11話
「何の用ですか? 生徒会長」
「偶然、黒瀬ちゃんを見かけてね。ちょっと話したいなって思っただけだよ」
「生徒会長も嘘を吐くんですね」
こんな人気の少ない場所で、偶然見かけたなんてあり得ない。
この人のことだ。偶然、私を見かけたのは本当のことなんだろうけど、それは校舎の話で、ここまでストーキングしてきたに違いない。
だから、茜との話は、きっと聞かれてしまっているだろう。
「で、要件は何ですか。寝たいんですけど」
「ここで寝たら授業に遅れちゃうよ」
「いいじゃないですか、どうせ授業中も寝るんですから」
私がそう言うと、生徒会長は優しく微笑んだ。
何か面白いことでも言っただろうか? この人の笑いのツボが、まったくわからない。
「あの子、友達なの?」
「いいえ、私に友達なんていませんし、いりませんから」
私がそう言うと、生徒会長はまた微笑んだ。
さっきよりも、ほんの少しだけ柔らかい笑み。けれど、その柔らかさが逆に不気味だ。
「そっか。黒瀬ちゃんらしいね」
「らしいって何ですか」
「ふふっ、何でもない」
こんなつまらない話をするために、生徒会長はここに来たのだろうか?
いいや、そんなわけはないだろう。この人がここに居るってことは、先ほどの会話を確実に聞かれているし、それを止めに来るはずだ。
私は、生徒会長の笑みが消える瞬間を待つように、ゆっくりと顔を向けた。
「……生徒会長」
呼んだだけなのに、会長のまつげがわずかに揺れた。
その反応を確認してから、私は言葉を落とす。
「さっきの話、聞いてましたよね」
会長の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
止まったことを隠すように、すぐに柔らかい形に戻る。
「どうしてそう思うの?」
「理由なんて、いりませんよ」
私は、会長の目をまっすぐ見た。
視線を逸らす気はない。そのまま、静かに距離を詰める。
「ここに来た時点で、答えは出てますから」
「……やっぱり、わたしは隠し事が下手だなぁ。あの子、いじめられているの?」
先ほどまでの柔らかい笑みとは違う形が、会長の口元に浮かんだ。
笑っているのに、目元の動きがさっきと違う。まぶたの開き方も、声の調子も、どこか別の話に入ったような空気をまとっている。
私は返事をしなかった。
会長の言葉の続きを待つためではなく、この人が次に何を言うのかを見極めるために。
「そっか。はぁ、まだ高校三日目なのに、こんなことになるなんてね」
「……私を、責めないんですか?」
てっきり、私を責めるのかと思っていた。
先生や先輩に頼らず、いじめられている側の反撃を推奨するようなことをしたのだから。
けれど、生徒会長は首を横に振らなかった。
肯定も否定もせず、ただ、少しだけ視線を落とした。
「黒瀬ちゃんは、それが一番いいと思ったんだよね。それなら、責めるわけにはいかないよ」
「……」
少しだけ、目を逸らしてしまう。ほんの一瞬。すぐに戻したが、その一瞬のずれは隠しきれない。
確かに、私はこの方法が一番いいと思っている。けれど、それと同時に――この方法は私好みの方法でもあった。
だから、楽しむために推奨した、と言われても否定はできない。
罪悪感があるわけではない。
ただ、胸の奥に置いていた小さな箱の蓋を、誰かに指で軽く触れられたような感覚だけが残った。
「いじめの対処法なんて、正解は無いんだ。だから、わたしの意見と、黒瀬ちゃんの意見が食い違っていても、おかしくはないよ」
「……」
「ただ、わかるのは、黒瀬ちゃんがあの子に寄り添っていただけ。どんな方法であれ、その気持ちだけは本物でしょ」
綺麗ごとだ、綺麗ごとすぎる。私は返事をしなかった。生徒会長がいない方へと目を逸らし、そっと目を閉じる。
生徒会長は、私の沈黙を否定もしないし、埋めようともしない。ただ、私の隣でずっと座っていた。
すると、チャイムの音が、学校中に鳴り響いた。
「遅れますよ、授業に」
「黒瀬ちゃんも遅れちゃうよ」
「私はいいんですよ。でも、生徒会長は……」
「わたしは悪い子だから、遅れていいの」
「……不良ですね。新聞部に言えば、『生徒会長は不良だった!』って記事がばら撒かれますよ」
私がそう言うと、生徒会長は音を立てて笑い始めた。
ほんと、意味がわからない。笑うところなんて、どこにもないのに。
「そしたら教えてくれる? 不良のなり方を」
「いいですよ、生徒会長が不良になりたいなら、いつでも言ってください。紙の染め方を教えますから」
それからは、お互いに無言だった。
寝るわけでもなく、何かするわけでもない。授業をサボりながら、ただずっと校舎裏のつまらない景色を眺めていたのだ。
風が吹けば、草が揺れる。
雲が流れれば、影が動く。ただ、それだけの場所。
でも、確かに私達は同じ場所を見ていた。
「黒瀬ちゃんは、この景色が好き?」
すると、生徒会長が口を開いた。
「わたしは好きだよ。自然が身近に感じられて、心が落ち着くからね」
「それなら、私は嫌いです。動きが緩慢すぎて、逆に急き立てられるような気になりますから。こんな景色を見るくらいなら、工業地帯の汚染された景色を見る方が好きですね」
意味のない、空っぽの会話を続けていく。
わざわざ授業をサボってまでする会話ではないと思うけれど、私達は悪い子だから、仕方がない。
「黒瀬ちゃんらしいね」
「らしい、ですか」
「うん。綺麗なものより、正直なものが好きなんだなって」
生徒会長はまた前を向いた。
草が揺れ、影が伸びる。さっきと同じ景色が、さっきと同じ速度で動いている。
私は、その景色から目を離し、会長の横顔を見た。
「……生徒会長」
「ん?」
「さっきの話ですけど」
生徒会長も、景色から目を離し、私の目をじっと見つめる。
恥ずかしくなるほど、真っすぐに私の目を見つめてきて、少しだけ身体がむずむずする。
「生徒会長なら、どうしたんですか?」
出会った日なら、いじめる側を注意して終わりだと予想していただろう。
でも、この数日で、生徒会長は、綺麗ごとだけではなく、悪意のことも理解しているように見えた。だからこそ、この人がいじめに対して、どのように接するのか、興味がそそられてしまったんだ。
生徒会長は、私の質問を聞いて、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
けれど、落とした視線はすぐに戻る。再び目が合った時には、彼女の眼の中に、揺れは存在しなかった。
「わたしなら、一緒にいるかな」
「一緒に、ですか?」
私がそう返すと、生徒会長は微笑みながら頷いた。
「うん、そばにいるってこと。注意するだけじゃ、いじめなんてやめされられないからね。せめて、わたしが常に一緒にいることで、それを防ぐことが出来ないかなって。……あ、もちろん、教師とかにも話すよ。証拠もしっかりとって、推薦や退学をちらつかせたりもしないと駄目だし」
「……お花畑かと思ってましたけど、現実的な部分もあるんですね」
私がそう言うと、生徒会長は一度だけ瞬きをした。驚いたのか、否定したのか、そのどちらにも見えない。
でも、すぐに見慣れた笑顔に変わって、口を開いた。
「確かに、そうかもね。綺麗なだけじゃ、どうにもならないこともあるし」
「……それがわかっているのに、優しさを保てていることが嫌いです」
「そっか。でも、わたしは悪い子なんだけどね」
私は返事をしなかった。返事をしないまま、前を向いた。
さっきと同じ景色。
でも、さっきよりも静かだった。
「そろそろ戻ろうか。サボりすぎると、内申に響いちゃうしね」
私は立ち上がらず、会長の背中を見上げた。
生徒会長は振り返らない。振り返らないまま、ただ言葉だけを落とした。
「黒瀬ちゃん。また一緒にサボろうね」
その声は軽くて、風に混じって消えそうだった。
私は何も言わなかった。何も言わないまま、揺れる草だけを見ていた。




