第36話 対決への準備
翌朝、マルーシャとミュシカは連れだってヴェデレの宿を出た。しばらくして、あわてた様子のイグナートとラリサが馬車で発つ。
……そんな一芝居を念のため打ってみた。ダニールはもちろん最初から、かりそめの妻と娘の後を尾け護衛していたのだけど。
「たぶん、いらない一幕だったと思うのですが」
「面白かったからいいじゃないですか」
苦々しい顔のダニールに、マルーシャとミュシカは回収された馬車の中で大笑いした。二人にしてみれば街外れまでの朝の散歩だ。気持ちよかった。
「これは私たちのいたずらなんだものね、ミュシカ」
「ねー、お母さま」
ノリの良い二人にダニールは困ってしまった。ミュシカだけでも手を焼いていたのに、これでは。
だけどマルーシャのその明るさ、いつでもめげない強さがまぶしくて、ダニールは「この人を失いたくない」と感じたのではなかったか。それを思うと強く叱れない。そういうのを世間では「惚れた弱み」というのだが、ダニールは自分の気持ちを伝える努力をあえて先送りにした。
今はそれどころではない。
自分がマルーシャを好ましく思っているらしいとは認めたが、すべては事件を片づけてからだ。
グ、と唇を結ぶダニールにマルーシャは微笑んでしまった。こんな時には笑った方がいいのに真面目な人。
行方不明の両親を探しにいくなんて幼い子がやることじゃない。ミュシカはふとした拍子にまた泣いてしまうだろう。だから、楽しい道行きにしたい。
できればダニールにも笑っていてほしいと思った。この人がいちばん喜ぶのは、おまじないの研究だ。マルーシャは姿勢を正した。
「メレルスとの対決に必要なおまじない、私たちに教えて下さい」
「――はい」
ダニールは力強くうなずいた。
昨日から考えていた。マルーシャとミュシカができること。
妖精としての力は強くても、おまじないを扱うことには不慣れな二人。メレルスとの対決に巻き込みたくはないが、もしそうなったならどう戦い、身を守るのか。
それにはメレルスが何をしてくるかの予想が不可欠なのだが、いかんせん情報が足りなかった。わかっているのはおまじないを無効化する術に長けていることだけ。
こちらのおまじないを邪魔させない。相手のおまじないを使わせない。そのためにやるべきことは何か。
ダニールは方針を決めた。二人には細かいことよりも、大きくはたらく力をふるってもらおうと思う。
「ミュシカは〈冬〉らしく、マルーシャさんは〈春〉らしくいこうと思います」
頼もしく断言するダニールに、二人は興味津々だった。
そして馬車の中でくり広げられた講習会に、馭者台のイグナートとラリサは背すじをゾクゾクさせていた。
彼らは妖精の力があふれ流れる気配には慣れている。ダニールとの付き合いが長いからだ。だがそれでも、車内からもれる力に肝が冷えた。
「……なんか、怖いわ」
「うーん、あいつら怒らせない方がいいな」
おそらく抑えて試しているのだろうが、強い力を感じて落ち着かない。実際に小窓越しに冷気が漏れ出たのはミュシカのせいだろう。それがすぐおさまったのはどういうことだとか、訊いてみたいが聞きたくない気もする。
「ねえ、ダニールってマルーシャのこと好きって認めたんでしょ」
「認めたっつーか、なんつーか。ふんわりと?」
「まあ自覚はしたのよね。もし二人が結婚したら、夫婦喧嘩ってどうなるの」
「……」
なんと恐ろしい。
そんなことが起こったら、犬も食わないどころか犬がしっぽをまいて逃げるのだろうことは、わかった。
✻ ✻ ✻
「俺がメレルスを探ってくるから、みんなは留守番な」
「えー」
かわいらしい抗議の声に、イグナートの口はへの字になった。
ザラエの街に到着したのはもう暗くなってからだった。なのでその日はミュシカも大人しかったのだが、次の朝には初めての街にそわそわしている。
おでかけしてもいい? と見上げるまなざしはイグナートから見ても可愛かったが、許可するわけにはいかない。
「俺は仕事だ。じゃあミュシカの護衛は誰がやる?」
「お父さま……?」
「ブッブー。誰もできませーん。ダニールはメレルスに面が割れてるから外出禁止!」
悲しい顔のミュシカにそう言い渡すのはかわいそうだが仕方ない。
ルスラン夫婦の行方をつかみかけていることをメレルスに知られたくなかった。せめてどこに捕らわれているのかぐらい探り出さないと、先に手を打たれたら振り出しに戻ってしまう。
「きょう、ずっとおやどなの?」
ミュシカはしょぼんとした。
宿の部屋に閉じ込めるなど、元気な子どもには酷かもしれない。わかっているがマルーシャは言った。
「今日はおまじないの練習しようか」
「うん……」
冴えない返事にマルーシャは微笑む。
「じゃあファロニアに帰る?」
「……いや」
「そうよね。リージヤさんとルスランさんを見つけるためにミュシカは来たんだもの。なら、我慢できるかな?」
「できる」
ふんす、と口を結んでミュシカは約束した。子どもの扱いがうまいな、とダニールは感心する。
マルーシャはだてにおばさんを自認していない。長年近所の子どもたちの面倒を見、あしらってきたのだ。ダニールの尊敬の眼差しにマルーシャは振り向いた。
「どうしました?」
「あ、いえ。なんでも」
「はい……?」
そしてわけもなく照れ合う。
こんなのはたから見れば両想いでしかないのに何をグズグズしているんだろう。イグナートは馬鹿々々しくなってケッと毒づいた。ラリサが察して笑う。
「いいじゃないのよ」
「へいへい」
ひょいと手をあげてイグナートは出ていった。ラリサは黙って見送る。
言葉は少なくても通じ合う、この先輩夫婦の方をこそマルーシャはうらやましく思った。




