第30話 誘拐犯の目的
「わあい、おかいもの! お母さまをかわいくするの!」
「えええ、ミュシカ……」
翌朝、ミュシカはウキウキとのたまった。今は女性陣の部屋に五人全員が集まり、今日の予定を確認している。
ミュシカがとにかくにぎやかにしたがるのは、気をまぎらわすためではないかとダニールは言う。前はもう少し落ち着いた子だったと苦笑いされた。
ミュシカの好きなきらびやかな店に、マルーシャはあまり慣れていない。これは今日も疲れそうだなと思った。ミュシカのためなら仕方ないけど。
「まだお店が開いてないのよ」
「あ、そうか。じゃあわたしも、お母さまがやったおまじない、おべんきょうしたい!」
今度は真面目な顔をする。マルーシャが新しいおまじないを成功させたと聞いて、うらやましいのだった。大好きなお母さまの真似はしなくちゃならない。
だが朝っぱらから授業を頼まれたダニールは迷った。
ミュシカに〈ショズデーレ、カテナ ヨルダテーバ〉は早いだろうか。心も技も不安定な少女が使い、うっかりいろいろなものが力を喪うことになったら目もあてられない。
とにかく強い力を秘めているという点なら今いる中でミュシカが一番かもしれないのだ。マルーシャも敵わない可能性があるとダニールは考えていた。
深く深く世界とつながるミュシカ。
暴走した時に抑えきる自信はダニールにもない。
「――そうだね、ミュシカにはちょっと違うのを教えよう」
「どんなの?」
「〈冬〉らしいものだよ。おまじないを眠らせるんだ」
ショズデーレ、シュクテ イ コリド。
一時的におまじないを無力化することができる……はずだ。ダニールも実は未使用の文言だった。
冬。包みこみ、眠りの中で育てる季節。
だからこのおまじないならミュシカと相性がいいのではないか。それにうっかり広く効果を及ぼしてしまっても、目覚める方向性のおまじないを重ねれば挽回可能だろう。
「ショズデーレ、シュクテ イ コリド。うん、わかった」
「待て待て。まだやるな」
気軽にコクンとうなずかれてあわてるダニールに、マルーシャはふふ、と笑ってしまう。ミュシカのような幼い子の教師はたいへんそうだ。
「これはね、僕もやったことがないんだ。ミュシカができたらすごいぞ」
「お父さまやってないの? わたし、だいじょうぶ?」
「少し心配かな。僕は相手がいなくて試せなかっただけなんだけど」
研究相手にも事欠くのが日常のダニールだった。どれだけ人づきあいがないか、そしてどれほど専門的かという証拠のような自白で、マルーシャはつい笑ってしまう。
「私に教えてくれたのは、使ったことあるんですか?」
「ええ、まあ。おもに誰かの失敗を打ち消す時ですが、いちど成りゆきで見知らぬ男を邪魔したこともありましたね――」
それは、ダニールが旅に出た時だ。妖精族が各地に分散していった歴史を研究するため、あちこちに残る妖精の足跡を探す研究だった。各地の伝承にひそむ事跡を書き取って歩いていた。
その年は、雨が少なかった。
バルテリス王国の王都を訪れてみたら、街には渇水の不安が広がっていた。そこに雨を呼んでみせるという男が現れる。ダニールはそのうわさを聞き、雨乞いのおまじないなのではと案じて広場に行ってみた。人を集めてそんなことをされてはまずい。
現れた男は、やはり妖精の血を引いているように思えた。
おまじないを朗々と唱えるような真似はしないでくれて助かったが、公衆の面前で使われたものを放置するわけにもいかない。ダニールは空に働こうとしたおまじないに向けて、阻害の文言を使った。
ショズデーレ、カテナ ヨルダテーバ。
――そして、雨は降らなかった。
「――あ!」
話すうちにダニールはふと思いあたり、顔をあげる。
あの時の男はメレルスといった。ロジオン・メレルス。集まった群衆がそう呼んでいた。
雨乞いに失敗し、罵声を浴びながらこちらをにらんだのを覚えている。阻害のおまじないがどこから飛んだか把握できるほどの実力があったということだ。
「メレルス――」
そのつぶやきでイグナートも片眉を上げた。町で聞きこんできた商人たちの中に、そんな名がなかったか。
「お父さま?」
「ダニールさん、何かまずいことでも?」
「――ミュシカごめんよ、練習は後だ。イグナート」
「おう」
「えー、つまんないの」
「本当にごめん、おまじないはまた今度。マルーシャさんミュシカをお願いします」
申し訳なさそうにされてマルーシャはうなずいた。
ダニールがそう言うのなら、きっと何か大切なことを思いついたに違いない。子ども相手だからといいかげんなことをする人ではないと、もうわかっていた。
ザラエのメレルス。
確かにそんな名の商人が酒場で話に出た。ザラエはそう遠くない町だ。だがそれがロジオン・メレルスなのかはわからない。
「おまえが昔、恥をかかせたメレルスと、ザラエの商人のメレルスが同一人物だとして、だ」
隣室に戻り、イグナートは話を整理した。
「その恨みでおまえを探ってて、〈冬〉の情報を知ったってことか?」
「……かもしれない」
ダニールは悄然とつぶやいた。
犯人は最初から冬告げの姫を探していたわけではなく、ダニールへの意趣返しがしたかっただけなのか。そして偶然見つけた〈冬〉に利用価値をみとめて連れ去った。それならば、すべてはダニールのせい。
リージヤは本物の冬告げ姫ではないが、ダニールへの復讐という点では成功したといえよう。弟夫婦が姿を消してダニールは心を痛めているし、ミュシカを背負うことになってしまったのだ。
「ずいぶん暗いことをする奴だな」
ズウーンと落ち込んだダニールに、イグナートは笑ってみせた。もしそうだったとして、ダニールはその時できることをやっただけ、他にどうしようもない。
「まず、その商人がロジオン・メレルスなのか調べてみよう」
今日の聞き込みの目当てができて良かったぜ、とイグナートはうなずいてくれた。




