなかった。
「だからね、そこまで無償の善意に怯えなくていいと思うよ。そんなの、不自由でしょ」
息が詰まり、心臓が止まったかのような錯覚を覚える、。
生徒会長の言葉は、胸の奥に触れてはいけない場所を、的確に撫でていった。
不自由? そんなわけない! 私は今、自由なんだから!
「それで、茜ちゃんの件だけど、わ――」
「うるさい! 私は帰ります!」
声が出た瞬間、自分でも驚くほど大きく響いた。夜の静けさを乱すような音だった。
足早に、人けのない公園を去っていく。
砂利を踏む音が、やけに大きく耳に残った。
背中に視線を感じた。
けれど、生徒会長は追ってこなかった。呼び止める声も、足音もない。
ただ、あの薄暗いベンチに座ったまま、私の背中を静かに見送っている気配だけがあった。
その沈黙が、胸の奥に刺さったまま抜けなかった。




