第5話 おまじないの専門家
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市場の真ん中、マルーシャは腕組みし林檎を見つめた。
これとポロ葱で豚肉を煮込んだら。
「いけるわ……!」
確信を持ってうなずく。
おいしくなるはず。奮発して肉も買おう!
「おやおやマルーシャ、気合入れちゃって」
アッハッハと笑う果物売りのおばさんは顔見知り。というか、市場の人は全員がマルーシャの保護者のようなものだった。頼りないクリフトに業を煮やした近所の皆さんが、マルーシャを総出で見守り育ててくれたのだ。
「今日は父さんの時計が納品だから、ごちそうにしようかなって」
あと、できればダニールたちにも振る舞いたい。これから旅に出て世話になるかもしれないし。
「――お母さまぁー!!」
遠くで聞こえたはずむような声にマルーシャが振り向くと、走ってきたミュシカに飛びつかれた。
「ミュシカ! どうしたの?」
「おさんぽしてる!」
元気に答える後ろからダニールがせかせかと来た。少し怒った顔だ。それを市場の人々は意味深な視線でザワザワと見守った。
あのマルーシャを「お母さま」と呼ぶ、愛くるしい幼女。
上等な服を着た、不機嫌そうだが見てくれのいい男。
――これは事件だ!
「こら、ひとりで走らない約束だったろう、ミュシカ?」
「ごめんなさい、お父さま。でもお母さま、みつけたから!」
その言葉にワッと歓声が上がった。マルーシャはこの男の後妻に入るのだと誰もが思ったのだ。
相手が子持ちの再婚なのは、やや引っかかる。だがどうやら金持ちっぽいし、まだ若いのだから悪くはない。
父親は謹厳実直に見えるが娘は愛嬌たっぷり。ならば実は愛情深い男なのだろう。娘がマルーシャにべったり懐いているのも好印象だった。きっと仲の良い家族になれるはず。
「なんだいマルーシャ、そんなことになってたなら教えてくれなきゃ!」
「よかったなあ、幸せになれよ!」
口々に祝福されて、マルーシャとダニールは周囲の誤解に青ざめた。
そう思われるのも無理はないけど、二人はそんなんじゃない!
「あの、あのね、違うのよ」
「お母さま、ちがうって? しあわせじゃないの?」
どう言い訳したものか口ごもると、ミュシカに不安げにされた。それでますます皆がはやし立てる。
「なんて可愛いお嬢ちゃんだろ」
「そうだよな、これが幸せじゃなかったらなんなんだい」
「うん! わたしお母さまだいすき!」
満面の笑みで言い切るミュシカを否定するわけにもいかなくて、マルーシャは悩んだ。アワアワとダニールに視線をやると、市場にあふれる祝福の圧力に目を点にし動きを停めていて――どうして? この人、研究とか使者の仕事とかはできるのに!
諦めを感じ、マルーシャは仕方なく宣言した。
「私、結婚するわけじゃないから!」
「そんなぁ! お母さまになってよう!」
悲しそうにすがりつくミュシカをよいしょと抱き上げる。近くなった顔は愛くるしくて、思わず頬ずりした。
「もちろんミュシカのこと大好きだし、お母さまの代わりをするのはいいのよ。そのお話も、おうちでしましょうね?」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
マルーシャに優しくうなずかれて、やっと安心したらしい。ミュシカはほわほわと笑った。人々もつられてほっこりしたが――。
「ユーリィ! ユーリィ、どこ?」
――若い女性の声が響き、市場の空気はピリッとなった。
すぐそこの角から走り出てきてキョロキョロする女性の手には、小さな靴が片方ぶらさがっている。皆の視線がそちらに集まり、気づかわしげな声が飛んだ。
「どうしたのさ、ノンナ? ユーリィがいなくなったのかい?」
「そうなの、うちの前で遊んでたのに」
泣きそうになりながら息子を探しているその女性は、一本裏の通りにある木工屋の嫁、ノンナ。ユーリィのことはマルーシャも知っているが、まだ二歳かそこらの男の子だったはずだ。
ノンナは震えながら、手にある片方だけの靴を示した。
「落ちてたの。ユーリィの靴よ。歩いてどこかに行ったんじゃないんだわ」
――連れ去りか。どうりでノンナが青ざめるわけだ。
事件にざわつく市場の中で、スッとダニールがノンナに近づいた。
「それは、いなくなった子の靴ですね?」
見たことのない男から尋ねられ、ノンナは警戒する顔になった。マルーシャが慌てて口をはさむ。
「あやしい人じゃないわ、私の知り合いで」
「靴を見せていただいても?」
「ダニールさん?」
落ち着いてノンナの手から靴を取ったダニールは、ほんの小声で唱えた。
「シェイディ コン ブラーデレ」
マルーシャは、ふわ、と何かを感じたような気がした。風の行方を追うように顔を上げる。
そんなマルーシャをチラリとしてから、ダニールは靴をノンナに返した。
「早く見つかるといいですね」
「は、はい?」
首をひねるノンナに背を向け、ダニールはさっさと歩き出した。
「追います」
「え? え?」
きょとんとするマルーシャの腕からミュシカを抱き取る。ダニールにかじりついたミュシカはニッコリ笑った。
「お父さまのおまじない、やっぱりきれい!」
「おま、おまじない?」
確かに何かを唱えていたのは聞こえたけど。マルーシャの知らない言葉だった。
「僕は妖精学の研究者ですよ。妖精のおまじないは専門分野です」
「おまじないが専門?」
そんな可愛い専門家ってあるだろうか。ぽかんとしながらマルーシャはダニールの隣をついていった。




